「自分で考え自分で選ぶ。そして尊重する」はじまりへの旅 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
自分で考え自分で選ぶ。そして尊重する
反資本主義の父と反キリスト教の母。彼らは子どもたちと共に森で暮らすことを選んだ。これは、今のアメリカ社会の常識とかルールといえるものに反発するためだろう。お前らの考えを押し付けてくるなというわけだ。
どこかの誰かが、これが一番いいだろうと考えたルールのようなものだ。それがいいかどうかは実際のところ人それぞれだし、本当にいいかどうかも定かではない。
父は子どもたちに独自の教育を施し、体を鍛え、一人でも生きていける術を教える。ヴィゴ・モーテンセン演じる父ベンは、それが一番いいだろうと考えたからだ。
しかしこれは、どこかの誰かが考えたアメリカ社会の常識の押し付けと何が違うだろうか。結局は父も母もどこかの誰かも変わらないのだ。
多くの他の人々と歪が生まれる分、父と母の思想はよりよくないともいえる。
大事なのは個人の意思とその尊重なのだ。それぞれが考え、それぞれが選ぶ。
エンディング、森に戻った彼らは静かな朝を迎える。父ベンは子どもたち全員分のランチを用意している。子どもたちは本を読んだりそれぞれ好きなように朝を過ごす。きっと学校へ行くかどうかも子どもたちの自由なのだろう。
これまで色々としていた父と子のディスカッションはない。ベンは自分の思想の押し付けをやめたのだ。
学校へ行きたいのならば親として行けるように準備をする。行きたくないのであればそれを見守る。静かなラストシーンは実に印象的で、とても良かった。
作品とは関係ないオマケ話として、父が娘に「ロリータ」について聞く場面のことをちょっと言いたい。
娘は「興味深い」と答え、ダメな解答だと囃し立てられる。
この作品ではないレビューを読んでいて「考えさせられた」というフレーズをよく目にする。読むたびにげんなりするんだ。
この「考えさせられた」は「興味深い」と同じだ。大事なのは何を考えたかであって、脳みそを稼働させましたという宣言は何の意味もない。何も考えていないのと変わらない。
基本的にはどんな映画を観たって何かしら考えることはあるわけで、そうなると単なる「考えました」宣言は「分かりません」以下の答えだと思う。
娘が「興味深い」と言った瞬間にレビューの「考えさせられた」を読んだときと同じようにダメだと思った私は、このシーンに妙に共感してしまって、ちょっと嬉しくなった。