君の名は。のレビュー・感想・評価
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感動
上映から少し経過していたので、こちらのレビューを参考にして横浜ららぽーとへ。
あらすじなどを読まずに観たので、途中まで普通の恋愛ものかと思っていましたが。。
最後の感動は今も心に残ります。
久々にもう一度観ようかな、と思える映画でした。
映像が綺麗で音楽もよく、すごく物語に入り込むことができる作品でした...
映像が綺麗で音楽もよく、すごく物語に入り込むことができる作品でした。観終わった後に晴れやかな気持ちになれるので、気持ちが沈んでいる時に観てもよいかもしれません。彼氏彼女がいる人は是非カップルで観てほしいです。
最後、もうひと押し欲しかった
空にぬけるように広がる舞台。
それを包む大気に奥行きがあるのが分かる。
時や場所、性別を超えて見ず知らずの人と繋がるその奇跡を神秘的に描き出している。
夢のような情景に現実を感じるのは、作者がありのままにものを見て、そこに自分の見たいものを創造し重ねているからだと思う。
指摘されるような話の筋に対する違和感は人物の感情、物の道理を考慮しても特に強いものではなく創作上の自由の範囲を超えない。
人間間で心と体が入れ替わることや時間軸のずれに関する他の作品との類似性への指摘も、感じるところではない。
それは、入れ替わりに伴う神秘性そして、そのことの意味、それが向かう先を現実感を伴う奇跡のような情景とともに描き出していることによる。
この作品に私が求めるものは愛し合う男女間に起こる能動性。それにかかわる描写である。
もちろん話の筋における記憶に関する理由も重々理解するところなのだが、想う相手とのすれ違いや別れに対してあきらめがよすぎる。
作者監督の他の作品においても、相手への想いの現実における無力感が強く現れる。
相手を愛したいのであれば、あらゆる努力をしてほしい。
感傷に浸らずにちゃんと苦しんでほしい。
偶然に頼らず、二人の想いと、その行いで再会してほしかった。
最後、まごうことなくその言葉を言ってほしかった。
自ら紐を編み、繋がる二人をみたかった。
ボブ三葉の破壊力ったらもう。。
公開1週間前に小説を読み、予想外のハッピーエンドに思わず驚き、こりゃいい映画になりそうだと思ったあの日から早4ヶ月弱笑。
ようやく観に行った!なんとなく1人で行くのははばかれるなぁこんな良さそうな作品彼女と行きたくねぇ?と言いつつできなかったので結局1人で行った笑。
まさかここまで大騒ぎになるとは!
今現在興行収入が189億の歴代7位?
なんともののけ姫まで残り4億くらいで追いつくらしい!やんば!でもそのもっと上にアナ雪いて歴代3位!つよっ!笑
まあお金のことは置いといて笑。
ど田舎で暮らす巨乳の女子高生三葉と都会で暮らすもみあげ男子高校生瀧がなんだかよくわからない理由で突如入れ替わり、かたやおっぱい揉み放題、かたや憧れの年上女性と良い雰囲気になりデートにまで漕ぎ着けるというどちらにしろ羨ましい奇妙な入れ替わり生活を描いた青春ラブコメディ。
多感な年頃の男女が周りの誰にも言えない(理解されない)お互いだけの秘密を抱えてればだいたいは相手のこと好きになるわ!!羨ましいわ!!なんだよこれ!!いいなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
しかも女の子側は可愛くて巨乳とキタ。ポニテも可愛いが何よりショートの時がやっばい。めちゃくちゃ可愛い。アニメのキャラでここまで可愛いと思ったのは久々な気が笑。
「来世は東京のイケメン男子にしてくださーい!」と涙ながらにど田舎の山に叫んだ結果手に入れた体が立花瀧。
いやいやいやいや。決してイケてないわけではないがあんなに可愛い子の相手にこいつ?不釣り合いだ!ズルいぞ!お前がイケメン扱いされてるのはcv.神木隆之介だからだかんな!!!調子乗るなよ!!(?)
しかし夢の中で惚れた女のために地方へ赴く行動力に脱帽。ごめんなさいやはりイケメンでした主に心が。。思えば多分このルックスでなかったらこんだけ売れなかったんじゃないかなと今では思います。。しかしそのもみあげは切った方がいいと思うぞオレは。
そして五千番煎じくらいになるだろうが画がすげぇ。流星を中心にぐるりと視点が旋回するシーンめっちゃ鳥肌立った。田舎の緑も色鮮やか。都会のシーンは夕焼けがキレイすぎてここはちょっと盛ってないかとも感じたけどやはりいい風景を描いている。
そして五万番煎じくらいになるだろうけどRADWIMPS。まさかここに来てこんな売れるとはね笑。昔から中高生に絶大な人気はあったはずだけどそれはあくまで2000年代後半に中高生だった自分たちのような世代に人気があったわけで今の中高生はワンオクやドラスとかが世代なんだと勝手に思っていて、まさかこの2世代に渡って認知されるようになるとは思わなかった。
今この世代にしたらBUMPもアジカンもエルレもちょっと昔のおっさんなんだろうなぁ学生時代の自分にとっては上3つ+RADがだいたい聴いてた音楽だからなぁ。この世代間飛び越えて聴かれるようになったのはすごいこと。
君はなんてったって包茎やら僕は君を許さないよやら歌ってたバンドがど真ん中ど直球のキレキレキラーチューン出してきて嬉しい。
ちなみに自分はセツナレンサが死ぬほど好きです笑。
残念ながら個人的今年の邦画No.1はシンゴジラで不動のものとなっているので今年最高傑作とは言い切れませんが、アニメ映画界で間違いなく歴史に残る作品になったことは間違いないでしょう。ポストジブリがまた1人増えて面白くなってきた!
アニメの必要ある?
アニメらしい、アニメ映像と内容に期待していたが、アニメではなく実写でもいいくらい。
どうもアニメだと非現実的な内容を期待してしまうが、実写でもいいような内容だったため、こうなるのかな?と思った通りのストーリーになってしまう。
物足りなさが常につきまとい、いい意味で期待を裏切って欲しかった。
ポストモダニズムの象徴としての君の名は。
この映画を初めて視聴したとき、映像美や音楽との融和性、ストーリーの構成などから純粋に感動し、涙を流した。
ただそれと同時に、設定についていくのがやっとで
「これって矛盾してんじゃないの?」と疑問が消化されないまま
鑑賞を終えたのも事実であった。
ということで、感動を再度味わうために、そして疑問点を解消するために、現在計3度の鑑賞に至っている。
3度の鑑賞で自分が強烈に感じたのは
「この映画はポストモダニズムを鮮やかにかつ力強く描き出している」ということだ。
このレビューではポストモダニズムとそれが乗り越えていこうとしているモダニズムを以下のように定義する。
モダニズム=近代合理主義的な考え方。神や愛、感覚といった物理的、論理的につかみどころのないものよりも、理性に基づいて科学的に物事にアプローチしようとする態度。地球上で理性を持つ唯一の存在とされる「人間」を世界の中心として考えるため、自然を人間に従属したものとしてとらえる。
ポストモダニズム=脱近代的な考え方。近代が生み出した問題点を乗り越えていくために、近代合理主義の恩恵を認めつつも、理性でとらえられないもの、人間以外の存在(宗教、自然、愛など)も同時に大切にしていくべきであるとする態度。
ポストモダニズムという切り口で「君の名は。」のストーリーをみていきたい。
物語の序盤でてっしーが、前日の様子がおかしかった三葉に対して
その原因が「それって、前世の記憶?エヴェレット解釈に基づくマルチバースに無意識が接続したっちゅう!!!」というなにやらわけの分からぬことを、オカルト雑誌を開きながら発言するシーン。
同級生の様子のおかしさを理性では到底とらえられぬオカルト的要
素に帰結させるてっしー、ナイスである。
このてっしーの存在がポストモダン的な生き方の一つ象徴なのだが、それはまた後程。
そしてその夜、組紐作りにいそしむ宮水一家の様子と
巫女装束に身を包み儀式を行う三葉・四葉の姿が映し出される。
近代が下等なものとして興味の埒外に置いた「宗教」的要素が非常に美しく描かれている。
その中で、おばあちゃんが「文字は消えても伝統は消しちゃいかん」といった趣旨の発言をしたシーンも興味深い。
これは「オーラルヒストリー」を端的に表したセリフだ。
「オーラルヒストリー」とは、近代合理主義的な歴史分析の「文字という、理性で客観的に把握可能なもの」をもつ物にのみ歴史が存在し、文字を持たないすべてのものは同時に歴史をも持たないという立場を乗り越えようとする歴史観である。
たとえ文字は消えても、土着の人々の力で時には口頭で、時にはもの(組紐)で文化(歴史)を伝承していこうとする態度だ。
また、三葉・四葉の父、俊樹が妻を亡くしたことから神への懐疑を抱き、神社を出て政治の道に進んだことが明らかになったシーンは
まさに、モダニズムの象徴である。
神が世界の中心であった中世から、人間を世界の中心に据えて
人の力で世界を変えていこう(その手段は往々にして政治もしくは商業活動だ)とする態度が端的に表れている。
町長に再度選出されるために土建屋への根回しをするなど
非常に理知的に物事を進め、娘(中身は瀧だったが)の「彗星が町に落ちてみんなが死ぬ」という主張にも一度は耳を貸さず、「病気だ」と合理的な反応を見せる父は、近代主義を凝縮したような存在である。
そして、物語のキーの一つである「彗星」に
近代合理主義への警鐘が読み取れる。
三葉との入れ替わりが起きなくなった瀧は、三葉に会いに行くことを決意。途中立ち寄ったラーメン屋で手がかりを得、糸守へと向かうが、そこに待っていたのは壊滅し、町が消失した糸守だった。
物語のなかで非常に美しく、幻想的に描かれていた彗星が、実は破滅の象徴であったという事実に、私は驚きを隠せなかった。
ここから読み取れるメッセージは、「結局のところ自然は人間の思い通りになるものではなく(作中でも、彗星の核が砕けて落下をすることをだれも予測できなかったというセリフがある)、時には人智を超えた力をも発揮し得る。そんな自然を支配しようとするのではなく、崇拝し、時には恐れ、共存していくべきである。」ということではないだろうか。
彗星の落下によって糸守は壊滅し、三葉も死んだ。
この事実を知った瀧は、様々な苦悩を抱えつつも口噛み酒によって再び三葉との入れ替わりを行い、糸守を、そして三葉を救うことを決意する。
さやちんとてっしーと共に糸守救出作戦を練る瀧 in 三葉。
ここでてっしーがポストモダニズムの象徴であるということが一層鮮明に見えてくる。
防災無線、重畳周波数など普通の高校生では知りえないような科学的な知識を披露し、高校生にしてMacbookを操る。
非常に理知的な印象を感じるシーンであるが、先述のように、このてっしー、オカルトマニアである。ほかの方々のレビューでも言及されているように、オカルトマニアであるからこそ、「彗星が落ちてみんなが死ぬ」という突拍子もない言葉に真摯に向き合えたのだ。
狐憑きや彗星の落下といった非合理的なものにも心を開き
問題を解決するときは理知的に、合理的に。このようなてっしーの生き方は、ポストモダンな現代に生きる我れにこそ必要な生き方であろう。
御神体のある地でカタワレ時に奇跡の出会いを果たした三葉と瀧。瀧から作戦を引き継いだ三葉は町へと戻り、父のもとへ。
ここまで見てきたように、三葉の父・俊樹は
モダニズムの象徴的な人物である。
一度は「彗星が町に落ちる」という発言に全く取り合わなかった父。
しかし、傷だらけの三葉の姿、そしておそらく、三葉の熱意に押され、消防団の出動を命じたようだ。
この出来事に、ポストモダニズムが集約されている。
近代的、合理的な考え方で行動してきた父が最終的には
娘の「熱意」によって「感情」を動かされ、非合理な事実(町長は山火事はないとの連絡を受けていた)から目をそらさず、
意思決定をしたというこのシーン。
まさに、非合理が合理を乗り越えた瞬間であろう。
このようにポストモダンという切り口でみても印象的なシーンがとても多い「君の名は。」。
私の周りの友人たちは意外にも辛口だ。
「時間軸がずれた入れ替わりなのだから、糸守がすでに壊滅していることにお互いが気付かないのはおかしい。」
「日常生活の中で今が西暦何年なのか、普通に気づくはず」
「メモなどの非効率な方法ではなく、もっと早くスマホで連絡を取ろうとするはず。」などなど・・・
確かに、非常に理にかなった指摘であり、「なるほど」と思わされた。
映画や小説などは非常に精緻に、矛盾がないように作成されることが前提の現代において上記のような点は確かに気になるポイントではある。
しかし、この映画を見て、純粋な感動を覚えた私は、あえて声高に主張したい。
「それでも良いではないか!!!!!」、と。
細かな矛盾はあれど、「映像美」や「音楽」といった
「感覚的」なものを基礎に、ストーリーにもふんだんに非合理的要素が散りばめられた本作が多くの人の心(外国人の心さえ)つかんだというのはまぎれもない事実である。
憶測の域を出ないが、新海監督をはじめとする「君の名は。」の製作スタッフは、あえてこのような矛盾点を残したのではないだろうか。
矛盾はあれど、映像、音楽、ストーリーによってそれらに対する疑問をはるかに超えた感動を生み出そうとする大いなる挑戦=理性万能の近代合理主義を乗り越え、感覚的でメタフィジカルなものにも焦点を当てていこうとするチャレンジ。
確かに、爪痕を残したのではないだろうか。この映画がヒットしたということは、人々の中に近代合理主義への懐疑が生まれている証明になるかもしれない。
あるいは、人の心を動かすのは論理ではなく、感情的な要素だ、ということの証明だろうか。
いずれにせよ、言葉や論理を超え、直接感情に訴えかけてくる本作が素晴らしいものであるということに、変わりはない。
忘れてはいけないもの 青い心と3.11
日頃全くアニメは観ないのですが、とても話題になっていたので鑑賞。うん、普通に面白いじゃないですか!
観ててやっぱり「若いっていいなー」っと思いました。年甲斐もなく若い頃の何かに夢中になっている時の気持ちを思い出してしまい胸が熱くなる始末。学生の時に観たらきっともっと面白かったのではないかと思います。
隕石が落ちてきた災害は3.11がモデルですよね。恋愛の要素と共に災害を食い止める要素が1つのテーマとなっています。確かに恋愛要素のみではここまでロングランのヒットにならなかったのではないでしょうか?
タキくんが頑張ったのも、災害を食い止めるっていうよりも、なんだかんだでミツハに逢いたかった為なんですよね、基本的な動機としては。その結果として多くの人を救う事になったという。好きな人の為に夢中になれるってのは素晴らしい事だと思います。
大人になると日々の生活に埋没してしまう青い心、そして現実の世界では止められずに起きてしまった不幸を忘れる事なく生きていかねばなと思いました。
再観賞記録
2021/3/27
本作を最初に観た当時からすると随分と色々アニメを観たので、やっぱり良くできているなっと思いました。映画は良く観る側の人間なのですが、最近アニメも面白いってのに気が付きチョコチョコと観るようになってます。人間いくつになっても知らない面白い事は世の中に溢れてるもんですよね。
本作を久しぶりに観て、救われない現実もあるけど、救われた世界もあっていいんじゃなかろうかと思います。
再々鑑賞履歴
2022/10/2
IMAXにて
私たちの行けない、彼岸の物語 (妄想、願い、あるいは祈り)
この物語を恋愛ものとして見ているレビューが多いので、あえてもう一つの視点からの感想を書こうと思う。
その分ネタバレの内容も詳細なので読む方には気を付けていただきたい。
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この物語の主人公が誰かと問われれば、当然 三葉と瀧という答えになるだろう。
彼らは物語の中で「運命の出会い」というテーマ部分を担っているが、視点を変えて別のテーマで見たとき、私はあと2グループの主人公たちが存在していると思えた。
ひとつは、テッシーとサヤちゃん。
もうひとつは、高山ラーメン屋のおやじである。
テッシー達はともかくとして、ラーメン屋のおやじはどうかと言われそうだが、彼はとても重要な位置にいる。
彼は「災害後生き残った人」の代表なのだ。生き残り、失われた故郷を離れ、喪失感を抱えながら堅実に今を生きている。
彼の「あんたの描いた糸守、ありゃあよかった」という台詞は、私にとっては上位の涙腺ポイントだった。
彼は私達の投影だ。311を生き残り、故郷を失い、それでも今を生きている私達そのものだ。
では、テッシー達は誰の投影か。
おそらくは、311(あるいは、過去に起きたすべての災害)で亡くなった人達である。
タイムリープもの、あるいは歴史書き換え物の作品に出合った時思うのが、歴史が書き換わらなかった方の元の世界はどうなっているのだろうか、ということだ。
考え方は2つあって
1)歴史が書き換えられた時点で消滅
2)平行世界(パラレルワールド)として、そのまま存在している = おこった悲劇はそのまま
だろうと思う。
2)だと救いがないので基本的に私は1)の解釈を当てはめることにしているが、今回の作品に関しては2)の方が救いがあると思っている。
なぜなら、今まさに私たちが悲劇が書き換わらずにそのまま時の経った方の世界にいるからだ。(=ラーメン屋のおやじ側)
もしも「あの日」に戻れたら、きっと誰もが三葉たちと同じ行動をとりたいと願うはず。
自分にそんな能力はないが、もしかしたらもう誰かがそんな不思議な体験をしているのでは?という想像をせずにはいられない。
書き換わった歴史のもう一つの世界では、此方側では未来を失った若い人たちが元気で生き延びて、(テッシーとさやちゃんのように)喫茶店で恋人と結婚式の打ち合わせをする光景が存在しているのかもしれない。
小学生だった少女たちは、(四葉のように)高校生になっているのだろう。
けれどもその世界は平行世界の此方側にいる私達には決して行くことのできないあちら側 ―― 彼岸である。
決して行けない向こう側。
だから「あったらいいな」という願いだけが残る。
こんな平行世界があったらいい。
決して行くことはできないけれど、あったらいい。
そして、そこではもういなくなったはずの彼らが幸せでいてくれたならどんなにか救われることだろう。
この映画はたぶん、そういう妄想であり、願いであり、祈りである。
そんなに?
@新宿TOHO.ヒットし異例のロングラン上映をしている事と、高校生が主人公である事以外、何の事前情報も得ずに鑑賞。鑑賞理由としては、なぜそこまでヒットしているのかに興味があり、先入観を抱かずに鑑賞するためにも、事前情報は仕入れなかった。感想=自分にはなぜそこまでヒットしているのかよく理解できなかった。映像・音楽の使い方がうまく、飽きる事なく映画を鑑賞できた。しかしどうしてもストーリーがしっくり来ない。男女の入れ替わり系は特に新規性がないし、残りは単なるラブストーリーだし、何がそんなに良いのか??この映画のターゲット客としては主人公と同年代近辺だろう。しかし映画館にはかなり幅広い年齢層がいた。うーん、わからない。
フルCGにはない「温かさ」がいい。
新海監督の「言の葉の庭」に魅せられて本作を鑑賞。
いろんな映画を思い出しました。
「転校生」「宇宙戦艦ヤマト」
「イルマーレ」「インターステラー」
「サマータイムマシンブルース」・・・
それぞれの面白いエッセンスが散りばめられた感じ。
ストーリー展開のおもしろさもありますが、
やはり映像美に圧倒されました。
予告編が苦手だったが、
よかったです。ヒット作の名に恥じぬ作品でした。
予告編で「私たち、入れ替わってるぅ〜〜」というセリフがあって、なんだか安っぽいなあと思って敬遠していました。偏見は良くないですね。
消えてなくなりそうな儚さや凜とした表現の仕方が日本人らしい作品なん...
消えてなくなりそうな儚さや凜とした表現の仕方が日本人らしい作品なんだろうなと思いました。せつないけど音楽の爽快感でスッキリとみれるいい作品だと思います。
見る前の印象はアニメの制服男女学生のイメージが少しオタクっぽいかなとも思いましたが見た後はあまり気にならなくなりました。
超びみょー・・・。
前情報が少し入った状態で見に行きました。
テレビで流れる映画情報のコーナーでは絶賛の嵐。
舞台になった地を巡る「聖地巡礼」という行動をする方もかなり多いと聞き、
「そんなに言うのなら、きっとものすごい作品なのだろう!私も見たあとに聖地巡礼をするぞ!」と大きな期待を持って見に行きました。
しかし鑑賞直後の私は
「面白かったけど、社会現象になるほど盛り上がるものではないな」と思いました。
もし誰かから感想を聞かれたときに簡潔に答えるとするならば
「綺麗すぎる画に気を取られてる間に、サッと気づかれないように伏線を張ってくる。伏線の張り方と回収の演出が悪くて、後半は置いてけぼりを食らう。何も考えないで見て入ればスッと入ってくるけれど、色々考えてると突っ込みどころが多々あって集中できない。あと私は涙腺がピクリともしなかった。」
と言うと思います。
前情報が入っていなければもう少し感じ方が変わっていたかもしれないですが。
また、この感想を見て「そういったツッコミは野暮だよ」と思われる方がいるかもしれませんが、だって気になるんですもん。
腑に落ちないとことは黙ってはいられないです。
CMだと恋愛もの感もりもりに見えましたが、それよりSF的な要素のほうが目立っていたように思います。
まず、“心と体の入れ替わり”のことに関する意見ですが、
「学校に行く」なんて行動が考えられないです……。
自分がどこの誰かも分からない人間になっていて、ちゃんと学校に着くなんておかしな話じゃないですか?
私だったら、家に引きこもるか家の周辺を探り、自分が誰でここはどこなのかの答えを求めるくらいしかできないと思います。
その後、お互いの環境に徐々に適応していくのはいいのですが、
お互いの時間の差に気がつかないのはちょっとムリな設定なのではないかなと思います。
三葉の住む町の美しい描写はとても素敵です。
風に揺れる木々の緑色にキラキラと光る湖など、もう実写にしちゃえばいいじゃん!と言いたくなるほどリアリティーがあります。その場の匂いも感じられそうなほどです。
組紐を作る場面だったり、神楽の舞台だったり、ラーメン屋だったり、「聖地巡礼」する人を狙って作ろうとしていたのかは分かりませんが、訪れてみたいと思わせるような描写が盛り沢山でした。
折角の「入れ替わり」なのだから、瀧くんの住むところももっと美しくアピールしてほしかったです。都会の魅力をもっと!
瀧くんと奥寺先輩がデートをした美術館のリアルな画にはとても驚きましたが。
三葉には都会への憧れや、現状への不満など、感情を感じ取れるシーンが多数あっと思いますが、瀧くんにはいまいち…何の特徴も無さすぎです。
お互いが恋に落ちる点もようわからん。あの過ごし方とかだと、「なんかちょっと気になる」程度にはなっても、好きとは確信できないよ。
お互いが惹かれる要素がないし、そんな演出が微塵も感じられなかったわ…
涙するほどまで好きになる要素があったとは思えない。んまぁ恋愛に関しては「理論」じゃなくて「理由はわからないけど、いつの間にか」ってのはよくある話なんだけど…
全体を見るとやや三葉のほうに注ぐ力が偏ってしまってる気がします。
もうちょっと中身を洗練させて、集中できる内容にしてくださいって感じです。
私が褒めるのは絵の綺麗さだけ。
あ、RADWIMPSはイメージがぴったりでしたね。
違う人が曲を担当してたらこんなにヒットしてなかったと思います。
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