劇場公開日 2016年3月12日

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母よ、 : 映画評論・批評

2016年3月8日更新

2016年3月12日よりBunkamuraル・シネマ、新宿シネマカリテほかにてロードショー

母は強し。モレッティ流、女性礼賛映画。

息子の部屋」でカンヌ映画祭のパルムドールに輝いたイタリアのナンニ・モレッティは、むしろ自伝的な作品を撮る作家として知られている。新作「母よ、」も例外ではない。聞くところによれば、前作「ローマ法王の休日」の製作中にモレッティの母親が亡くなり、その後遺症が彼を本作へと突き動かしたのだという。ただし今回は初めて彼の分身として女性が主人公になり、さらに母、娘、孫の3世代にわたる女性ドラマになっているところが新しい。それだけに、たんに自我開陳、オート治癒的な作品ではない、深い内省と円熟が感じられる。

映画監督のマルゲリータは、仕事も私生活もスランプに陥っている。なれ合いの恋人と別れ、撮影中の映画はうまくいかず、おまけに母親が病に倒れ入院してしまった。兄(モレッティ自身が「僕にとっても理想」と語る、できた兄役に扮する)は手料理を作って足繁く母を見舞うが、そんな時間も気力も彼女にはない。監督としてある程度のキャリアを築いてはきたが、それもいまは空しさのほうが先に立ち、元恋人の「君には自分しか見えていない」という言葉が脳裏にこだまする。

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がむしゃらに好きなことだけをやってきた者が、はたと立ち止まる瞬間。それまでわがままに生きてきた娘は、それを受けとめてくれていた母の大きさにあらためて気づく。一方自分は、受験と恋に悩む娘のことをほとんど何もわかっていない。それなのに、いっぱしの“社会派”映画を作ろうとしている。ここには、監督としてのモレッティの自問が見え隠れする。だがそれを異性像に反転させることで、母性、女性の自立、子育てといったテーマが取り込まれている。そう、これはある意味女性礼賛映画なのだ。実際モレッティがこんな女性映画を作るとは、うれしいサプライズでもある。

ここでハリウッドから起用されたスターという、狂言回しのような役どころで登場するジョン・タトゥーロは、往年のモレッティ映画の軽妙さを愛する人にとっての清涼剤だろう。空港に到着したとたん、車で自ら出迎えたマルゲリータを雇われドライバーと勘違いしてくどこうとしたり、まったくセリフが覚えられず現場で失態を見せたり。そのお騒がせぶりは、撮影の内幕ものとして観ても面白い。彼のコミカルな味が、重くなりがちな物語に息抜きをもたらしている。

だがこの映画の白眉、それはラストにあるだろう。センチメンタリズムとはほど遠い、あっけらかんと希望に満ちた母のひとこと。母は強し、なのだ。

佐藤久理子

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