灼熱のレビュー・感想・評価
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戦争に否応なく巻き込まれる恋人達の悲劇、葛藤、そして希望を描く
ダリボル・マタニッチ監督(出生地クロアチア ザグレブ)による2015年製作クロアチア・スロベニア・セルビア合作映画。配給:マジックアワー。
ウクライナ戦争に関連して、争いが絶えないバルカン地方の歴史に関心が生まれて、視聴した。旧ユーゴスラビア地域の映画は初めての体験で、興味深く見ることができた。
クロアチア人とセルビア人との間で起こった内戦を背景に、3つの時代(内戦勃発時の1991年、内戦後2001年、及び2011年)のクロアチア人とセルビア人の3つの恋愛物語を見せる。舞台はクロアチア(旧セルビア人自治区)のアドリア海に近い村。何れの物語も、ゴーラン・マルコビッチがクロアチア人男性、ティハナ・ラゾビッチがセルビア人女性を演ずる。
第1話では、とても仲良い恋人が、内戦勃発により周囲の冷たい眼に晒され、街に駆け落ちしようとする最中、クロアチア人彼氏(イヴァン)は彼女(イェレナ)の同胞セルビア人により殺される。集落と集落の境目で住民達がいきなり戦闘モードに入るのが何とも自分的には驚きだが、まあ日本でも類似する様な朝鮮人虐殺は過去あったことを思い出す。兄に止められて、現れない彼女に向かって、イヴァンが吹くトランペットの音色がもの悲しく、彼の死を知り絶叫するイェレナの姿が痛ましい。
第2話では、兄をクロアチア人に殺されたセルビア女性ナタシは内戦後クロアチアにある痛んだ家に帰ってきたが、クロアチア人に対する増悪を強く持ち続けている。ナタシは、家修理の来てくれていたクロアチア男性ナタシへの強い意識を打ち消せず、修理最終日に衝動が抑えきれず、襲い掛かる様に関係を持つ。しかし、その自分を認められず男からのキスは拒み、男を追い出す。去っていく男を見送るナタシの姿が、過去の痛みを完全に消せずにいるセルビア人のクロアチア人への思いを象徴か。
第3話では、都会の大学生クロアチア人のルカが、妊娠しながら母親により仲を引き裂かれたセルビア人女性マリヤの元を訪ねる。最初の訪問では拒否されたが、ドラッグも入った乱痴気パーティーを明け方に抜け出し、彼女の家の前で座り込む。家の中には幼い息子もおり、ルカをじっと観ていたマリヤにより家のドアが開けられて、映画は終わる。
3つの物語で紡いだ長い民族紛争史を乗り越える未来を想わせる、とても素敵なラストであった。
主役2人のみならず一部家族も同一の俳優が出演する3つの物語で、テーマをより強調する手法を、新鮮に感じた。そして、クロアチアの誇り?の青さが美しいアドリア海が登場することも3物語で共通。前2話では2人で泳いだのだが、3作目ではドラッグでハイになっていたルカが1人で海で泳ぐ。そして、アドリア海に触れたことが契機になってか、マリヤの家へ赴く。
製作アンキツァ・ユリッチ・ティリッチ、脚本ダリボル・マタニッチ。撮影マルコ・ブルダル、美術ムラデン・オジュボルト、衣装アナ・サビチ・ゲツァン、編集トミスラブ・パブリッチ、音楽アレン・シンカウズ ネナド・シンカウズ。
出演はティハナ・ラゾビ/ナタダド(イェレナ/ナタシ/マリヤ、クロアチア女優)、ゴーラン・マルコビッチ(イヴァン/アンテ/ルカ、クロアチア男優)、ニベス・イバンコビッチ(イェレナの母/ナタシャの母、クロアチア女優)、ダド・チョーシッチ(イェレナの兄ボスニア・ヘルツェゴビナ男優)、
スティッペ・ラドヤ(ボージョ/イヴノ)、トゥルピミル・ユルキッチ(イヴァンの父/ルカの父)。
属性、特にたまたま生まれた場所、民族の属性に、過剰に自らのアイデン...
属性、特にたまたま生まれた場所、民族の属性に、過剰に自らのアイデンティティーを投影するとロクなことにならない。まず、個が不安定だから、自らの属性が優れてるという思い込みで、根拠の無い自信を持つ事が始まり、他の属性に対してマウントを取るようになる。そして差別が始まり、お互い喧嘩になる。規模が大きければ戦争・・・。日本凄いとか言ってる輩は危ないと思う。世界中 どの国も色々凄い。
クロアチアとセルビア
映画は知らない国を知る窓
行ったことも行くこともない国を垣間見る
知らないことが多すぎるあたし…60年も生きてるのに
この映画自体は複雑な心境を粘り強く描いていることと、その土地の風景を見せてくれていることで見て良かった
もっと良かったのは
この映画の公式サイト
大変詳しく旧ユーゴスラビアからそれぞれの民族が独立して行くこと、その歴史の背景を説明してくれている
自分の理解としては浅いかも知れないけど
この周辺を把握できたことはとても為になった
【”民族とは何であるのか。何故に異民族同士は争うのか・・。”という難解で深遠なテーマを斬新な構成で描いた作品。だが、この国で大多数を占める大和民族の男にとっては真の理解は難しいと思った作品でもある。】
ー 今作で1991年、2001年、2011年の三つの時代で描かれるセルビア民族の女性と、クロアチア民族の男性の愛憎の物語を”日本と言う島に住むほぼ同一民族である、大和民族の男”が真に理解することは、非常に難しいと思った作品である。ー
■この作品の構成は、観れば分かるが、クロアチア民族が旧ユーゴスラビアからの分離独立及び、クロアチア人とセルビア人との民族対立をめぐって起きたクロアチア紛争が始まった1991年を皮切りに、
紛争が表面上終結した2001年
近代化が進み紛争の面影がバルカン半島から表面上、ほぼ消えた2011年
を舞台に、セルビア民族の女性と、クロアチア民族の男性の3つの異なる愛憎の物語を、同じ俳優2人が演じている。
当時の資料では、それを”1つの愛の物語 2つの民族 3つの時代”と表現している。
◆感想
1.1991年の物語
・民族紛争勃発前夜に永遠に引き裂かれた男女、イヴァンとイェレナの哀切極まりない姿を描く。
ー 3つの物語の中では、民族間紛争の哀しさを最もシンプルに描いている。愛する女イェレナを遠目に見ながら、トランペットを吹くイヴァンの姿と銃声が哀しい。ー
2.2001年の物語
・クロアチア紛争は、表面上は収まったが、セルビア民族と、クロアチア民族の間に出来た溝は埋まっていない事が、兄をクロアチア人に殺されたナタシャと、父をセルビア人に殺されたアンテの恋の中で、痛切に描かれている。
ー ナタシャが思い出の海岸にアンテと行った際にお互いに口にしてしまう、”言ってはいけない言葉”が哀しい。ー
3.2011年の物語
・平和を取り戻した現代。
過去のしがらみを乗り越えようとするセルビア民族のマリヤとクロアチア民族のルカ。
ー 二人の間には幼き子供がいながら、過去の二人の間の出来事を乗り越えられない姿。ー
<日本と言う小さな島で圧倒的大多数を占める大和民族(他は、アイヌ民族と琉球民族であるが圧倒的少数民族であり、且つ差別の対象であった。)に属する者にとっては、今作が訴えかけてくる”異民族同士は、何故に争い合うのか”という難解で深遠なテーマを真に理解する事は、難しいと思った作品。
同一民族でも、大国の思惑により長年対立し続ける朝鮮民族や、ロヒンギャの様に、近年まで存在自体を否定されつつあった民族。
民族とは、一体何なのであろうか。
ヨーロッパの火薬庫と呼ばれたバルカン半島で、数世代に亘り、民族間紛争を経験してきた家系の人間でないと、本作の本質を理解することは、非常に難しいと思った作品である。
但し、映画として観た場合には構成の特異さや斬新さ、3つの時代を生きた異なる男女役を演じたゴーラン・マルコヴィッチと、特にティハナ・ラゾヴィッチの姿には強烈な印象を抱いた作品である。>
<2017年9月10日 京都シネマにて鑑賞>
<2021年9月12日 別媒体にて、再鑑賞>
三つの物語だが
1991年と2001年は、連続した内容として設定されている
2011年は1991年の登場人物と設定を一部使ってるが、別のお話
とても綺麗な映像で、クロアチアセルビアの景色が堪能出来る
カメラマンと監督は流石だ
同じテーマの3つの物語
ユーゴスラビアの独立に伴ってのクロアチア人とセルビア人の紛争が映画の背景となっている。クロアチア、スロベニア、セルビア合作、2015年の作品。
物語は1991年、2001年、2011年と10年ごとにそれぞれのセルビア人とクロアチア人の悲劇、苦悩、憎しみ、愛欲などを描いたオムニバス形式で進んでいきます。最初はつながっているものと思ってみていて、「あれ?どうなっているんだろう」と思いました。2章の途中で多少、調べて「別々の物語か」と気付きました。主人公女性と男性は同じキャストで別人を演じていますが、共通テーマを扱っているので、それが功を奏していました。
静かなんだけど、内に熱いものを秘めているような映画だった。主人公のティハナ・ラゾビッチは、美人じゃないけど、すぐに爆発してしまいそうな強い負の感情を持っているような女性を上手く演じていたように思います。2章では、性の衝動にまかせて、秘めた気持ちをぶつけるような行動に出るのですが、「愛」はあったのかな?と思ったりしました。最後に修理工のクロアチア人男がトラックで去っていくところをひそかにながめているようなので、成就できない想いだったのか…と。
エンディングは本当に静かでした。
扉が開かれ、男性が女性に寄りかかり、多少、救いがあったのかと。
ストーリー性はありませんが、始終、緊張感のようなものがはりめぐらされているので、退屈することなく見ることができました。
実際の民族紛争などが詳しく描かれているわけではないので、登場人物の心理描写と時代背景を想像しながら、何かを感じていく映画かも。
セルビアとクロアチア
同じ村にセルビア人地区とクロアチア人地区があった。
セルビア人の女性とクロアチア人の男が恋に落ちるが、男はセルビア人に射殺されてしまう。
10年後、内戦が終わり女性は村に戻ってくる。
兄はクロアチア人に殺されたらしい。
壊れた家の改修にやってきたのがクロアチア人の若い大工さん。
日常に戦争が入り込み、人生を変えていく。
海は青いのに
1991年、2001年、2011年の3話構成。
一話目は特に、民族間での争いが決定的になる中で起きる悲劇。あまりの理不尽さに腸が煮えくり返る。
続く2つの物語は戦争の傷を抱えた者の話。それぞれの中で頭と心がぶつかり合い、失ったもののために自分の幸せだけを素直に望めない。
青い海と明るい陽気の地で起こる事だけに、廃墟を見ても人の顔を見ても、悲しさが余計に際立った。
難しいけど‥
旧ユーゴの独立紛争が主題で全てはそこに尽きるのだけど、完全に社会的な映画かというと、そうではないところがこの映画を救っている。3話のオムニバスの主役になる男女は、異なる話でありながら、同じキャストが務めるという、手の込んだ仕掛けがある。さらに、これは自分も完全には読み解けなかったのだけど、3つの話は別々の話のようであり、しかし登場する家族は少しだけ連続している。ここで観るもののアタマを混乱させながらも、それぞれの話の男と女に世界に心は吸い込まれていく。ひょっとすると、監督は紛争のことより、これがやりたかったではと思わせるほどである。
他にも、海を泳ぐシーンの映像なども、主題とは関係ないところで、作り手の遊びがある。
ただ、ラストではざらついた気持ちをふっと穏やかにしてくれるシーンが用意されており、エンドロールでそっと涙を拭くことができる。
難しい
作品の作りが複雑且つクロアチアの歴史を理解していないと、ついて行けない作品です。私は、ついていけなくなりました。
第三者は、戦争の理由をあらゆる理屈や背景を語るだけに留めています。この作品は、紛争前から紛争後の彼らの生活を映し出しています。人間が生きることに、理屈はありません。そして私は、互いに殺し殺される理屈も見つかりませんでした。
ハードルは高いが観ごたえある
決して観やすい映画ではないです。
3話構成で、1話は比較的セリフも多くわかりやすいですが、2話〜3話と進むにつれ、集中力や想像力を全開にして観ないと置いていかれてしまう。油断できません。
特に第3話はテーマ的に最も強い話ですが、ストーリーよりも音楽や映像の表現が優勢なので、全身を使って映画と向かい合うことを強いられます。
この映画のわかりづらさの最大の原因は、クロアチアの歴史を踏まえた作品だからでしょう。日本に生きる我々の多くはクロアチアについてほとんど知識がないので、どうしてもハードルが高くなってしまう。
とはいえ、気合い入れて観ると、実に胸に迫る映画です。
隣人同士が戦争によって憎み合い、戦争が終わってもそれぞれ殺し合った過去があるから基本憎しみを乗り越えられない。そんな中でも乗り越えるための一筋の光を求めていこうとする物語には、人間のしんどさと素晴らしさがバチっと詰まっているように感じました。
第3話のラスト、ヒロインの家の扉が開いたまま静かにエンディングに突入するのですが、受容や寛容の象徴のように感じられ、力強かったですね。
第1話ではそれなりに活気があった村が、第2話で完璧な廃墟になってしまい、これは普通にショックでしたね。
あと第1話でイヴァンが射殺された後の、射殺した側のセルビア人たちのビビった表情が印象的。「俺たちがこれからする戦争ってやつ、ヤバいな…」って気持ちが伝わってくる。
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