神様の思し召しのレビュー・感想・評価
全9件を表示
【堅物で傲慢な外科医が医学生の息子が神父になりたいと言った事により、オロオロし、イロイロ画策するもムショ帰りのカリスマ神父と出会い、仲良しになり人間性を取り戻すアイロニックなヒューマン・コメディ。】
■天才だが性格に難ありの心臓外科医トンマーゾ(マルコ・ジャリーニ)は、医大生の息子アンドレアがある日突然「神父になりたい」と宣言して動揺する。
派手な言動で人気のピエトロ神父(アレッサンドロ・ガスマン)に息子が洗脳されていると睨み、素性を偽って教会に潜入する。
そしてふたりは対立するも、やがてまさかの友情が芽生えて行く。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・トンマーゾの妻、カルラ(ラウラ・モランテ)が息子から”母さんみたいに、なりたくない”と言われ、拗ねちゃってワインがぶ飲みし、使用人クセニアの部屋に籠るシーン。
ー クセニアがぶすっとした顔で”狭いから、早く仲直りしてください。”とトンマーゾに言う所が、何か可笑しい。-
・トンマーゾがピエトロ神父に近づくため、医院の女性医師や娘の婿ジャニンなどを偽の家族に仕立て上げるシーン。
ー ジャニンは身体が不自由な役をやるように、言われるのだがそのジャニンの普通になったり、身体が不自由になったりするシーンが可笑しい。不謹慎だなあ。-
・アンドレアはあっさりと、”神父になるのは止めた”と言い”、ピエトロ神父にも随分前に言ったというシーン。
ー ピエトロ神父、全て知りながらトンマーゾに教会の修理を刺せていたんだね。クスクス。-
・トンマーゾはそんなことを経験しながら、少し人間味が出て来て、カルラにワインを注ぎ、料理を供するのである。
ー 嬉しそうなカルラ。-
・トンマーゾがピエトロ神父と徐々に仲が良くなり、洋梨の実がぽとっと落ちた時に”神の思るし召し”と言われるるシーンと、ラストシーンの対比が絶妙である。ピエトロ神父が陽気にミニバイクに乗っている時に車と衝突し、病院に意識のない状況で担ぎ込まれるのである。
ー 皆が心配する中、トンマーゾは目の前で洋梨の実が落ちるのを見て、少し微笑むのである。-
<今作は、ユーモラスな風合の中、家族や友人との絆や、信仰って何だろうと考えたり、生死って何だろうとやんわりと考えさせられるアイロニック風味を利かせたヒューマンコメディである。>
シンプル
このドラマは「神」を信じる者と信じない者との対立が軸なので「神」の存在をどう説明するのかが焦点だったが、直接的でなく示唆ではあるものの非常にシンプルに分かりやすいもので腑に落ちた。最後の悲劇が最悪のものになったか否かは描かれていないけれども、神父の考え方では、どちらであろうと、この映画のタイトル通りであるとすぐに理解できた。あまり深くなく重くなく最後は悲劇であってもさわやかさすら感じた。
タイトルなし
傲慢な外科医が妻や娘からも見放され、外科医を志すはずだった息子が神父になりたいと思う切っ掛けとなったムショ帰りの神父と出会い、次第に友情を育む。家族や他人にも優しくできるようになる。ラスト、神父は交通事故に会い、亡くなるシーンはないものの、梨が木から落ちる=死ぬというシーンで終わる。神父が神だったのではと思わせる。後半よりストーリーに面白み神様のでてきた
丘に吹く風に・・
腕利きの心臓外科医とムショ帰りの神父さん、両者の社会的役割の優劣を問う話でもないし神学論争と言うほどの改まった話ではない、志す道は違っても同じ善人であることに変りはない。
ミスが許されず緊張を強いられる医師ゆえかもしれないが自分にも他人にも厳しい性格となっても致し方ない、様式的な神学者でなく落伍者から這い上がってきた人生経験から出る説教は若者の心をとらえる。医学生の愛息子が神学校に行くと言い出したことから感化された神父に疑心を抱き調べ始めるところから、出会うはずのなかった二人が急接近するのだった。
神父が昔悩んだ時に来ていたという丘に医師を誘う、まるで「千の風になって」の歌詞のようなやり取りが印象的だった。
医師:「神ってなんだ、教会にいるのか?」
神父:「あんな狭いところに収まる訳はない、風や雲、梨の実が熟して落ちるのも自然の摂理、それを神の御業と感じるだけなのさ・・」。
飾らない神父の人柄に触れることで自身の価値観の狭量さに気付き家族や周りの人々への心の目が開かれてゆく・・。
脱線ですが、ボストンフィルを立ち上げたベンジャミン・ザンダーさんの講演の中で言葉の大切さについて語られた話を思い出しました。アウシュビッツに収容されて戦後生き延びたご婦人の話です。
姉は15歳、弟は8歳で両親は亡くなっていました、収容所行の列車の中で靴を履いていない弟に「無くすなんて何てバカなの!」と叱ってしまいました。それが彼女が弟に言った最後の言葉になってしまいました。彼女は「それが最後の言葉になったら困るような発言は二度としない」と誓いを立てたそうです・・。
コミュニケーションの意味など改まって考えることもない日常ですが実はとても大切なことと気づかせてくれる良作でした。
洋ナシ
息子アンドレアが「話したいことがある」と言ったときには、ゲイをカミングアウトするものだとばかり思っていたトンマーゾ。もうすでに笑えるストーリー。ゲイであることも愛があることだと家族は覚悟を決めていたのに・・・神父になる!
徹底した無神論者のトンマーゾ。アンドレアの姉ビアンカも福音書を読まされ感化されたようで、その夫ジアンニもなぜか面白い。神父ピエトロの集会にこっそり参加し探りを入れて、二回目のときには「相談がある」と持ち掛ける。しかも妻が暴力的で弟が精神障碍者でいると。じゃ、お宅にお邪魔しますと言われ、慌てて看護師に妻になってくれるよう頼み、ジアンニに弟の振りをしてもらう。完全に芝居をしてもらったのに、トンマーゾが家に帰ると、息子アンドレアが友達を紹介すると言う。それが何とピエトロ!(笑) 細かな笑いよりも、大爆笑を誘うコメディだった。
最後には車にはねられるピエトロだったが、どうなったんだろう?洋ナシが落ちるところからすると、死んでしまったような気もするが・・・
これも神様の仕業
もっと頑固なマッチョ親父かと思っていましたが、根はいい人みたいで、一応理解者、良き家族面したいようでした。
その偽善ぶりと自己中に奥さんの方が参ってました。
イタリアにも聖書とか読んだことのない人がいるのですね。
ラストは、これも神様の思し召し…ですね。
途中で冷めてしまいました…!
全体としてはとても面白いし好きだったのですが、娘婿が知的障がい者を演じるところで胸くそ悪くなってしまいました。
胸くそ悪いと思いながらも少し笑ってしまった自分もなんだか嫌だし、こうやってレビューにそのことを書いている自分もなんか嫌です。
そこを最後まで引きずってしまい、完全に楽しむことができませんでした。
私のようにこうやって気にしてしまう人間の方が、障がいを持っている方に対して無意識の差別をしているのかもしれませんね。
この映画のようにハッキリと笑いのネタにしている方が、かえって日常の中に普通に溶け込んでいるものとして受け入れている姿勢を表しているのかな、などと考えてしまいました。
内容とほとんど関係なくてすみません。
バランス
毒と外しのドタバタ劇かと思わせておいて、なかなかホッコリさせてくれるヒューマンドラマ。
堅過ぎてもダメ、信仰が過ぎてもダメ、「まさか重力のせいなんて…」全て神の思し召しと笑って軽く言える様な人間らしい暖かさが大切ということ。
全9件を表示