ブルックリンのレビュー・感想・評価
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That is where your life is. 少女から大人の女性への成長を描いたら上京物語
シアーシャ・ローナンかわいいけど、高嶺の花な美人っという感じではなく、どことなく素朴なイメージがある女優さん。そのシアーシャ・ローナンが時折見せる子供っぽい顔と大人になった表情を上手く捉えている作品でした。随分前から映画に出てる印象があるんですが、まだ22歳なんですね~。これからも楽しみな女優さんです。
シアーシャ・ローナンがアイルランドからNYへ旅立ち、ホームシック等を乗り越え、恋愛し成長していくエイリッシュを好演しています。故郷を離れてホームシックで泣いてた姿に自分の経験を思いだし思わず涙を誘われました。誰だって新天地では不安になりますよね。それでも持ち前の勤勉さで仕事も恋愛も上手くいくようになるエイリッシュ。きっと真面目にやることはどこの世界でも大事なんです。
突然の不幸には本当に突然過ぎて「ええ!?」ってなります。何か前ふりありましたっけ?そして、エイリッシュが改めて帰郷したときの地元の過ごしやしさ。そこで生まれる新しい関係と田舎ならではのしがらみ。故郷を離れるエイリッシュを引き留めない母親の態度は素晴らしかったです。なかなかできないと思いますよ、あれ。
第二次世界大戦が終わって新しい文化が花開いていった1950年代。今ではすっかり内向きになってしまったアメリカが、まだ新しい物を受け入れる余裕のある時代だった頃を上手く再現しています。一人の女性を通して移民の時代から普遍的に続く成長の物語を見事に描いた作品でした。
誰にでもある選択のとき
糟屋
よかったです
人生の選択
成長するけど主体なし
地味な田舎の女の子エイリシュが都会に行って頑張って成長していく姿はとってもグッときました。
ホームシックとか、初めての職場でのぎこちなさとかはあるものの、エイリシュは結構ハイスペで、新生活は順調そのもの。周りの人から例外なく可愛がられるので、多くの人が苦しむ対人関係の悩みも特になく、真面目で頭もいいのか勉強も上手く行く。
エイリシュを後押ししたお姉ちゃんも、「妹はデキるから、NYCでもイケる!」と見立てていたんだろうね。
物語の後半、故郷=ジムか、ブルックリン=トニーかで気持ちが揺れるのは無理もないことだよね。久々に地元に戻ったら仕事面でも頼りにされたり、イケメンが寄って来るなどチヤホヤされちゃって、上京前とは大違い。愛するお姉ちゃんの眠る地だし、お母さん1人になっちゃうし、そりゃー離れがたいよ。
ただ、ブルックリンに戻る選択をするきっかけは今ひとつだなと感じました。決断の要因が外からの働きけで、しかも「〜からの逃避」というのがちょっとね。内なる情熱とか意志の力とかではないし、トニーとの絆の再確認でもないしねぇ。
だが、それこそがエイリシュを象徴しているように思える。エイリシュは根性あるけど主体性はあまりない。これからアイデンティティーを確立していくのだろうが、エイリシュの本質はフワフワした適応マシーンのように思えて、個人的には人としての魅力を感じなかった。このまま主体なく歳を重ねて行くのであれば、エイリシュに暗雲をもたらすだろう。
それから、エイリシュはトニーには恋をして、ジムには好感を持っていたけど、2人とも愛してはいなかったのかもしれない。結婚も押し切られた形だったし。トニーの元に戻るエンディングは一見ハッピーだが、物語のあとすぐに離婚しちゃったりして。まーそれもハッピーエンドかもね。
あと、トニー一家が最高!弟とか、仲良しな雰囲気とか。イタリア系いいですねー!
行きの船に乗り合わせたマドンナみたいな金髪のねーちゃんもカッコ良かった。
トータルではとてもキュートな佳作だと思いました。
静かな物語でした
シアーシャ・ローナン、再評価。
吸血鬼に殺し屋、近頃特殊系女優の道を邁進していたシアーシャ・ローナンの演技力を改めて思い知った一本。
演出、当時の再現など見どころもあるけれど。
話は結局都合の良い「女の子末っ子の本領発揮」で、正直面白くはない。
ただ、シアーシャ・ローナンの輝きだけはそれはもう異質だった。
決してとびぬけた美人さんというわけでもなく、モッタリ(失礼)とした印象なのに。
少女から女性までを色気も含めて醸し出していたのには、改めて凄いなと思った。
主演女優を観るだけでも価値のある作品。
「少女」だった主演女優が「大人」の扉をノックする。
時々、映画は「少女」と「女性」の狭間に立った女優の一瞬をレンズに捉えることがある。「ブルックリン」は、まさにシアーシャ・ローナンが少女から女性へと美しくメタモルフォーゼする映画だ。「つぐない」ではまだ中学生だったシアーシャ・ローナンが年齢を重ね、今作で「大人」の扉をノックする。まだ大人にはなりきれていない、しかしもう子どもではないローナンの顔つきや体つきが、ヒロインの繊細な心の機微をセリフ以上に雄弁に語る。この役とシアーシャ・ローナンの出会いはまるでひとつの奇跡のようだ。
物語は初めての恋と迷いを描く。特に前半部分の、お互いに好意を持ち始めた者同士の初々しくも熱っぽい交流の描き方が爽やかで良い。この辺は脚本ニック・ホーンビィのうまさを感じるところ。そして中盤から舞台を再びアイルランドに戻してからは、一度極限まで接近した二人の心が静かに離れていく危うさを描く。姉の死、母の不安、友人の結婚、姉の仕事、そして新しい出会い・・・と言う具合に、ヒロインを引き留めようとする力がじわじわと働き始め、まるで言い訳のように滞在を引き伸ばしてしまうその姿に焦らされる。アイルランドとブルックリンの一往復が引き起こした変化の積み重ねが、そのまま少女が女性へ羽化する変化と連動して実にドラマティックだった。
結末には少し不満が残る。ヒロインが恋の迷いから目を覚ますその展開が、ヒロイン自身の力で迷いを振り切るというよりも、他人に刺激されて反動のように答えを出した(ように見えてしまった)のは、いくらか心許ない動機だろう。夫から届いた手紙の封も開けられないほど、そしてその手紙の返事も書けないほどに心が揺れていたのは事実だ。それを振り払う力が、ヒロインの内側からではなく外側からのベクトルで生じたという点だけがどうしても納得いかず、★5つにできなかったたったひとつの理由だ。
作中のローナンが纏うファッションが目に楽しい。登場は田舎娘らしく冴えない地味な服を着ているが、洗練を獲得するにつれて、色彩豊かでセンスのいい着こなしが見えてくる。グリーンのコートも良く似合っていたし、黄色のワンピースも可憐で爽やかで愛らしい。シンプルなデザインなのにぐっと目を引く、というのは本当に洗練されたお洒落だと思うし、それを着こなせるローナン自身の魅力に因るところでもあると思う。
この作品のように、大人の女性へと成長しようという若き女優の背中をぽんと押してやれるような映画が日本でも生まれてほしいと思う。そうすれば、日本の若い女優たちにも充実した年齢の重ね方が許されると思うのだが・・・(日本の女優さんは、ちょっと容姿が大人っぽく成長しただけで劣化呼ばわりされていて本当に気の毒だ)。
純文学を読んだような鑑賞感
まだインターネットも携帯電話もない時代に、アイルランドの田舎町で鬱屈した生活を送る推定18歳くらいの女の子がニューヨークに行って暮らす話だ。
大都会に戸惑いつつ、ホームシックと闘いながら徐々に慣れていく。そして物語が少しずつ進むにつれて、主人公も少しずつ変化していく。それがこの映画の主眼で、主人公は大人しく従順だが必ずしも純粋無垢ではなく、隠しごともすれば恋の駆け引きもする。時には規則を破ることもある。
アイルランドとニューヨークを一往復半する間に、主人公は世の中のことを理解していき、自分の居場所を自分で築くようになり、主体性を確立していく。映画はいいことも悪いことも両方備えた等身大の少女の姿を偏りのない視点で正面から捉えている。その率直な表現は、純文学の作品の読後感に似ていて、とてもさわやかだ。非常に気持ちのいい映画である。
苛立つ
主演女優が美しい
アイルランドの美しい風景が見れるかと思いましたが、そういう景色はありませんでした。代わりに主演女優の美しさが印象に残っています。
ストーリー自体はチープな恋愛ものです。もう少し主演の内面に踏み込んでくれると良かったのですが。。。正直消化不良です。
それだけならば星は2.5にしたいところですが、個人的には、当時のアイルランド移民の雰囲気がぼんやりとですがわかったのでおまけで+0.5としました。
成長と巣立ち。
劇場鑑賞中、隣に座ったオバサンがほぼ泣きっ放しだった。
それが分かるものだから、こちらの感動も増してしまった。
田舎から上京した女性、嫁いだ女性、日本もこの時代なら
女性は故郷を離れた人が多いだろう。もしも親族に何かが
起き実家へ戻ってもすぐに夫子が待つ住処へとトンボ帰り。
私の母もそうだった。離れるほどに故郷には帰れなくなる。
姉の協力で単身ブルックリンへと旅立った彼女は、都会で
洗練されて美しい女性へと成長する。彼氏もできて結婚も
視野に入れ付き合っていたところ、姉が急逝。祖国へ帰る
のだが、この時彼氏の方から「結婚」を迫ったのが実に賢い!
もう帰ってこないかも…と単純な危機感を覚えたのだろう。
洗練された彼女を誰もが離さない。幼馴染さえ彼女に靡く。
これって悪いけど、彼女の本質を誰も見ようとしていない。
羽ばたきたくて都会へ渡った女性が、(もちろん家族や友人
は大切でも)また出ていかない保証はない。ここで封じ込め
ても、きっと彼女はまた違う道を探し出すような気がする。
なので母親の態度は良かった。辛いが娘を解放してあげた。
同じ移民として苦労を重ねたイタリア系の彼氏とのほうが
彼女には合いそうだと思っていたので結果的に良かったが、
故郷の幼馴染がドーナル(個人的に好き)なのは参った正直。
こりゃ大いに悩むな確かに。どちらもお似合いだったしね。
(あのシアーシャ?と思ったくらいに成長。美しい瞳は健在)
エイリシュの現実主義は「ゴッドファーザー」だ。
アイルランドからの移民の女性という退屈になりがちな題材を、主人公エイリシュ・レイシーの人生の機微を捉えた引き締まった物語へと昇華させている。
主人公がニューヨークへ渡るまでの部分は、テンポよくつないだカットで語り、観客を退屈させることなくうまく乗り切る。
物語が本格的に動くのはエイリシュがニューヨーク行の船に乗ったところからである。
船が嵐に突入したところでは、船酔いで嘔吐する場に困るどころか、下のほうにも不自由をするエイリシュの姿が生々しく描かれる。ここでは旅慣れた同室の客に教えられて、なんとか彼女はトイレを奪回することができる。
多難な前途を感じさせるこのシークエンスは、しかし同時に、生き抜くために必要な冷徹さを親切でお人好しのこの田舎娘が身につけたことを示す。奪回したトイレを、彼女は二度と相手には譲らない。相手が自分と同じように悲惨な状況に陥ると分かっていながら、彼女自身の従来のモラルに反することを貫徹するのだ。
ここでエイリシュが得た現実主義の徹底こそが新世界のモラルであり、本作の太い経糸となる。ここでは若い女性の夢や恋はその現実主義に危機をもたらすイベントとして背景に追いやられる。
この映画が一人の人間の生き様を描くまでに深まった最大の理由はここにあるのではないだろうか。
ダンスパーティーで恋の相手を見つける際にもその冷徹さは発揮される。
鼻持ちならぬ新入りを良くは思っていないエイリシュは、自分が男に誘われたことを理由に、その新入りをダンスパーティーに置き去りにする。大家からこの新入りの保護者役を任されていたにもかかわらず、彼女を残して夜の街へ男と二人で消えたのである。
そして、エイリシュの現実主義にとって最大のリスクテイクが、下宿の自室へ誘い込み肉体的に結ばれるときであろう。
このときの彼女は、それまでに築いてきた下宿生活での信用と優遇を賭して、お互いに本気で好きだと分かった男との結婚の約束を勝ち取る。
重要なのは、これがロマンスを描いているのではないということである。移民という社会の新参者が、現実的な判断の積み重ねによる行動によって、その社会における地歩を固めていくことを描いているのだ。
ここを単なる若い男女のロマンスと捉えると、後に姉の墓参りの為に戻った故国で、アイルランドの金持ちの息子に求婚される前後のエイリシュの行為が不可解になるであろう。
しかし、この一時帰国の部分にも彼女の現実主義は貫かれており、今後の人生を故国で過ごすのか、アメリカで過ごすのかという二者択一を彼女の現実感覚に基づいて行っている。
ただしこの時点で彼女が故国に残ることなどないであろうことは、そもそもからして明らかなのである。エイリシュが着ているニューヨークの服が素朴なアイルランドの風土の中では目立ちすぎている。
本作は「ゴッドファーザー パートⅡ」における、ヴィトー・コルレオーネの若かりし日々の回想部の女性版ともいえる。主人公エイリシュ・レイシーが人生を託すのはイタリア人の男なのは、たまたまではあるまい。
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