君の名は。のレビュー・感想・評価
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オヤジも泣ける至高の映画だ
エンドロールが終わった後、しばらくボーッとしてしまった。
この映画の世界観にずっと浸っていたい・・そんな気分にさせる映画は何年振りだろうか。
背景の美しさ、音楽とのマッチング等は色々なところで語られているが、キャラクター自体の魅力、動き、俳優の繊細な息芝居を絶賛する書き込みは少ない。
田中将賀の絵は一般的にロリっぽいと思うのだが、安藤雅司の補正がかかった本作はオヤジでも胸キュンする魅力的なキャラに変貌した。
映画を観終わった後にネットで徹底的に情報収集する自分が居た。感動と深みがさらに増した。
アカデミー賞ノミネートは逃したようだが、そんなの関係無い。
アメリカ人にこの繊細な感覚を理解できるとは思えない。
もう一度見たい。終わるまでに必ず!
歴代史上最高 日本最高の名作
何の予備知識も無く妻の勧めで観ました。始めは男女の入れ替わりを楽しく観ていたり、巫女さんの舞や映像が綺麗だなーと思っていたのですが、中盤に衝撃が有り、まさか彗星の破片の隕石が落ちてくるとは…。
その後の三葉ちゃんを救うべく瀧君の頑張りに感動しました。音楽もとても映画に合っていて、最後のグッドエンドも良かったです。
おそらく、今まで観た中で人生最高の映画だと思います。この映画を名作と言わずして名作とは一体何なのかという事になる!
完膚なきまでのハッピーエンド
互いの時間軸の違う話というのは、とにかくその変えられた未来がどこに行ったのかが気になって仕方がなくなってしまう質なので……疑問は多々残ったものの、なんともにも考えずに鑑賞すれば幸せな気持ちになれる映画だった。
運命の赤い糸を「結び」と言い表すロマンチックさ、夜空を彩る彗星の美しさ、飽きることなく最後まで観ていられる。
せっかくの物語なのだからハッピーエンドがいいという人にはとても合うと思うし、私としてもすごく良かった。
けどやっぱ、元々の未来はどこへ行ってしまったのかなあ……と繰り返し思ってしまう。
美しく、幸せで、ときめきながらも難しい映画。
death fell from the sky
●都会に住む男子高校生と田舎に住む女子高生の奇妙な入れ替わりを軸とした忘却の物語。2013年公開の『言の葉の庭』に次ぐ新海誠の劇場6作目(2016)。主人公の声に、神木隆之介と上白石萌音。脇役を長澤まさみ、市原悦子といった実力派女優が演じている。
●物語の中心は、現代の東京と田舎。流行などの言葉から隔絶された村の女子高生と東京の男子高校生を結ぶのは、時間を超える「紐」。ふたりがそれぞれをつなぐ「紐」の存在に気付いた時、男子高校生のなかに、忘却していた体験が思い起こされる。
●新海作品のなかでは異色とでも言うべき、本作。過去に原作小説が発刊されている『秒速五センチメートル』や『言の葉の庭』に比べれば、小説のテンポが悪いのだ。もちろん読み通せば、映画の内容が過不足なく書かれていると思われる。しかしながら、他の小説作品にあるような映画との一体感が欠けているように感じられた。それは、おそらくこの映画の持っているリズムが新海自身のテンポというよりも、むしろRADWIMPSの音楽によっているところが大きいからだろう。その意味で、RADWIMPSの音楽なしでは、二時間に収まらない映画だったといえる。
●2016年度に空前の大ヒットを記録した本作は、大衆の感動を動員したということで極めて皮肉めいた可能性を提示している。それは、忘却の可能性だ。都会から隔絶されてポリティクスのない場所での悲劇。500人という犠牲者を忘れる社会は、年々忘れられていく御巣鷹の悲劇のようである。赤々と燃える山は見えどもたどり着かなかった、あの夏。そして、そんなことはなかったかのように大きな事件としての東日本を想起する人々。この作品は、まさに忘れゆく男子高校生にこの映画に動員された観客を重ねているかのようである。
●単純には評価できない複雑な問題をはらんでいるからこそ、本作は観られるべき映画であると同時に、観られるべきではない映画なのかもしれない。
ラストが残念!
恋する気持ちの原点をみるような素敵なストーリーだったのに、ラストが説明過多な感じで残念でした。雨の中、すれ違いのままで終わってほしかったなあ。
観る人の心に余韻を残してほしかった。
途中下車して、再会ってありがちな結末でがっかりです。
それにしても、この映画がこんなにヒットするのが不思議です。
心揺さぶられる佳作
説得力
聖地巡礼に行こう!
感じたままに言うと
この映画に人が集まる理由を私なりに考えてみた。この映画の何が人をそんなに惹き寄せるのか。それは私に次のように映る。
つまり、人と人との出会いに偶然はないということ。運命の糸は恣意的に複雑に絡まっているように見えるが、織りなすカタチはひとつの作品のように美しい軌跡を描くはずだ。まるであの組み紐のように。
好意的にとらえてだが、この映画の作り手には、物語としてのさまざまな破綻を犠牲にしても言いたいこと(結論)があったはずだ。さまざまなもっともらしい挿話も美しい背景も音楽さえも、その結論のための手段にすぎない。そして観る側に残されているのは、それを肯定するのか否定するのかという単純な問いだけだ。私は肯定する側だ。これは映画そのものの評価とは別かもしれないが、しかし私は(私たちは)こういう物語に弱いのだ。映画にはこうあらねばならないという制約などなにもないはずだ。いくら破綻を言い当てても詮無いことである。
年齢の高い人のなかにはこの映画を「転校生」や「時をかける少女」の大林宣彦作品へのオマージュと見るひとは少なからずいるだろう。大林作品にもまた人格の入れ替わりや、時間軸の相互乗り入れが取り扱われているが、作品の主眼は言うまでもなくそんなパラレルな存在の在り様ではなく、人と人は運命に導かれて必然のように出逢うのであり、 偶然出逢うのではないというすこぶるロマンチックな、宿命論的な思想である。
誰しもデジャヴなどの経験でいまある現実といまはない過去や未来がどこかで反響しあっているのではと感じているのではないか。かわたれ時にかたわれであるふたりは一瞬の邂逅を果たす。過去はアダムとイブまで遡るかもしれない。組み紐はDNAの二重ラセンの暗喩のように三葉の髪と瀧の腕を飾り、ふたりの運命をひとつの結末へと押し流す。ふたりのDNAにどんな情報が書き込まれているか誰が知ろう。
クライマックス、瀧と三葉は街なかですれ違いお互いを数秒の差を置いて振り返る。これで終われば大林版「時をかける少女」と同じだが、最後実際に出逢ってしまうところにかえってこの監督の大林作品へのリスペクトを感じる。そこに好感を持った。
また会いたい
君の名はの意味が深い
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