「公開から10年後、日本人なら観ておくべき作品になった映画」スポットライト 世紀のスクープ ソビエト蓮舫さんの映画レビュー(感想・評価)
公開から10年後、日本人なら観ておくべき作品になった映画
日本で公開された2016年当時、
この作品を私が仮に観た場合、
アカデミー賞作品賞を獲った割には、淡々と進む地味な展開で、
日本人には、馴染みのない宗教背景がある国の、
イマイチピンと来ない、未成年への性加害事件を扱った、
遠い国の社会派映画の一つ、
というぐらいの感想しか、持てなかったと思う。
私は2025年初頭に、サブスクで観ているのだが、
たった10年で、日本の情勢や雰囲気が、ガラリと変わっている事に気づく。
今の日本人が観たら、面白いかどうかは別として、
決して無視のできない題材の映画として、
どうしても言語化し感想を述べたくなるに違いない。
熱心なカトリック信者が多数いるボストン地区の、
もっとも尊敬を集める職業であろう聖職者の多数が、
子供達を性欲の道具として捕食し続けてきたという、
認めがたく、忌々しくもある歴史を、
ジャーナリストの登場人物らが追っていくストーリー。
日本人ならば、連想せずにはいられない。
日本最大手のアイドル事務所の最高権力者、
ジャニー喜多川の、変態的な性欲の成れの果てであった、虐待の数々を。
聖職者たるボストンの神父たちと、
アイドル業界のドンたるジャニー喜多川の、
児童虐待の共通点。
それらは容易に複数見つけられるだろうが、
当事加害者の類似よりもむしろ、
両者の事件背景の類似のほうが、目をひく。
それは両事件とも、周りの人間が
「薄々気づいていること」だ。
薄々、気づいているのに無視し続けた事。
それ以前にも記事になっていたに、薄々感づいているのに、
大した事ではないと、思い込んでいる事。
両国のマスコミ記者たちも、
アメリカの司法関係者も、
日本の芸能業界人も、
ボストン市民も、
日本国民も、
誰も彼もが、
こんな気持ち悪い事件を、薄々気づいているのに、
気づかないフリをしている事。
あるいは、問題視できなかった事。
あまりに人間的に、醜悪で残酷な事柄や事実には、
人間はそうした軽薄な行動を取ってしまうらしい。
なんと恐ろしいことだろうか。
人間の倫理観なんて、所詮その程度なのかと、
諦観の思いに達する。
こうした類似共通点の一方で、
決定的な差異も見えてくる。
これらの忌々しい事件を、
アメリカ人は、アメリカ人自ら指摘清算できたのに対し、
日本人は、日本人自らの手で告発を促せず、
外圧の力によってしか、清算できなかった点だ。
日本人がアメリカ人よりも、明らかに劣っている、
最たる部分の一例だろう。
これは、性加害云々のみならず、100年単位で見た時に、
国力の差として、この差異は、
致命的な差として、色々な所で顔を覗かせるだろう。
ラスト付近の、局長のセリフを肝に銘じたい。
倍速で観てもいいから、
そこだけでも辿り着くように観ておきたい。
そんな作品だった。
レビューは上げていませんが公開時観て良かったと感じた作品で、昨年のJ問題とあまりにも似ているのは驚きですね。
うやむやに着地させようとする勢力が居たのも同じですが、世紀のスクープという邦題は的外れと思います。
大きな玉ねぎの下へのコメントありがとうございます。桜田さんは美人かなぁ?ミニラですから・・ふくれっ面が似合いますけど、いつか今田美桜さんの劣化妹を演ってほしいです。