ふきげんな過去のレビュー・感想・評価
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反物語を「進行」させる無理、を通す
ふつう、主人公は、のっぴきならない問題を抱えることで観客の好奇心を掴み、それを解決していこうとする過程と葛藤が、観る甲斐のある物語となっていくのだろうし、それはあってしかるべき。物語のことばかりが映画ではないのはわかった上でも。
この主人公=二階堂ふみには、どんな降りかかる問題らしきこともすべて「あーやっぱりね」というように、鼻で笑って流していく。作中の人物たちもこの無敵風情の主人公に対して「これがお前の問題」と斬り込んでいくのだが、ことごとく、ダメ。物語になっていこうとしない。
我々客は、最初のシーンから、この主人公は何だか知らないが、何かしらに問題を抱えているらしいのはわからされているから、前のめりで観始めている。だが、この主人公の住む、家族、女たち特有の、一体感あるおしゃべりの強乾燥リズムと、登場人物たちのたたずまいに、その白い肉体の群れに、喜び、楽しみ、熱を持ち、つまり同時に、物語的には肩透かし受け続けていることの、いやな予感している自分に気づきながらも「まあいい」追いやって遠ざけてしまい、会話の面白さや女と男のいる風景、などという、違うことに前のめりになってみたりする。
これでは好奇心の保持期限、切れてしまうらしく、もううんざりとしている自分がまた片一方にいることに気づく。いやな予感が強くなっていく。主人公の反物語性は、ただ思春期の女の子だからという部分もあるとしても、それは誘い水で、のちに誘われて観ていくと、思春期性のものなど超えている厭世観であることがわかる。が、その矛先がよく分からない。主人公も見えずに、苛立ち、呆れ、うんざりとしている。どうしたらいいのか。分からないままの時間が流れていく。
だがなんと、主人公のうんざりと観客である私のうんざりとが、合致する瞬間が来る。問題抱えた大人たちを、「お前ら、たかが物語性だろう!」、こう罵倒する瞬間が来る(こんな台詞はない。が、こういうことを言っている)。それへの、感動的合致の生む興奮の、それだけのために、じっくりと、いろんな意味で前のめりさせられ、同時にうんざりもさせられる続ける。
一筋縄ではいかない、不思議な映画。観ているとき笑いまくったが、後から考えれば実は全部笑えないような気もする冷ややかさもある。夏の映画だから浮かされた。これが巷で流行の反物語物語の成功例かと思う。
こんな感想でいいのかすらよく分からない。自分だけ深刻すぎるようだが、それはただあなたが気づいていないのだ、とも言いたい。
ビニール傘の音、正体不明の豆、動かぬ赤子、友人を怒ってる理由、何の仕事で汚れているかわからないシャツを着た男の義足、屋上の男...。この映画、ちょっとだけ不安にさせるのが上手い。
ちょっと不思議な現実。地面から少し浮いたところの話というか。どこかずれてるというか、シュールというか、お茶目というか。
どう説明したらいいか考えていたが、「いつまでも秘密基地で遊んでる大人」って感じかな?
舞台挨拶で板尾が「子供の時は仮面ライダーになりたかった」と言っていたが、未来子もまだ子供の時になりたかった何かになりきったままなのかも。
どうなるか先が見える未来なんて、すぎさった過去をやり直しているようなもの。そんなことを考えていそうな果子が不機嫌なように、未来子もずっと不機嫌な青春時代を過ごしていたのだろうな。
で、爆弾を作ることで、先の見えない未来が目の前に現れて、いてもたってもいられなくなって、どこかへ飛び出したのだ。たぶん、あのラストの果子のような笑顔を残して。
台詞は、ひとつひとつがよく練られていて、言葉だけでなく間や強弱や顔の向きやらが、極上。向田邦子を思い出した。面白い映画です。
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