ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそのレビュー・感想・評価
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あなたがあなたであることが、この世界に多様性をもたらしている
フレデリック・ワイズマンは、ナレーション、テロップ、インタビューなどを入れないスタイルで知られるドキュメンタリー映画の巨匠である。
近年は美術館モノを多く撮っていたのだが、本作ではニューヨーク市クイーンズ区にあるジャクソンハイツというエリアを題材に選んだ。
このエリアは人口の半分以上が移民で、ここでは167もの言語が話され、LGBTのコミュニティもある、という、まさに多様性を体現する街だ。
ちなみにニューヨークが舞台のドキュメンタリーなのに、作中、最も耳にする言語はスペイン語である(多分)。
本作は「街ドキュメンタリーの傑作」と名高い。
コミュニティだとか多様性に関心がある人は観て損はない。
本作、長い。
189分。
上述の通り、ナレーション、テロップなどはない。説明もなく、普通の市民たちを見せられる。初めは文脈が読めず、戸惑うことになるだろう。
シークエンスの多くは何らかの市民集会だ。そこで誰かが発言している。メキシコから国境を超えたときの苦労、小さな商店が再開発でモールから立ち退きさせられることへの抗議、LGBTの集会場をどこにするか、などなど。そこでは、さまざまな問題についての話し合いが行われており、収録されている発言の多くは何らかの訴えであり、大抵の場合、発言者は長々と話す。
始めは、その問題に思い入れを持てず、背景もよく分からないため観る側はツラい。しかし、やがて、取り上げるテーマがいくつかに収斂され、この街が直面する課題が浮かび上がっていく。
と、ともに、気付くのだ。
多様性を尊重するということは、そして、コミュニティを支えるのに大切なことは「聴くこと」なのだと。
本作を観ることは、ひたすら、さまざまな人(多くはマイノリティの人たちだ)の意見を聴くことでもある。
気付けば、スクリーンの中の集会の参加者たちも、皆、人の話をよく聴いている。カメラはよく、そうして話を聴いている人たちを映し出す。
世界には、いろいろな人がいる。
そして、いろいろなことを話している。
他者が話すことのすべてについて、私たちは背景や文脈を理解するわけではない。なぜなら、私たちは多様だからだ。
それでも、お互いの言葉に耳を傾ける。
それこそが、多様性を尊重するということなのだ。
だから、この映画を観るという行為そのものが、劇中のさまざまな人たちの意見に耳を傾けることになる。その結果、あなたもメタシアター的に、ジャクソンハイツの多様性を支える一員となるのだ。
劇中、感動的なセリフがある。
南米からの移民たちの集会での一場面。移民に対し、役所は何かと冷たく、そして不自由が多い。それに対して、こう言うのだ。
「私たちは、決してアメリカから何かを奪うために来たんじゃない。私たちは、この国に多様性をもたらしている。そうして、この国を進歩させたいんだ」
そうなのだ。
あなたがあなたでいることを諦めたら、その瞬間、この世界は多様性をひとつ喪う。
上記の場面は、映画の後半に登場する。
前述の通り、本作を観ることには、さまざまな人の話を聴くという行為が内包される。
多様性あるコミュニティを育むためには、他者の言葉に耳を傾けることが大切。しかし、「聴く」だけでは足りない。
後半になって、あなた自身も多様性を発揮する必要がある、とワイズマンは伝えているのだ。
なんと巧みな構成か!
そう、あなたがあなたであることもまた、多様性の大切な一部なのだ。
そしてワイズマンは、スクリーンのこちら側にいる私たちをも、このジャクソンハイツのようなコミュニティで生きることに誘(いざな)うのである。
多様性を反映して、シークエンスの合間に流れる、街で撮られたさまざまなジャンルの音楽も魅力的。
傑作である。
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