ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐのレビュー・感想・評価
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天才作家とその裏にいる編集者のコンビで作られる作品 1つの作品を完...
天才作家とその裏にいる編集者のコンビで作られる作品 1つの作品を完成させるために互いに身を削り私生活にも悪影響を与えてしまっても追い求める、没頭する 。ベストセラー作品の裏側を知ることができた
小説家なら形作ったものを削らないと・・
映画「ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ」
(マイケル・グランデージ監督)から。
作家と編集者がいて、初めて素晴らしい作品が出来上がる。
その両者の関係を理解していないと、
著者だけがスポットライトを浴びて、才能だけが一人歩きし、
自分は天才だと勘違いしてしまい、有頂天になって潰れていく。
作品中、主人公2人の編集作業が印象深い。
「詩的表現に満ちたこの本でこの場面を際立たせるには?」
「単純さだ。簡素な言葉」
「『稲妻』か。暗闇にくっきり稲妻を走らせる・・」
「そうだよ」「ユージンは女を見た。その瞳は青い」
「小説家なら形作ったものを削らないと・・」と意見をぶつけ合う。
その結果が、無駄のない洗練されたフレーズに繋がるのだろう。
原題「Genius」は、辞書によると
「(科学・芸術などでの創造的な)天才、非凡な才能、天才(の人)、
鬼才、特殊な才能、(…の)才、特徴、特質、傾向、精神」とある。
2人の「Genius」が、お互いの力をうまく引き出したとき、
名作が生まれることを、この作品で知った。
最後に作家がこう言う。「一節だけ付け加えたい。本の献辞だよ」
「この本をマックスウェル・エヴァーツ・パーキンズに」
勇気と誠実さに満ちた彼は、ひどく絶望に苦しむ著者を何度も
励ましてくれた。その彼に・・値する作品であることを著者は願う」
今では「あとがき」に編集者への献辞が書かれているが、
この作品が1920年代の実話だとすると、
作者から編者者への一番最初の献辞だったかもしれないなぁ。
静謐
静かな映画。いい感じ。全体を流れるのは「劇的」と対局にある「静謐」かな。
作家と編集者、見出だし、手を取り合い、諍い、それでも互いを想いあい、恋愛映画みたいな表現になっちゃったけど、年齢が離れた青春映画みたい。それとも、血が繋がってるいない親子映画かな。最期が唐突に訪れるので、かえってすっきりエンディングした感がある。
実話なだけに盛れないしね。
帽子を脱がないのは黒子として、
対等な立場としての編集者の矜持。最後に脱ぐのは仕事ではない魂の繋がりの表現、なのね。解説してくれたみんな、ありがとうございます。
監督54歳にして初監督作品ということも教えてくれてありがとう
最高のコンビ
冷静で何よりも本と作者を思いやる男。
感情的で時に冷静な判断ができない天才。
この2人とその周りの人達が見せる、失敗や成功や人間関係や友情や家族愛はとても感情移入できるものだった。
周りを思いやるということを知らない天才と、そんな彼を理解し支えようとする男。時にはすれ違い、最終的にはお互いがお互いを必要だと気付く。そんな美しい関係性にとても感動した。
ジュード・ロウが見せる主人公の、自分の才能に酔っている姿は見ものだ。
トムがうざい。
ジュードロウ演じるトムがうざかった。
ジュードにうざいと思ったのははじめてのはず。
トムの造形がうまくいったということなんですが、
うへぇと思い続けました。
コリンファース、ジュードロウ、ニコールキッドマン、ローラリニーという
豪華出演人に惹かれて見ました。
全体の印象としては小粒な感じでした。
二コールがトム(ジュード)に足蹴にされちゃうパトロン人妻を
演じておりますが、こんなウザイ男にすがらなくてもあなた生きていけるでしょと
思いました。仕事もしてるんだしさ。
ローラリニーは劇作家になりたいけどなれないコリンの妻役ですね。
マックス(コリン)も多分ちょっと変な人として書かれているんだと思います。
だって、ずっと帽子取らないんだもの。
帽子を取るのは死んだトムからの手紙を受取るときだけ。
何を象徴していたのか読み取れませんでしたが、気にはなりました。
フィッツジェラルドが、来年はグレートギャツビーが絶版になんねんと
嘆いていましたが、ならへんよ、没後後も読まれる古典になりましたよと
言ってあげたくなりました。書いたときには売れなかったんですね。
ボルティモアってどこなのかな。アメリカの地理に疎くてわかんないでした。
よかった
トマス・ウルフの小説があんまり面白そうな感じがしなかったせいか、パーキンスもウルフも応援したい気持ちにならなかった。最低の人格であっても本当に才能を感じさせてくれればきっともっと前のめりで見ることができたと思うので残念だ。『華麗なるギャッツビー』も映画で見ただけなのだが大して面白いとは思えない話で、小説ならもっといろいろと感じることができたのだろうか。
ニコール・キッドマンがこれ見よがしに薬を飲むのを「あんなのは芝居だ」と冷たくあしらっていたのはよかった。他人が見えていても自分は見えないものなのがよくわかる凄い場面だった。ただキッドマンは風格がありすぎて不安定な感じがせずメンヘラに全然見えない。初日と言うだけで、特に用もないのに劇場にいて自分をささえろと言うような感じはしなかった。
天才は作られたのか?もともと天才なのか?
むかーし、
むかーし。
ことばにまだ、
きょうだいなちからがあったころの、
おはなしです。
『ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ(2016)』
原題 Genius
(あらすじ)
へミングウエイ「老人と海」
フィッツジェラルド「華麗なるギャツビー」
を見出した編集者、マックスウェル・パーキンズ(コリン・ファース)の元に、まだ無名のトマス・ウルフ(ジュート・ロウ)の原稿が持ち込まれる。
そのまとまりのない大長編の中に、秀でた何かを見付けたパーキンズは、神編集でベストセラーへと導く。
続編で更に超長編を持ち込むウルフに、パーキンズは赤鉛筆を片手に、容赦なくばっさばっさと作品を切り刻み、またまたベストセラーへと導きます。
しかしその過程で、二人の関係に亀裂が……。
実話です。
有名(存じ上げませんでした)演出家:マイケル・グランデージの初監督作品です。
※後半ネタバレあります。
ここ数年、あまり小説が読めていません。
何故って、文章がとても気になるからです。
編集者さん、何してるの?って思ってしまうんです。
で、ある熟年作家せんせ曰く、「最近の若い編集者は小説を読んでないからさー」と。
だから最近の若い作家せんせの作品を読むと、こんな一文があったりしてゲンナリするんですよ。
「彼女の髪は肩までのセミロング」
セミロングって、そもそも肩までくらいなのでー(笑)
きっとパーキンズなら、ここ赤ペンでぴしって校正するでしょうね。
「子供より親が大事、と思いたい。」
これは太宰治の「桜桃」の一文です。
これは何故、「大事」の次に読点を打ってあるんでだろう?
もともと太宰って、読点を大量に打つんですけど。
"子供より、親が大事と思いたい。"
じゃないんだろう?
これ、口に出して読むと、ニュアンスが微妙に違うと思います。
何故、「大事」の次に打ったんだろう?
って、考えたくなるほどの作品が、最近ない。
いや、考えて打ったことが窺える作品が、ない。
慎太郎さんが、「"喉をごくっと鳴らして飲む"なんて表現をするやつに、芥川賞なんかやりたくないぜ」みたいなことを仰ってました。
慎太郎さんは苦手ですが、この部分には激しく同意です。
本作でパーキンズとウルフのやり取りを観ていて(個人的にはウルフに感情移入気味で、苦笑いで観ました)、ひと昔?ふた昔?もっと前の、まだ言葉に力があった時代。
言葉がもっと大事に、丁寧に扱われていた時代。
その頃の人達のことを、懐かしく思い出しました。
上記したようなことが気になる方なら、本作をより楽しめると思います。
これほど、小説に真摯に向き合った作品を知りません。
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(以下かなりネタバレ)
ウルフからは、「貴方に会うまで、私には友達はいなかった」と告白されるパーキンズです。
妻からは、得られなかった息子だとウルフを思ってるんじゃないか?と言われるパーキンズです。
ウルフのかなり年上の愛人アリーン(ニコール・キッドマン)からは、ウルフの恋人きどりか!と嫉妬されるパーキンズです。
そんなパーキンズですが、ラストまで帽子を脱ぎません。
男性が室内で帽子を脱がないのは、かなり失礼にあたります。
ウルフはとんでもないコミュ障に描かれていて、フィッツジェラルド(ガイ・ピアーズ)からも、そのことを怒られたりしています。
※華麗なるギャツビーが売れない!と嘆くフィッツジェラルドに、むっちゃ売れてるよ!みんな知ってるよ!と言ってあげたい。
だから殆どの観客は、人の心の機微が分からないウルフを、時に励まし、時に叱責し、多くの読者が受け入れる作品にしていくパーキンズって、すげー人格者!大人の男!編集のプロ!ってなると思うんです。
けど、商業的に成功した作品が、果たして良作か?となると別問題ですからね(笑)
偉大な芸術作品を、パーキンズが大衆化してしまったのかも知れない。
オリジナルそのまま出版していたら、さてどうなっていたか?
原題Geniusには、色んな意味が込められていますね。
Geniusって、ウルフなのか?パーキンズなのか?
そして、帽子問題です。
ウルフが亡くなって、パーキンズに手紙が届きます。
自分の態度に対する謝罪と、パーキンズへの感謝の気持ちが真摯な言葉で綴られていました。
そこで初めてパーキンズは、帽子を脱ぐんです。
友人
息子
恋人
パーキンズはその瞬間まで、そのどれともウルフを思ってはいなかった?
帽子は、編集者と作家の線引きアイテムだった?
人の心の機微が分からなかったのは、ウルフじゃなかった?
フィッツジェラルドはアルコール依存症が原因で亡くなり、ヘミングウェイは61歳で自殺、そしてウルフは37歳で、放浪の末に病死していますからね。
面白い!
面白い!
面白い!
もう一回。
面白い!
対極的な二人
ジュードロウの、傲慢な笑顔の演技がめちゃめちゃ好き。憎たらしさと愛嬌が絶妙なバランス。
トマス・ウルフ、無遠慮でストレートで情熱的でパワフルで、身近にいたら疲れきっちゃうだろうけど、映画を通すと魅力的。見てるもの感じてるものを全部放出するから、小説の文量がとんでもないことになる。落ち着いてて大人なパーキンズが、そこをどうにかこうにかコントロールしてるのが、バディムービーって感じで良い。いかにも「ちゃんとした人」なパーキンズが、荒々しいウルフにどうしようもなく惹きつけられてるのが、じわじわ感じられて良い。
アメリカ文学を全然知らないので、知ってればもっと楽しめただろうなーーー!もったいないなー!という気持ちになった。
陶酔。
無性に観たい一本だった。日比谷の主館は「削除」だったので、なかなか行けなかったが、最終日にして立川で間に合った。
期待すると自分は殆どハズすが、これは倍返しできて、終わった直後より帰り道で色々模索してたら泣けてきた。こんなん初めてである。
話はトマス・ウルフの伝記になるのだが、その成功を導いた編集者マックスウェル・パーキンズの話にもなる。新人監督ならではの単純な脚本構成になっているのだが、コリン・ジュード・ニコール・ローラによるカルテットが素晴らしい!主役二人の上手さはおいといて、くだらない作品を連発してたニコールが傲慢な薄倖女を披露。存在だけで演技できるローラとの絡みは絶品でした。パーキンスを毛嫌いしてたアリーンが後半デスクで拳銃手に忠告するところから、一気にカタストロフィに話はすべり堕ちるんだけど、コリンの上品度とジュードの下品さが数々の構図を作り出し、名画のような場面が氾濫する。「ネタバレ」にしたのは、これが言いたかったです。編集室で一切帽子を取らなかった → パーキンスの涙 あの最後の最後のカット この持っていき方はコリンの上手さがあったからだが、「英国王のスピーチ」より格別に自分は次元違いに感動した。父の他界した病院で死んでいくトマス。Of Time and the River が苦くもノンフィクションになる波瀾万丈な人生・・・トマスは親愛なる友へ。と敬意を示したが、パーキンスはそんな彼の一瞬たりの人生詩をも世間に伝えたかった「事」を「削除」してしまったことの悔いの涙なんでなかろうか?とか色々模索してたら、帰り道泣けてしまったわけで・・・・。
製作は英で2015とあるんで、たぶん今年の賞レースには乗らない。実際米国での批評家受けは良くない(伝記×新鋭には厳しい)んでオスカーふんたらは無いだろうが、いいじゃん。いい映画は個人の心ん中でいい映画なんだから。んんん・・早くブルーレイが欲しい。それぞれの立場でもう4回は観たい。
シネマシティ Jスタ
才能と創作意欲に惹かれるラブストーリー
「ラブストーリー」と呼ぶと誤解を生みそうで慎重さが必要だが、それでもこの映画のことは「ラブストーリー」と呼びたい。
日本語には「女房役」という言葉があるように、時に同じ目的を共有する者同士の絆と相性を、夫婦に喩えることがある。この映画に登場する作家と編集者のふたりも、さながらそのような関係を築く。互いの才能にほれ込んだ二人が衝突しながらも、絆と信頼の上で傑作を生みだし、しかし次第にすれ違っていくその様は、まるでラブストーリーの筋書きを借用したかのようであるし、作り手もそれを意識しているのでは?と思うような節もある。かと言ってBL的だということはない(その辺だけは誤解を招かないようにしないと)。ただ、作家と編集者の関係を描くうえで、その関係をロマンスに喩えたかのような表現の仕方というのはユニークであるし、それによって関係性が分かり易くなる部分もあり、なかなか悪くなかったかもと思う。
終盤の展開が随分と駆け足で、非常に重要な展開だったわりに実にあっさりと終わったような印象が残る。それぞれの意思がすれ違ったまま訪れてしまう絶対的な別れには、もう少し深みと余韻が欲しかったという気もするし、その言い足りなさを手紙でいいまとめてしまうというのも(文章で繋がれた絆であったとはいえ)ちょっと芸がないのでは?と感じた。
この映画はキャスティングが絶妙だ。何しろコリン・ファースとジュード・ロウだ。ファースは自身のイメージを利用して温かみのある堅物役を買って出て、のびのびと演じるジュード・ロウを受け止める側に立つ懐を見せるし、一方のジュード・ロウはブレイク直後の妖しさや野性味やそれと同時に持ち合わせていた純真さやロマンティシズムみたいなものを復活させており、久しぶりにジュード・ロウのイメージに近いジュード・ロウを見た、という感じがした(ここの所、どちらかというと「性格俳優」的な役柄が多かった)。この二人が演じたことで、作家と編集者の間に芽ばえた燃え滾るような絆と信頼がはっきりと浮き彫りになり、多少の物語の言い足りなさを補うだけの力強さと説得力が出たように思う。
実話を基にした作品だと、ただ歴史文献を読んだだけのような感覚で終わってしまう作品が多い中、この映画は実際の出来事であることを脇に置いても、二人の人間の友情と絆の物語として十分楽しめるものになっていた。その上で、トマス・ウルフの作品を読んでみたい、と素直に感じられる作品だった。
自由で刹那的で奔放な人
ジュードロー、コリンファース、ニコールキッドマンと役者揃いでした。
もともと実話を基にした映画が大好きだし、作家の人生、みたいなキーワードも大好き〔映画も読書も大好きだから〕そしてグレートギャッツビーも好き。
だから期待し過ぎてしまったのかなという印象です。
なんだろう、実話をベースにしているのに、あまり心動かされなかったのは、主人公の人生がまだ大事なものは何か、人生における苦しみ、のようなところにまだ至っていなかったからかしら、と思いました。
でも、最後のお手紙の部分は涙がすっと出たのはなんでしょう。
なぜこうも、刹那的で奔放な人って魅力的なのかしら、
天才作家の陰には偉大な名編集者の存在が。37歳の若さでこの世を去っ...
天才作家の陰には偉大な名編集者の存在が。37歳の若さでこの世を去った天才作家と名編集者の友情と苦悩を描いた実話です。
ジュード・ロウ演じる天才作家ウルフから溢れ出る膨大な言葉。
原稿を読むだけでもかなりの労力だと思う。
これをコリン・ファース演じるパーキンズが原作を失わず編集していく。
作家と編集者の信頼関係、作家の描く作品に共感出来る編集者との出会いがベストセラー誕生に繋がるんですね。
個性派俳優ジュード・ロウと演技派俳優のコリン・ファースの初共演。堪能しました。
赤鉛筆
編集者は大変。現代のプロデューサー
最近読んだ「校閲ガール」
最近観た「奇蹟がくれた数式」
かなり昔に観た「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」を思い出した。
赤鉛筆欲しくなります。削除することの大切さを教えてくれる映画
仕事で校正をすることがありますが、赤鉛筆で校正したくなります。
ニコール・キッドマンは怖い。
ジュード・ロウは最後は危うい感じ、なんか天才のステレオタイプのような気もする。
おおげさで、声が大きく、相手を傷つける、その方がわかりやすいんだけど
編集者って 凄い仕事だね 目利きってか...才能が無いと こうやっ...
編集者って
凄い仕事だね
目利きってか...才能が無いと
こうやって
作品が発掘されたり
世に出せるよう手を加えられたり
出来ないものね
ジュードロウ
物書きっぽさ出てて(笑)
良かったぁ〜
コリンファース
部屋の中でも
ずっと帽子被ったままなの
気になったなぁ
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