「監督も脚本家も「確信犯」」映画 聲の形 E.T.さんの映画レビュー(感想・評価)
監督も脚本家も「確信犯」
先行上映会で鑑賞。予想以上の出来映えに満足。だが原作ファンの誰もが「なぜ●●をカットしたの!」と嘆くだろう。
全7巻を129分に凝縮するにあたり、監督・脚本家は内面描写を主人公2人に限定し、他のキャラたちの背景・内面描写をあえて切り捨てた。
結果、原作を読んでいない人には、各人の言動が不可解で表層的に映るかもしれない。原作を知る者としては、物足りなさ・もどかしさで悶絶してしまうだろう。
だが原作漫画に描かれた各人の内面は、将也・硝子には決して届かない「心の声」である。映画を見て感じる「不可解さ・もどかしさ」は、将也・硝子から見た各人の姿そのものである。各人の内面描写を不十分にした分、観客は「将也目線」でのいらだちを追体験することができる。
健常者だから、言葉を駆使できるから、内面をすべて伝えられるわけではない。むしろ、言葉を駆使できるからこそ、取り繕って、ウソも交えてしまう。
音声の「声」を伝えられない将也と硝子は、だからこそ必死で自身の思いを伝えようとし、相手の思いを読み取ろうとする。
周囲の仲間は、音声の「声」を発することができる分、心の内の「声」からは遠ざかってしまう。
この作品は、コミュニケーションとディスコミュニケーションを描いた映画である。
あえて「描かない」ことによって、ディスコミュニケーションを観客に痛感させる構成を選択したのではないか。
おそらく「確信犯」。不満を抱いた時点で、私たちは監督・脚本家の術中に見事にはまっているのである。
★一緒に見た中3の息子の感想。
「面白かったけど、11話テレビアニメで完全版が見たい」
原点0.5点は、未だテレビアニメ化が発表されていない事への不満表明です。