「戦争の遺産 悪魔が蒔いた種」ヒトラーの忘れもの レントさんの映画レビュー(感想・評価)
戦争の遺産 悪魔が蒔いた種
戦争が終結しても埋められた膨大な数の地雷はその後も死の花を咲かせる種となってその場に居座り続ける。
第二次大戦で連合国と戦ったドイツ、イタリア、日本の三カ国は悪の枢軸国と呼ばれた。ファシズムの下で侵略行為を行い周辺国に多大な被害を与えたとして。
その中でも特にドイツはナチスによるホロコーストなどもあり、敗戦後も連合国から憎悪感情の対象とされた。
彼らドイツ兵は敗戦後連合国側の様々な捕虜収容所に入れられ過酷な運命をたどることとなる。本作のような非人道的な強制労働をさせられた者や、あるいはドイツが行ったわけでもない戦争犯罪の加害者に仕立て上げられて代わりに処刑される者までいたという。しかし彼ら捕虜がたどった運命が広く世界に知られることはなかった。
当時の西ドイツ政府捕虜史委員会は捕虜であった帰還兵から多くの聞き取り調査を行い、彼らの受けた様々な悲惨な体験を報告書としてまとめたが、それを当時の西独政府は国際的に公にはしたがらなかった。
ナチスドイツの加害責任と自国の捕虜たちが受けた被害との相殺を目論んでいると勘繰られるのを恐れたからである。当時のドイツには周辺国からの信頼を取り戻すことが最優先され自国の兵士が受けた被害を主張することなどありえなかった。そうして捕虜たちの悲惨な末路は歴史の闇に葬られることとなった。
しかしこの度、デンマークの歴史家による暴露で少年兵を含む未経験者を使った地雷撤去強制作業という事実が明るみになり、そのあまりに非人道的な行為がデンマーク国内で物議をかもし、本作が製作されることとなった。
このデンマークで行われた捕虜を使っての地雷撤去の詳細を記した書物はそう多くないが、やはり前述の西独政府捕虜史委員会の資料によるとフランスで同じように地雷撤去を強制された元捕虜の証言がある。本来それは専門の兵士にやらせるものを未経験の捕虜にやらせて多くが犠牲になったという。中には少年兵も混じっていてその点もまさに本作の内容と合致する。地雷撤去後の一帯を歩かされたという記述もある。
だが当時の捕虜たちは帰国を餌にされて進んで地雷撤去を行ったという。彼らにとって帰国を成し遂げる手段はそれしかなかったのだ。毎日仲間が一人また一人と爆死してゆく中でも彼らは帰国を信じて作業を続けたという。
そんなジュネーブ条約に反する行為が当時のナチス兵捕虜に対しては横行していた。戦後の混乱期でもあり戦勝国とはいえ国土は破壊され復興のめども立たない中で敵国の捕虜を手厚く扱うなどできはしなかった。食料も不足していて捕虜には十分な食事も当たらなかった。
敗戦直前期、日本同様当時のドイツはもはや疲弊の極みに達しており兵隊の数は不足して16歳未満の子供でさえ戦場に送らざるを得なかった。そうして戦場に送られ敗戦を迎えて捕虜となったのが本作で描かれたような少年兵たちである。
はたして彼らに罪はあるのだろうか。もちろんヒトラーを信奉し、捕虜になる前に敵兵の命を殺めてきた者もいるかもしれない。しかし、彼らが当時のドイツに生まれてその国を支配するナチスに逆らうことなどできるはずもない。それは当時の大日本帝国に生まれた少年たちも同じだ。自国のすることが正しいと信じて皆が戦った。それは連合国側にしても悪の枢軸国と言われた側の国の人間もみな同じだ。
戦争は殺し合いだ。敵同士が戦争で殺し合うのは当たり前だろう。しかし戦争が終わってもいまだ敵同士なのか。戦争が終わればもはや戦う必要はない。相手は武器も持たない。それはもう敵ではないはずだ。確かに家族や仲間を殺した敵国の人間として恨みがあるかもしれないがそれはお互い様だ。しかし当時の終戦直後いまだ感情が冷めやらぬ時期を考えればそのような冷静な判断を期待するのは無理からぬことなのかもしれない。
戦後80年が過ぎてようやく当時の忘れ去られた戦争の犠牲者たちの遺跡がこれから掘り起こされてゆくのかもしれない。
本作もそういう忘れ去られた戦争の犠牲者たちの声に耳を傾ける作品になっている。とともに、たとえ加害国だとしてもその国の人間をここまで非人道的な扱いをすることに果たして正当性を見出せるのか。本作はそれも問うている。
まだまだあどけない若者である少年兵たち。彼らが戦場に送られてきた事情は自分たちの立場と照らし合わせれば容易に理解できるはずだし、彼らを憎むよりも憐れに思うのが本当ではないだろうか。しかし食事も与えられず家畜のエサで食中毒になって苦しむ彼らの姿を見て農家の主婦はいい気味と笑顔見せる。さすがにナチスを憎む軍曹でさえその態度にカチンとくる。
しかし軍曹も同じだった。彼も少年兵たちを憐れに思い情けをかけることもあったが、愛犬が爆死したことから態度を豹変させて彼らに砂浜を歩かせるのだ。これはどんなに彼らを同情して彼らと心を通わせようとしたとしてもけして許される行為ではなかった。
彼らに小便をかけて侮辱した兵隊たちよりも軍曹がしたことは酷い行為だった。目の前で一人また一人と少年兵が地雷で犠牲になる光景を見てきたはずなのに、それを見て自分たちが彼らにしてることはナチスと変わらないと感じていたはずなのに彼は少年たちを砂浜に歩かせたのだ。
憎しみがいかに人間を変えてしまうのか、あるいは憎しみによって元から持つ本性がさらけ出されるのか。
彼ら少年兵たちにとってはこの地はアウシュビッツ収容所とまさに同じだった。憎しみの心が人間をナチスに変えてしまう。誰もが憎しみの心によってナチスのような残虐行為を行えてしまう。
相手がナチスに加担したから、自分もナチスと同じことをしていいという理屈は所詮は自分たちも同じナチだと認めることになる。ナチスには何をしても許されるという考えはユダヤ人には何をしても許されるという考えと同じだろう。たとえ憎いナチスであろうとも自分たちは同じことはしない。人間であり続けたいと願うべきなのだ。
本作自体は史実を基にしたフィクションであり、ラストは救いが感じられる結末になっている。しかし当時のドイツ人捕虜たちの末路は本作で描かれた以上に悲惨だっただろう。そんな声なき犠牲者たちの声を声高々に主張するには世界はまだまだ未熟なのかもしれない。
本作はなかなか知られることのない加害国側の捕虜の悲劇を通して戦争の不条理を描いた衝撃的な作品であり、また少年兵たちとデンマーク人軍曹との心の交流を描いた佳作だが、脚本的に軍曹のキャラクターの描写が失敗している点が残念だった。彼がたとえ愛犬を失ってもあの場面で怒りを抑えることが出来なければ結局彼は少年たちのと交流を通して何も進歩してなかったことになる。そのあとに彼らを逃がす行為の説明がつかなくなってしまったのが残念。あの脚本のミスがなければ満点に近い作品だった。