「吉田修一VS朝井リョウ その2」何者 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
吉田修一VS朝井リョウ その2
若者の空気感を「外から観察する」吉田修一と「内から暴く」朝井リョウ、どっちが心にヒットするのか?勝手な試みだけど、「パレード」を観たからこそ「何者」は面白い。
「何者」には、傍観者でいることを許さない吸引力があると思う。
就活対策本部、という名目で一部屋に集まる5人の男女。生活を共にするわけではないが、「就職」という人生の一大イベントを分かち合う行為は、私みたいな氷河期世代にとってはかなり理解し難い感覚だ。
自分の人生の舵取りを他人に見られてるなんて勘弁してほしい。妥協したり、落胆したり、必死にジタバタしている姿なんて、隠しておきたいものだ。
なのに一緒に過ごすなんて、これが若者の姿だとしたら、やっぱり恐ろしい世界だと思う。
そういう意味で、私は拓人に似ている。
「途中経過をイチイチ報告してアピールする」タイプが苦手なのも共通点だ。
自分にとって受け入れ難い醜い姿を、どうして晒せるのか。晒して満足出来るものなのか。それを自分だと受け入れているのか。
疑問は尽きない。
だから、何者にもなれていない自分は人目を忍んで、殻の中に閉じ籠るしかない。
いつか外の世界に晒されても、揺るがない完成された自分として歩み出す日を夢見て。
想像の自分と現実の自分が合致する日を夢見て。
それまでは、そっとしておいて欲しい。
否応なく、ある程度の歳になったら殻を割られる日が来る。その時を最高の形で迎えるために就職活動に精を出す。
実際に社会人になったら、会社とあわなくて辞めたり、家庭の事情で辞めたり、病気になって辞めたり、運命の恋に落ちて辞めたり、一発目の就職なんて大したものでもないが、それは経験しないとわからない。
圧倒的な経験の数で、「自分探し」「自己形成」などするまでもなく、気づけば「自分」になってしまった大人から見ると、就職活動中の5人は「青春真っ只中」の卵たちなのだ。
「パレード」がその空間から出ることを許さない物語なら、「何者」は明確にその世界が終わる物語だ。
それはやっぱり朝井リョウの目線が彼らの中にあるから。拓人でも、光太郎でも、瑞月でも、理香でも、隆良でもいい。誰かの事を「自分に似ている」と思う感覚が、その手助けをする。
そして、今まで自分を包んでいた世界に別れを告げる瞬間を共有する。
面白さも、キャストの魅力も甲乙つけがたいが、やがて恐怖を感じる「パレード」より、恐怖から飛び立つ「何者」の方が若干好みだったかな?
興味が湧いた方は、是非両方鑑賞して「自分」の世界を観察して欲しい。