「先にあらすじをよく読んだ方が楽しめるかな」獣は月夜に夢を見る つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
先にあらすじをよく読んだ方が楽しめるかな
主人公マリーが魚の加工場で働き始めるところから物語は始まる。
後でわかることだがマリーの母は獣人化する狼男のような存在だ。その血を継ぐマリーは冷たい視線を浴びることになるが、その理由をこの段階でのマリーは知らない。
そのあとマリーは海兵隊のような洗礼を受けて自分のエプロンとナイフを貰い加工場の一員として受け入れられる。
これはマリーが普通の少女であるなら同一化した加工場というコミュニティに受け入れるということだ。
魚を卸す仕事をしているダニエルが転んで魚を落としてしまった時に、マリーは助けるが、加工場の人間は助けなくていいと言う。
これは加工場というコミュニティの外の人間は別の存在だからという心理の表れ。
加工場の人間が考える「普通」「自分と同じ」の範疇にいるのなら仲間と認める。裏を返せば「普通」「自分と同じ」から外れた者は助けないというわけだ。
しかしマリーがやはり「普通」とは少し違うと感じ始めた時にイジメが始まる。マリーがまだ弱い存在だからだ。
更にそのあと、マリーが御せぬほどの強い存在と感じた時に、強烈な排除の行動に変わる。
しかしマリーの父やダニエルを見ると、獣を獣たらしめているのは、「普通」や「自分と同じ」という強すぎる同一化からくる異物を排除しようとする精神にあるのではないかと訴えていると思う。
差別や、ヨーロッパなどでは移民とか、彼らがもし和を乱すというのであれば、それは受け入れようとしない精神からくるのではないか。
マリーの父やダニエルのように「普通」や「自分と同じ」のハードルを下げて受け入れれば、獣は獣にならず攻撃を受けることもない。
そんな社会派な一面のある作品だった。
しかし私のような俗っぽい人間にはもっと表層的な部分にひかれてしまう。
ヴァンパイアと人間の恋とか、魚人と人間の恋とか、モンスター系の映画であるようなモンスターと人間の恋のそのあとのような作品でもあったと思う。
マリーの父が、妻や娘にそそぐ愛情。「普通」とそこから外れている家族のバランスを彼なりにとろうとしている姿。
妻を植物人間のようにすることにもちろん心を痛めていることだろう。
演じたラース・ミケルセンはマッツ・ミケルセンの兄らしいが、有名な弟よりも名優なのでは?と思うほどの演技で、彼を見ていると泣けてきてしまった。
マリーとダニエルは、マリーの両親の過去だ。
ダニエルがマリーの父のような悲しみを背負わない社会が、獣が獣にならずにすむ社会が形成せれればいいなと、やはり社会派な一面に回帰してしまう。
マリーとダニエルが惹かれ合う描写が希薄ではあったものの、85分という短さにかなり多くのものを詰め込み上手くまとめたなと感心してしまう。
ここでの評価が低いことから結局伝わってないともいえるわけだが、説明過剰な作品は面白くないからね。これくらいでいい。