「新しい「運命の赤い糸」」君の名は。 yaung yuさんの映画レビュー(感想・評価)
新しい「運命の赤い糸」
・私とアニメ映画
今話題沸騰中の映画「君の名は。」を観にいきました。私自身、幼い頃は毎週アニメを観るくらい夢中になっていましたが、年を重ねるにつれめっきりと観る本数が少なくなりました。アニメ映画はというとテレビアニメで育った私はアニメはテレビで観るものという感じで、アニメ映画を観たのは家族で揃って行った「千と千尋の神隠し」くらいでそもそも映画自体の興味があまりありませんでした。そんな私が映画館に足を運んだのはTL上で「君の名は。」の感想が今も続いていることです。記録的ヒットとなったアニメ映画といえば宮崎駿監督のジブリ作品や庵野秀明監督の新世紀エヴァンゲリエヲンシリーズが真っ先に思い浮かびます。「君の名は。」の勢いは、過去の偉大な作品と同じか、もしかしたらそれ以上のものであると感じました。なによりここまで記録的なヒットとなったのは最近のアニメにはない「なにか」があるように感じました。今になって思えば、たぶん、私はその「なにか」を確かめたくて映画館に行ったのだと思います。
「君の名は。」を観るにあたってはCMを観て、高校生くらいの男女が入れ替わる所謂TS要素を含んだものである、なんか世界がやばいらしい、くらいの知識しかありませんでした。他の情報については一切知らない状態で映画を観ました。もちろん公式サイトにはアクセスしていません。これは検索することによってネタバレに触れてしまうのを防ぐためもありますし、新鮮な気持ちで観たいと思ったためです。「君の名は。」を観た後では正解だったと思います。
・入れ替わり
では、本編の感想と考察を述べたいと思います。東京に住む瀧と山奥にある糸守町に住む三葉はある日、突如TSもののお約束ごとである体が入れ替わります。このとき体が入れ替わった二人の反応が面白かったですね。三葉が瀧になったときは、オカマって思わず突っ込みそうになりました。逆に瀧が三葉になったは、朝起きて胸をずっと触り続ける瀧の行動に場内から常に笑いが起きていました。ただ、唐突な展開にひとつの疑問が湧き上がります。特になんのきっかけもなく。お互いの面識もない二人がなぜ入れ替わったのか。三葉は自分の生まれに不満を持ち、神社の巫女として行事が終わった後、「来世は東京のイケメンになりたい」と神社の坂道から叫びます。東京に住む瀧が、なぜ特に面識もない、遠く離れた糸守町に住む三葉と入れ替わったのか。それは三葉の願ったことだとだから、とうまくミスリードに引っかかてしまった訳です。
・彗星と災害
唐突に始まった入れ替わり生活も唐突に終わりを告げます。入れ替わり生活は主に三葉視点で描かれていました。なので三葉が死ぬことはなんて想像もしませんでした。彗星も物語を彩る演出のひとつくらいに思ってました。ですから、彗星から分裂した破片による災害で糸守町が消えたことには瀧と同じく大変衝撃を受けました。これから星を見ることが恐くなるくらい衝撃的でした。新海誠監督のインタビューによると東日本大震災をモチーフにしたそうです。察するに、私たちが予想もできない、突如、現実が崩れ去る恐さというものを表現したかったのではないでしょうか。それが災害の恐ろしさなのだと。彗星は綺麗で印象的なビジュアルで描かれていました。これはたぶん彗星の美しさという外見に僕たちが捉われていて、その内面にある恐しさというものを知らず知らずのうちに見過ごしている、いや見ないようにしている、ということを伝えたかったのではないでしょうか。瀧と三葉は入れ替わってるから姿を知ってるけどもお互いに顔を合わせたことはないし、言葉を交わしたこともない。どんなやつなんだろう。瀧と三葉はお互いを知りたいという気持ち。これは互いの内面に向けられたものだと思います。今振り返れば彼らの気持ちは私たちが彗星に抱く気持ちとの対比だったのではないでしょうか。無理やりな考察だと思いますが。ちなみに本作の彗星の名前であるティアマトは混沌を意味するそうです。
・赤い糸
三葉の神社では糸守1000年と言われる結びがあります。三葉の髪留めに使われているもので、三葉の祖母によると糸には、過去と未来をつなぐ、人の魂をつなぐ力がある、との言い伝えがあるそうです。瀧と三葉は入れ替わった理由は三葉の髪留めに使われていた糸により、瀧は過去の三葉と、三葉は未来の瀧と入れ替われたという訳ですね。このあたりの終盤の謎明かしはほんとしびれました。恋人が結ばれるのは運命の赤い糸で結ばれていたからとよく言われますよね。運命の赤い糸について各国で様々な説があるようですが本作では中国の故事を元にしていると思います。過去と未来、時間を超えて結ばれる二人。ロマンチックな要素をうまく落とし込んでいますよね。
・「君の名は」
君の名はのラストのシーンについて少し語りたいと思います。瀧と三葉は糸守町を救う。しかし、お互いのことは忘れてしまい、誰かを探し続けていること5年後、ラストでは瀧と三葉が再会し、お互いに「君の名は」と尋ね、物語を終えます。なぜここがゴールなのか、ということです。名前を忘れてしまった。けど、会いたいという気持ちは残った。時が過ぎても、あの人に会いたいという気持ちは残っていていつも誰かを探している。五年が経って、ようやく二人は出会えた。ここで二人が「君の名は」と尋ねたことにはいろんな意味があると思います。名前を忘れちゃいけない、と二人とも終盤で何度も繰り返し繰り返し叫んでいましたよね。名前は存在、記憶を示すものだと思います。この場合、名前を尋ねる行動は失われた大切なもの=記憶、存在を取り戻すということだと思います。「君の名」はお互いの名前を忘れてしまった彼らにとって長年残り続けた会いたい気持ちの答えだった訳です。そう考えれば、あのラストで「君の名は」と尋ねるシーンはこれ以上にない、この映画のゴールだったのではないでしょうか。
・「これじゃだれだかわからないじゃない」
瀧と三葉がお互いが突然、涙を流すシーンがありましたね。上映中、私もそういう状態でした。理由がわからないのに涙がでてくる。私自身、こうした経験ははじめてでしたので自分自身に驚きました。上映が終わった後では感動というより、やばいもん観たよ観たよという気持ちになりました。たぶん、この映画を超えるものは当面、というかこの先でてこないと思います。それは自信をもって言えるかな。緻密に設計されたストーリー、人間味あふれる等身大のキャラクター、都会と自然の美しい背景や星空の情景、本当にロマンチック要素の塊のような作品でどれをとっても文句のひとつもでできません。傑作というよりアニメのひとつの完成形といっても過言ではない作品だと思います。ちなみに好きなシーンは三葉が電車で瀧に話し掛けるシーンですね。あそこで恥ずかしくなり赤面する三葉がかわいくて、もう。そわそわと近づいて勇気を振り絞って尋ねたものの、誰?、ですからね。「ねぇ瀧くん、瀧くん、瀧くん覚えてる?」という台詞も伏線だったんですよね。最初にこの台詞がでたときはよくわからなかったのですけど、過去に一度出会ったことを示す台詞だったんですよね。もうひとつ好きなシーンは三葉が「これじゃだれだかわからないじゃない」と瀧の告白に涙するシーンですね。このシーンは瀧が告白するんだろうなぁと鈍感な私でも予想がつきました。臭いけれど今となっては一番好きなシーンになりました。お互い名前を忘れちゃいけないと何度も叫んでましたよね。でも、瀧は黄昏時の刹那で名前よりも自分の気持ちを優先しました。だから、名前は忘れてしまったけれども、気持ちだけは残り続けたのかな、と私は思います。気持ちは消えないというのは恋愛ではありきたりな定番だと思うのですけど、ラストとの繋がりを考えればこのシーンが文句なしに一番です。
はい。久しぶりの長文で書いてて息切れしそうでした。感想を書くに当たってインタビューや劇中ででてきた故事を調べたり参考にしまして、いやあ文章書くのって大変なんですね。ラストについて自分のなかでうまく文章にすることができず、途中でやめようかなと思ったんですが、ここまで書いたならもう後には引けないと最後あたりは意地ですね。意地があんだよ、男の子にはな!本当、つたない文章を長々と書いてお目面を汚してそうですが、これにてお開きにします。駄文にお付き合いいただきありがとうございました。
全く駄文なんかではない、コメントと言うよりも評論に近い感想ありがとうございます。男の子の意地良く伝わって来ました。あまりにも評判が先行していて、はっきり言ってあんまり…と思っていた自分にはとても分かりやすい解説となりました。これからもしっかりしたコメント期待しています。