劇場公開日 2016年3月18日

  • 予告編を見る

「誰にも渡したくない、この余韻を」リリーのすべて ユキト@アマミヤさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5誰にも渡したくない、この余韻を

2016年4月26日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

幸せ

萌える

2016年春、早くも今年ナンバーワン!、と思える作品に出会えました。
「リリーのすべて」
私はとても良い作品だと思いました。
エンドロールでは不覚にも涙してしまいました。
世界で初めて「性別適合手術」を行った人の話です。
物語の舞台はデンマークの首都ロッテルダムです。
1,926年。第一次大戦の傷も癒え、束の間の平和が訪れたヨーロッパ。
人々は平和な時代を、おおいに楽しみました。
さて本作の主人公アイナー・ヴェイナーは、芸術家です。
主に風景画を描いている絵描きさん。
奥さんゲルダも画家です。彼女は肖像画を描いている。
ただ、画商さんからは
「奥さんの絵は……ちょっとねぇ」と渋い顔をされています。
なかなか売れそうもない。
でも奥さんゲルダは、肖像画家として、なんとしても成功したいと願っています。
今、手がけているのは、大きなバレリーナの絵。
ぼくは絵画の知識、まるでないんけど、たぶんサイズは150号近いんじゃないですかね。
2m×1,8mはラクにありそうな超大作です。
モデルさんが、たまたまいなかったので、ゲルダは旦那さんに
「ちょっとアンタ、手伝って」
といきなり、バレエのチュチュとタイツ、トゥシューズを押し付けます。
ご主人のアイナーは、やせ形で、いわゆる草食系男子。かなりイケメンです。
美男子は、女装させると、本物の女には出せない”怪しいまでの”「女子力」がある事は、結構知られていますね。
「しょうがないなぁ」とご主人、しぶしぶ靴を脱ぎ、ズボンを下ろして、白いバレエタイツに脚を通してみました。そのときです。
「えっ……」
なんだろう、この感覚は?
彼はドキリとします。
-どういうこと?-
自分でも分かりません。
なぜか胸が苦しい。でもちょっと嬉しい。
この白いタイツの心地良い肌触り。
「まさかこれが自分の脚?」
彼が見つめるその先には、白いタイツに覆われた、均整のとれた、無駄のない脚がありました。
それは、まさしくバレリーナの脚そのもの。
続いてバレエのチュチュも体に当ててみる。
「オッケー! ハイ、そのまま、じっとしててね」
奥さん、旦那にポーズを取らせ、描き始めます。
全てはここから始まってしまいました。
女装させると「うちの旦那、結構いけるじゃない!」
と奥さんゲルダも、ゲームを楽しむように、旦那を着せ替え人形みたいに取り扱います。
ついでに「メイクもやっちゃえ!」
その勢いで奥さんは、女装した旦那を伴ってパーティーへ繰り出します。
会場に着くなり
「まぁ~、素敵なお友達ねぇ~、どちらのお嬢さん?」
と、女友達からも尋ねられます。
フフフ。
こんなに「綺麗な女」に変身させたのは、自分のアイデアとメイクの実力。
奥さんの思惑は大成功。アーティストとしての面目躍如、といったところでしょうか。
パーティーは盛り上がります。
やがて旦那のアイナーは、あることに気づきます。
パーティー会場の男性の視線です。男たちは自分に向かって微笑みかけてきます。その快感。
ちょっとの間だけ「女の子ごっこ」をするつもりだったご主人。
しかし、これが、ご主人アイナーの中に眠っていた「女である私」を目覚めさせてしまったのです。
やがて彼は、普段から女性の姿で生活を始めます。
もう後戻りできない。
「やっぱり自分はどこかおかしいのか?」
夫婦は病院に行きました。
このお話、今から90年ほど前のことですよ。
当時、男が女の格好するのは「ホモ」「変態」「異常者」扱いされていた時代です。
21世紀の今でさえ、いわゆる「LGBT」への偏見の目が、根強く残っている現実があります。
それが90年前の世の中では、それこそ、もう、人間としての市民権さえ剥奪されかねない。
 当初、夫婦は精神科へ通いますが、やがてドイツに「性」に関する名医がいるとの噂を聞きつけます。そこで夫婦はドイツのドレスデンへ直行。
そこで医師から提案されたのは外科的な治療でした。
「手術は二度に分けて行います。まず、ご主人の男性器を切除し……」
名医は偏見の目を持たず、丁寧に丁寧に説明してくれました。
ついにアイナーは、本当の女となるために決意します。
「私は、もうアイナーじゃない。リリーです。女性として生きていきます」

本作は、たいへん格調高い、気品溢れる作品です。
変なエロさや、いやらしさはなどは全く感じないんですね。
これはきっと原作の良さ(ちなみに本作は実話です)そして丁寧な脚本の仕上げ。
作品を作る視線、主人公たちを温かく見守るスタッフたち。
更には、映画全てをまとめあげた、アカデミー賞監督トム・フーパーさんの手腕。人格者としての品性の良さ。
それら全てが相まって、こんな素晴らしい作品にしあがったのでしょうね。
時折、風景画のように挟まれる、デンマークの街並み。
朝の日差しの清々しさ、あるいは夕暮れ時、セピア色に染まるロッテルダムの風景。
ただ、もう、ずっと、鑑賞していたくなるような味わい。
まさしく絵画そのものです。
また、画家のアトリエの中での「ほんのり」「ふぅわり」とした明るさ。
照明スタッフがこういうところ、実にいい仕事してますねぇ~!
かつて伊丹十三監督が、ため息まじりにこう言いました。
「ヨーロッパの監督はいいよな。街を映すだけで映画になっちゃうんだからね」
 ほんとにその通り。
 街並み、それ自体が、ひとつの美術館とさえ言えるほどです。
 歴史とその土地の文化を雄弁に物語っていますね。
 さて本作では、衣装にも注目です。
1920年代の女性たちが身にまとう、当時最先端のファッション。
そのバリエーション、センスの良さは特筆すべきものです。
シックで気品があってお洒落なんですね。とっても素敵です。
20世紀に入って最初の世界大戦。
それは、人類が初めて体験した大量殺戮戦争でした。
そのあまりの凄まじさ、悲惨さ故に
「もう二度と世界は、あのような愚かな戦争は起こさないだろう」
当時を生きた人々は、皆そう思ったのでした。
「もう二度と、あんな馬鹿な戦争は無い」
その安堵感は、敗戦国ドイツ以外の国、特にフランスなどで、顕著だったように思われますね。
芸術家にとっては、まさに天国のような時代が訪れました。
パリでは芸術家たちが、生き生きと活動を始めます。
ちなみに、日本の「FOUJITA」藤田嗣治が脚光を浴びたのもこの頃。

狂乱の1,920年代と呼ばれた「エコール・ド・パリ」が花開いたのです。
文化、芸術の都「パリ」
その影響は、本作の舞台である、デンマークにも大きな影響を与えていたことが伺えます。
そういった意味で、本作は、アート系映画としての資質さえも兼ね備えております。
また、さりげない音楽も大変趣味がいいですね。
本作はこのように「欠点を探すことが難しい」ほどに、よく出来た作品なのです。
主人公リリーを演じた、エディ・レッドメイン
本当によく演じました。
才能ある画家でもあり、良き夫だった男性を演じます。
さらには、我が身の奥深くに閉じ込められていた「女性である自分」に気づく。
その控えめな演技。
これは監督の演出力と、役者の波長が共鳴した奇跡なのでしょうね。
いやぁ~、もっともっと語り尽くしたい。
そんなことよりも、早く本作を劇場で、ご覧になってみてください。
なお、私が見た劇場では、男性は私を含め、二、三人ほど。
あとは、全て女性でした。
私の前の席に、若い女の子たちが四人、連れ立って来ていました。
その娘たちは、エンドロールが終わり、劇場の照明がほのかに灯るまで、誰も席を立とうとはしませんでした。
ずっとこの作品の余韻に浸っていたようでした。
私も、この静かな余韻を誰にも渡したくない、とさえ思いました。
そして、ハンカチを取り出し、こっそり瞼を拭いました。
誰にも見つかりませんように、と願いながら。

ユキト@アマミヤ