「天使たちの出会い」四月は君の嘘 Takehiroさんの映画レビュー(感想・評価)
天使たちの出会い
私自身との関係で言えば同時代でありながら世代の違う主人公たち。こうした映画をみたら忘れものだらけだと痛く思ってしまうけれど時は帰らない。こうした事を書いて疑似的に取り戻そうとする。もっと勇気があったならと思う。主人公はそれでも勇気があったと思う。時を掴んでいたと思う。広瀬すずの魅力と迫力は凄いものがあったが、作品の背景についてはウィキその他で補足しないとわからなかったが、この映画も漫画が原作だったのか。調べてから観てしまうので、こんなみかたは良くはないのかも知れないが、漫画をみた後で映画をみた人も大勢いるのだろう。原作の味が消えてしまっているとかで映画は不評だったなどともネット上で書かれたりしているが、私は原作をみてないし、逆にどこが不評かさえわからない。ネタバレペースで書いてしまうが、天才ピアニストと呼ばれた男子高校生(原作は中学生らしい)が、あるトラウマによって演奏出来なくなる。それを女子高校生のバイオリニストが共演をけし掛けてピアニストの再生に発破をかける。しかし実は女子高校生のほうも力を与えて欲しかったのだ。余計な事を言えば、軍人のような男性的強さが強さの全てでは無くて、繊細だが芸術家的な負けるような男性の善さが必ずある。そこに日本の男性の生き方があるのかさえ思ったりする。ちょっとそんな時代に揺れそうになっているから。
自分自身に大きな苦しみを背負いながらも男性のために明るく振る舞う女性、無邪気でさえあるキャラクターだ。その強さが美しいし、楽天的に男性の心の傷を癒していった。だが女性のほうも実は気持ちを支えられていた。そして別れが来る。それは主人公の母親との葛藤がさらに重なっていたのだが。(さらに母の友人だったピアニストの女性も主人公に助言したり、三角関係ようになる男女の友人の存在も大事だ。それに関してもこの映画は誰もが誠実だった。)こうした所に男性に対すしての女性の存在感がある。逆もだが。女性は男性にとって天使でなければならなかった。太陽でもあったが、それが曇ってしまっても。むしろ太陽かどうかでもなく、天使でなければならなかった。肉欲で捨てたり捨てられたりする間柄が男女の間柄では無かった。この二人の場合は、バイオリンとピアノの共演であり競争。お互いに高め合う。才能が発揮され合う。きっとどちらかがこの世からいなくなってしまう作品が多くなっているのは、現実の女性が、男性が、天使でなくなってしまったからなのだろう。肉欲遊びの相手は死にはしないのだ。取り換え可能な面だけだからである。そんな良くない女ばかりが生き残ってしまったのが現状なのだろう。そうした事へのアンチテーゼなのか。だからこうした映画にキスシーン等があったとしたら映画のほうが死ぬ。ただこうした作品が作られ、観覧されているというならば、この世界に絶望する必要はないのかも知れない。