「アリスらしくない」アリス・イン・ワンダーランド 時間の旅 SP_Hitoshiさんの映画レビュー(感想・評価)
アリスらしくない
前作でも思ったことだが、とにかく「アリスらしくなくて」面白くなかった。
原作のアリスの面白さは、既存の常識や価値観を平然と逸脱していく面白さだと思う。
不思議の国や鏡の国の住民や世界の法則が、何もかも現実とは違っていて、世界の前提が根底からくつがえされる感覚のめまい、サイケデリックさ。
そしてアリス自身は、現実世界では空想癖のあるかわりもので、皆とはなじめない。だから、不思議の国のへんてこさはアリスの精神世界でもあるし、アリスを肯定してくれる世界でもある。
子供はみんな、アリスに多かれ少なかれ共感する。空想癖は子供の特権だからだ。そして、空想を語って大人にたしなめられるところも。
サイケな感じは昔のアニメでも表現されている。とくにチェシャ猫やアブソレムの表現はすばらしい。
しかし今回の映画のアリスは、むしろまるで道徳の教科書のように、現代の常識と価値観に縛られている。常識を疑ったり、常識の反対を言うことで、逆説的に本質的なものへの思考を示唆する原作の深さとは比べようもない。
アリスは男女差別に負けない有能な女性実業家。アリスだけが正常で、周りの人間は無能か悪人。アリスの方が常識人なのだ。
ワンダーランドも、キャラクターの過去や家族が描かれ、一貫した筋道の通る世界に構築しなおされている。こんな、普通の感覚の住民が普通に暮らしてるだけの、単なるファンタジーの世界、アリスではないよ。
現実の世界とワンダーランドの関係も、わざわざ境界をはっきりさせる演出をしている。そこがあいまいだからこそ、ワンダーランドが本当にあるかどうかわからなくて面白いのに。
アリスの仲間たちもみんないい人ばかりで協力的。何考えてるか分からず、敵か味方かも分からず、超然としている、というようにした方が面白いのに。
もしかして、子供向け映画では道徳的な内容にしなければならない、という圧力があるのかな。
チャーリーとチョコレート工場は、道徳的ではないブラックな感じが面白かったんだけど、そういうのを批判する人もいるのかもしれない。
あと、根本的に主役のアリスに魅力が無いように思った。だって単なる優等生キャラなんだもの。赤の女王や白の女王の存在感の方が際立っている。ジョニデのマッドハッターも、とくに面白いキャラには見えない。
映像はさすがに良かった。
クライマックスの、時間が破壊されていってワンダーランドが滅びていくところは素晴らしかったと思う。
■追記
原作がどんなだったか読み返したくなって、不思議の国と鏡の国を読んでみた。
昔に読んだのは子供の頃で、アリスに近い年齢、そして今は、著者に近い年齢ということが理由なのだろうが、作品の印象がとても違っていて驚いた。
子供の頃は、奇妙な発想を肯定してくれる、子供のことをわかってくれる楽しい作品、という感じだったが、大人になってから読むと、大人目線で子供の天真爛漫さをかわいい、かわいい、と愛でる感じの作品にみえる。
この映画のテーマが、「時間」というのは、原作の「鏡の国」の本質をとらえているようで、いいセンスしてると思った。
「鏡の国」は、「不思議の国」と雰囲気が違って、もの悲しげな終わり方をしている。子供の頃のあの甘美でキラキラしてあまりに美しい日々は過ぎ去って、もう二度と帰ってはこない、という郷愁がある。
時間とは非常なものだ、悲しいものだ、というところをもっと掘り下げられたら、もっと印象に残る作品になったんではないかと思う。
それこそ、ワンダーランドは大人になったらもう二度と行けないとか、ワンダーランド自体が完全に消滅してしまう、くらいのことが起こらなければ…。
それにつけても、「アリス」に女性の社会進出のテーマが入るのは、本当にミスマッチだと思う。まあ、そもそもだけども、大人がアリス役な時点で…。原作を読んでますますそう思った。