「スコット監督による「2001年宇宙の旅」への挑戦の旅」エイリアン コヴェナント 井筒考庵さんの映画レビュー(感想・評価)
スコット監督による「2001年宇宙の旅」への挑戦の旅
映画.comへのエントリーが最近なので幾つかの過去作に遡ってレビューを記しておきます。基本的に全て劇場公開時の鑑賞。
前作のプロメテウスとともに、スコット監督がいったいなぜ、これを作ったのか? それ自体が興味深い謎解きの対象。
マイ解釈では、キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」@1968を視野に置き、スコット監督なりに表現舞台をSFに絞り、共通テーマを追究しているのだろうと。
共通テーマはずばり「超人」、あるいは「超人類」。アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」@1953がテーマ的には分かりやすいと言えそう。
これには技術的・科学的・文化的な底流が幾つかあると見ていて、順に、
1) 現実として、いわゆるAI (人工知能)の初期的な実装。(自意識を得るには、全く程遠いにせよ)
2) 世界を記述するベースとなる物理学のSF化。(実験による検証の難易度が爆上がりしていて、提出されている理論がSF設定資料集のよう、実在性に対する再解釈や関係性による事的世界観等も。)
3) ある種の宗教的/神秘主義的な背景としての、2000年紀の節目。イエス誕生からの2000年が魚座時代(人類の意識の向上)。次の2000年が水瓶座時代(平たく人類の進化、脱人類化)。(←書いていて自分では信じていない。歳差運動で春分点が約2000年ごとに黄道十二宮を移動していくことが事実であるにせよ。)ただ、水瓶座時代は両性具有の時代とも規定されているので、トランスジェンダー的な思潮が欧米でなぜ生じているのかは腑に落ちてくるところ。
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上記を踏まえて、プロメテウスやコヴェナントに戻ると、ヒロインとアンドロイドの約2名を除くと一目瞭然にほとんどの登場キャラの行動があまりにお粗末。さすがのスコット監督も寄る年波にはなのかと感じてしまうところですが、
そもそも人間を中心としたドラマを描こうとしていない、人間は脇役で人間としての多少の出来の良し悪しは誤差の範囲内・・とみなすと、納得がいけていしまいそう。
興行成績の不振でコヴェナントの続編は打ち切られてしまいましたが、「超人類」というテーマ自体は、「エイリアン:アース」で全く生きていて、シリーズとしてのリブートはアースによって大成功。
ps
1) 恐怖の源泉の1つは「未知」にあるので(←出所:楳図かずお)、エイリアンにせよプレデターにせよジェイソンにせよ、未知が既知になる第2作目以降は恐怖感が薄れてしまう。⭐︎評価の不利な要素が働く。
2) コヴェナントについて言えば、「超人類」というテーマ/設定を物語に十分に落としきれていないが、この作品がもしなかったら、「エイリアン:アース」@2025に繋がらなかったと考えると、コヴェナントは単独の作品として⭐︎3評価未満が妥当であったとしても、点数に反映したにくい役割を果たしていたように思えます。
