「エイリアン・ミーツ・ブレードランナー」エイリアン コヴェナント りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
エイリアン・ミーツ・ブレードランナー
宇宙船コヴェナント、それは人類移住計画の宇宙船。
2000人の移住者を乗せて、移住先の惑星を目指していた。
しかし、大型セイルでの充電中に予期せぬ衝撃波を受け、重大な危機が訪れる。
船長を事故により喪った船は、近くの惑星から未知の電波を受信する。
それは20世紀に流行したジョン・デンバーの曲『カントリー・ロード』。
発信源を調査すると、そこは地球に似ていた。
新たな船長の判断で、その惑星に進路を取る・・・
というところから始まる物語で、出だしからして、なんとかならないものか・・・と残念な展開。
「飛んで火にいる夏の虫」「殺人鬼が待ち受けるサマーキャンプへやって来い」といわんばかりの安直さ。
前作『プロメテウス』のラストで、エイリアンの卵(らしきもの)を携えたアンドロイド・デヴィッド(マイケル・ファスベンダー)がエリザベス・ショウ(ノオミ・ラパス)が恐怖の惑星を逃げ出しているので、コヴェナント号がデヴィッドと遭遇しない事にはハナシが始まらないにしても、だ。
さらに、コヴェナント号にもアンドロイド・ウォルター(マイケル・ファスベンダー二役)が搭乗しているので、はははんと先の展開も読めてしまう。
そんな杜撰な展開なので、愉しみはエイリアンの暴虐ぶり・・・といいたいところだが、そうではない。
たしかに、エイリアンの暴れっぷりは凄まじいが、それ以上に、映画の主題が元祖『エイリアン』からずれていったところが興味深い。
前作『プロメテウス』で描かれた「人類の起源は何処か」をさらに進めて「生命とは何か」という主題が展開される。
神話の「プロメテウス」は人類に火を与えた神とされるが、人類を創造したものとの説もある。
また、劇中、ウォルターと出逢ったデヴィッドが諳(そら)んじる生命に関する詩は、シェリーのもの(デヴィッドはバイロンの詩だというが、ウォルターが過ちを正す)。
さすれば、シェリーの妻メアリーが書いた小説『フランケンシュタイン』を思い起こすのは必定。
このアンドロイドふたりが詩について交わすシーンの奥底にあるものは「生命ついての疑問」。
おぉ、リドリー・スコット監督もうひとつの傑作『ブレードランナー』と同じものではありますまいか。
こんなところで、出逢ってしまった『エイリアン』と『ブレードランナー』。
なので、もう安直な展開も読める展開も全部許す。
許さざるを得ない。