劇場公開日 2016年6月11日

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「不合理な男?そんなタイトル誰が見る」教授のおかしな妄想殺人 うそつきかもめさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0不合理な男?そんなタイトル誰が見る

2024年12月8日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

最近見た人間ドラマを描いた作品の中では群を抜いて面白い映画だった。
殺人を題材にしてはいるが、男と女の出会いと、別れ、不義、不実、倫理観の違いを照らし出す傑作で、見終わった後では誰かに話したくて仕方のない一本になることだろう。
「この映画、どう思った?」それは、真に罪があるとしたなら、動機のない教授よりも、動機そのものになった直情型の女こそが、なにより許せない、罪深き存在なのだと、確かめずにはいられないからだ。
現に私がそうなのだから。

許せない女。
教授の気をひこうとして、ありとあらゆるアプローチを試みる女。
好奇心旺盛で、恋愛に対する自信もあり、興味のあるモノには首を突っ込まずにはいられない。

そうして、生きる気力をなくした皮肉屋の教授に魅かれ、彼の著作を読み、授業を取り、恥ずかしげもなく愛を告白もする。
そしてついには肉体的関係を結ぶ。
その時付き合っている本命の彼から別れを告げられ、ある仮説にたどり着くが、それを突き止めた途端に、自らの正義感に従って、通報すると言いだす。

無害の、いや、無益のとでも言おうか、文字通り「役に立たない」男を犯罪に巻き込み、動機を与え、殺人者に仕立てた挙句、突き放すのだ。
妄想癖の教授から見た、この罪深き学生は、こんな風に映る。少なくとも、セックスに関してあまりにも直情的で、だらしない。

こんな奔放な女を、エマ・ストーンは直感に従って見事に演じ、我々観客をエンディングまで一気に連れていく。
彼女が演じた役とは言え、現実にいたら、ちょっと許せないし、男として軽蔑せずにはいられない。

ホアキン・フェニックスはどう見ても犠牲者。
さえない大学教授に過ぎないのに、彼を危険人物に仕立て上げ、それが成立したとたんに奈落に突き落とす。

映画の冒頭に、わざわざアルファベット順に出演者のクレジットが並べられ、終演後には登場順にキャストが並べられる。
それを見て、ある仮説に至った。
監督であり、脚本も自分で書いたウディ・アレンは、可能な限り順撮りで、この撮影を終えたんだ。と。

こんな繊細で、上質のドラマを、俳優たちが役柄の変化を追って、その役になりきれるように。
そのほうが、結果的に、作品の質を高められるし、早く撮り終わるんだと、知っているかのように。
もちろん、事実がどうなのかは私には知りようがないし、知ったところで何も始まらない。
でも、そう思うことで、ウディ・アレンの映画人としてのこだわりを感じられて、作品に対する理解も深まるのだ。

たぶん、何気なく食事をしていた時に、隣のテーブルから聞こえてきたのっぴきならない話に、気を取られ、そこから着想を得るなどしたのだろう。たまたま隣に座っただけの、それでいて聞き流せないほどの重みをもつ社会悪、これを放置していいものか?逆に、そこから犯罪行為に走るとしたらどんな男だろう?動機は?なんて思いつきを、一本の映画にしてしまうのだ。

最後に、見始めた時には日本語吹き替えで、気楽に見終えるつもりだったのが、途中から字幕スーパーに切り替えて見終えました。
この教授が、若い学生から好奇心たっぷりにアプローチを受け、誘惑されほど魅力的には、とても見えなかったから。
せめてホアキンの、声、セリフも含めて、女性が惹かれるものがあるとしたらそれを逃すまいと。

彼の演技、そして魅力は疑いようもないが、気取って魅力的にふるまおうとするその声が、どうにも鼻についたから。
だからこの作品に限っては、字幕スーパーのほうが、絶対に出来がいいと言い切ります。
吹き替えを担当した三上哲さんには、申し訳ないとしか言いようがない。

それから、邦題に関しては絶妙のネーミングだと言っていいでしょう。
これ以上、いじりようがないし、興味をひく、それでいてウディ・アレンのテイストを実に見事に表現したタイトルでした。
味気のない、「不合理なおとこ」irrational manなんてタイトルだけは間違っても避けたいところ。だって、そんな作品誰も興味わかないでしょう。

うそつきかもめ