映画 聲の形のレビュー・感想・評価
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心が痛みました。゚(゚´Д`゚)゚。
イジメのシーンは、正直見ていて辛かった(´⌒`。)
こういうイジメって、実際あるんだよね。
植野さんや川井さんみたいな子、居る!!居る!!ヽ(`⌒´)ノ
この映画は、現役の学生さん達に是非観て欲しいな。
きっと、いろいろ考えさせられると思う( ´﹀` )
いい子たちがいっぱい
ナガシマスパーランドに初参戦予定でこの映画にナガシマスパーランドが出るらしいとのことで鑑賞。あまりこういう映画は見ないのだが、いろいろ考えさせられる映画だった。それぞれの立場の気持ちもわかるわーって感じ。人が集まるといろんな感情が入り交じって難しいなと思った。
寄り添うことの奇跡
人と人のコミュニケーションの困難さが痛いほど心に刺さった。不器用な登場人物ばかりだったが、ラストは安易なめでたしめでたしの恋愛エンドではなく、困難を知りながら寄り添っていこうとする二人を見れて本当によかった。
いじめの悲情さ
この作品を観て感じたことは、耳が聴こえない人と健康な人が、意思を通じ合わせるのは難しいことだけど、通じ合わせようとすることがいろいろな人にとって大切なことなのだと思いました。人にはそれぞれ個性があり、みんな一人一人違うものをもっています。それが西宮硝子の場合は耳が聴こえないというものであっただけで、それ以外は他と何変わらぬ人であるとあうことであって、差別は良くないし、石田将也の場合も同じであり、みんなにとめられずにエスカレートしてきたいじめを一人で被り、善人になっていくのも石田将也の持つ個性だと思いました。この作品を観て考え方が変わりました!この作品には129分の中に沢山共感できたり、納得できたりと、様々なけれど内容の分厚いものがありました。この作品は感動します!
でもはっきり言うと、
「物語としては完璧。しかし映画としては不完全。」
だと思いました。なぜかと言うと、物語はとても良いと思います。しかし映画としては設定が不十分だったり、説明のないまま物事が進んでいったりしています。しかしそれは表現で大抵はカバーできてると思うので、作品としてもとても良いものだと思います。漫画原作の作品なので、漫画でしか表現できないもの、逆に映画でしか表現できないものがあったのだと思います。
心をかき乱された
評判がいいという事前情報だけでたいして考えもせずに観賞。レイトショーでこの混みっぷりは何みたい感じでした。
予想外どころでないくらい心をかき乱されました。
40を大きく過ぎてるおっさんがアニメみてここまで泣けるなんて。
子供は純粋無垢である反面で残酷です。
聴覚障害者の硝子はいい子を演じてるとか、空気が読めないんじゃなく、健常人の社会で生きるためにこうなってしまってるというのを理解してほしい。担任も石田を糾弾すれば責任を全うしたような姿勢。とんだクズ野郎だ。
石田が孤独になり一人でいろいろと考えることにより贖罪の念が増殖してきたのがわかります。高校生になりアルバイトできるようになって母が払った補聴器の弁償代を清算し死のうかと。死にきれなかった石田は、たまたまヤンキーにからまれていた長塚を助けたら、ものすごくなつかれて。この長塚の存在が石田の再生のターニングポイントだと思います。長塚には石田もうざいと思いながらも相当助けてもらいます。
硝子は石田の事を好意はあっても何一つ恨みなんてもっていないです。硝子は悪口かかれた会話ノートをいまだに大切にしてるんだから。
地方都市という共同体にいれば過去を引きずります。過去にしたいじめにしても、過去に受けた愛情に関しても。こえのかたち、夏の終わりに凄い物語に出会ってしまった。
尺足らず
原作読まずに映画館へ。「なんかしっくり来ない」「登場人物達誰にも感情移入しずらい」とモヤモヤした。帰ってWikipediaを見たところ、「そうか、こういう意味だったんだ」「それぞれのキャラには、こういった背景があったのか」とようやく気付くことができた。
原作読んでない組ですら、尺が足りないことが伝わってくる内容だった。前編後編にわけるのも難しいだろうし、映画でなくて1クールのアニメでやるべきだったんじゃないかなー、と。
カメラの子がひたすらかわいいのが救いだった。
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2回目(9/23川崎チネ)で、3.5→4.5点へ修正。
修正した理由は「良かったから」とか「感動したから」ではなく、「考えさせられた」。
西宮母が「あの子(石田)と関わるのはもう辞めなさい」と釘を差したとき、ゆづるが「それはねーちゃんが決めることだ。オレも自分で決める」と呟いた。普通、ひどいことをされたとき、被害者の身内や友達は一緒になって怒るものだ。が、この物語では、被害者自身が加害者を許してしまった。そのとき周囲はどう対応するのが良いのか?という視点で映画を見ていくと、それぞれのキャラごとに見解がはっきり見えてくる。この作品の一つの問いかけだと思えた。
ゆづるが「自分で決める」のに対し、対照的だったのが植野。植野は、6-2がバラバラになり石田がイジメられたきっかけが西宮にあると考えている。そこに追い打ちをかけるように石田が死にかけた。すると石田がどうであれ西宮を許さないスタンスを取った。
高校編では、真柴は昔石田がイジメてたことを知ると許さないスタンスを取った。対する長束は「やーしょーが昔どうであれ友達だ」と言った。これに対し、石田は「部外者は口を挟むな」「昔の俺を知らないくせに」と拗ねた。
綺麗事を言えば、ゆづるの「自分で決める」のが理想だとわかる。しかし、心情的には自分の大切な人が傷つけられたとき、たとえ本人が許しても周囲が許せないことはよくあることだ。最近のネットの揉め事でも、当事者達は和解しているのに周囲が怒ってアンチとして暴れているのを見かける。そうした加熱に対してちょっと待った、とストップをかけてくれるのがこの映画になって欲しい
コミックスでは感じられなかった感覚
別にコミックスよりもアニメーションの方が良いと言う訳ではなく、前者では感じることができなかった心の臓を抉られる様な感覚が、後者ではその感覚が心地よい不快さ演出する。この不快さが最後には感動とも達成感とも言えないプラスの感情へと昇華され、知らぬ間に頬が濡れていた。つまり僕はこの映画が大好きでおすすめしたい。
原作読んだ場合…
原作を読んでいる方は期待外れかもしれません。小学生時代の硝子が机を拭くシーンの将也の解釈、佐原、植野達との再会など原作の良い部分が無くなってました。この作品が大好きなので…それでも原作を読まれて無い方には良かったのでは。時間が少なく仕方ないですね。
あの頃はガキだった
私は原作マンガを読んでいたのでストーリー展開は知っていましたが、見てよかったと思いました。
京都アニメーションなので水の流れの映像も綺麗で、登場人物も可愛くて観やすかったです。
登場人物それぞれの心情が仕草や表情から読み取れて、ストーリーに入り込めました。
いじめについて考える機会にもなりました。
好き嫌いはあるかもしれませんか、見て損はない映画になってます。
原作知らない方も是非、暖かい心で見る事をオススメします。
原作を読んでいなかったので
私はこの映画を原作を読まずに観ました。普通に楽しめる映画でした。
ですが、私と一緒に観に行った友達は原作を全て読んだことがあったようで、その友達いわく原作を知っているとあまり面白みがない映画だそうです。
原作を読んだことがある方は要注意かもしれませんね。
心が揺れる揺れる
一度閉ざしてしまった心を開くことや、
一度犯した失敗を取り戻すことは、
簡単なことではないけれど、
変わろう変わろうと、悩んで、もがいて、笑って、叫んで、、、登場人物たちのそんな姿を見て、胸に響くものがありました。
大人と子供の境界にいる、高校生たち。
不器用ながらも日々成長していて、
彼等のこれからがとても気になりました。
顔に貼られた×印が、とれたり戻ったりする描写が、
主人公のこころを上手く表していると思いました。
また個人的にはゆずるちゃんの優しさにジーンときました。苦しんでいるのは、張本人だけではない。
なんか上手くまとまらない…笑
制作側の意欲がビンビンと伝わってくる作品でした
すごい。なにがって、このいじめをテーマにした漫画を映画にしようとした意欲がすごい。「君の名は」の成功のすぐ後だけにそれに便乗したかのような向きもあるが、むしろ、公開が逆であったとしたら、その風潮は逆であったかもしれない。それほど、この映画の力はすごい。
アニメならではの表現(バッテンで心理描写を表現するなんて絶妙だ)も駆使するし、風景のひとつひとつ(季節や川や鯉だけでなく、遠近やボカシも含め)が心情表現に一役買っている。引き込まれっぱなしだった。
そりゃあ初めは石田は悪い。だけど、子供って残酷な生き物なんです。放置すれば、どんどんエスカレートするんです。だって、それが人生を歩き始めたばかりの経験の少ない子供なんですから。
だからこそ、周りの大人がよく見てあげていることが肝心なのに。たとえば、硝子のおばあちゃんのように。硝子のお母さんは、硝子の障碍を我が罪として背負い、その反動で硝子に厳しくなっていたのはわかる。その根底にあるものは愛なのだから責める気はもちろんない。島田にしても植野にしても川井も佐原も、まだ幼い子供だった。僕が責めたいのは、担任の先生だ。校長(か?)が硝子の転校を告げたとき、担任は石田を名指しした。つまり、担任はそれを以前から知っていて放置していたのだ。コノヤロウと思った。むしろ事態を改善できなかった責任こそあれ、石田をヤリ玉にあげるのは筋違いなのだよ。気配りのできないあんな担任のクラスに入ったことが残念でしかたがない。
ともあれ、それは過ぎたこと。
場面場面で、「お前ならどうする?」と突きつけられるようで、ヒリヒリする。お前がこのときの硝子なら?、お前がこのときの石田なら?、お前がこのときの植野なら?、、そのときそのとき、まるでナイフで脅されているかのように突き付けてくる。
正解なんてでない。せめて、人を傷つけることのないように、と気遣うことしかできない。あ、石田はそうして、自分を抑え、殻をつくるようになっていたのだろうか?、孤独になってからの石田の優しさに見える行動は、人との接触を避けたいだけの態度だったのか?
だからこそ、最後のあの晴れ晴れとした表情が、よかったじゃないか、と声をかけたくなってくるのかもしれない。
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