「結局何者なのか…問題はそこじゃない」何者 映画が好きです。さんの映画レビュー(感想・評価)
結局何者なのか…問題はそこじゃない
原作が直木賞、かつ豪華キャストの話題性たっぷりな映画ということで、楽しみにして観にいったが、期待が過大してしまったせいか、物語の厚みとしては薄かった。しかし、非常にメッセージ性のある作品であったためにこのように評価した。メインとなる6人が、それぞれ個性的なキャラ設定をされているため、観客は感情移入がしやすいはずだ。
就職活動そしてSNSを通じての、若者の葛藤、そしてSNSで起こっている実情といったリアルを描いた作品である。
この双方に含まれている要素は、他者からの評価が生じるということ。就職活動では、決められたルールの中で自分を表現し、相手から必要と感じられることで、やっと選ばれる。そのためには、自分の個性すらも消さなければいけないこともある。自分が描いている等身大の自分を、そして努力を、そのまま示しても上手くいかないのが就職活動。「自分の頭の中にある内は傑作」とは、こういう意味なのではないか。なりたい自分=周りが必要と人間ではないことを教えられた。
SNSについては、かなりリアルに近いものがあった。SNSの機能を最大限に活かしていて、非常に興味深い設定であった。機能面だけでなく、使う側の精神的な部分も、いと細かく表現されていてとても驚いた。他人の投稿やプロフィールに対して、いちいち上から目線で分析してしまう習性がついてしまっていたり、冷めた人だと判断してしまうこともある。かつ、人をSNS上の写真や文面から、その人の人格を決めつけてしまったり、否定してしまうこともある点も、繊細に描かれている。SNSを使う人を、ドキッとさせるような内容もであり、同じようなことをしてしまっている自分がいることを、改めて客観的に見ているようで恐怖を感じた。そうしてしまうことは、間違えているのか正しいのかわからないけれど、SNSがもたらす影響というものを、映画を通じて知ることができたと思う。
映画の中でも質問となっていたこと、「隆良(岡田将生)と烏間ギンジとの違い」について考えたことは、行動力である。夢を叶えるためには、覚悟そして、行動力が必要である。この二つを持っていない人には、それぞれの思い描く栄光はないのではないだろうか。
もう少しクライマックスの後を、詳しく見て、結局は何者であるのかという答えを明確にしてほしかったが、映画としての主題はそこではない。主題なのは、自分は何者なのかという答えがわかることではなくて、何者かに自分がなれる段階になる、ということではないか。他者の個性を認められない自分は、結局なんの個性も持たない人間なのだ。だから、上手くいかない。瑞季(有村架純)、光太郎(菅田将暉)、隆良(岡田将生)は、良い例だ。他者を受け入れ、家族のため、夢のため、なりたい自分のために、明るい未来が待っているはずだ。一方で、拓人(佐藤健)、理香(二階堂ふみ)は、情報ばかりをかき集め、どこかで周りを見下して、自分に酔っている。そのせいか、就職活動も上手くいかず、自分を見失ってしまっていた。ラストシーンの拓人の面接で、やっと拓人は自分を見つめ直し、何者かになれる状態にまでなれた。ここから先、拓人が何者になるかはわからないが、この作品の伝えたかったことは、こういうことではないのかと思う。