「子供の習いごとと親のエゴ」四月は君の嘘 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
子供の習いごとと親のエゴ
スポーツにしろ、音楽にしろ、世界的な名プレーヤーになるためには幼い頃から始めることが必要だ。大人になってから楽器を始めた人間がショパン国際ピアノコンクールに出場できることは絶対にない。
楽器はそれなりの値段がするし、家で練習するためには防音装置や防音壁が必要だ。子供に文房具を買うのさえやっとの貧乏な家庭に育った子供は音楽家に縁がない人生を送るしかない。
親の立場で言えば、子供が小さい時にピアノを弾きたいと言い始めたら、それはもう大変だ。通常の養育費よりもずっと高い出費を強いられる。ピアノは中古なら100万円以下で買えるかもしれないが、防音の工事が必要だし、継続的なレッスンを受けることも必要だ。それが何年も続くことを考えると気が遠くなる。経済的に余裕のない親には子供の希望を叶えることはできない。
しかし別の角度から見ると、小さな子供は視野が狭いから身の回りのことしか関心を示さないものだ。日常に音楽がなければ音楽をやりたいとは言いださないだろう。貧乏人の子供が音楽をやりたいと言い出すことはあまりないのだ。
つまり、子供のころから音楽をやっているというのは、子供が自ら希望したことではなく、親のエゴでやらされているのだ。子供はまだ世界観もなく、なぜ楽器を演奏しなければならないのかという疑問を抱くこともない。大成するかもしれないし、しないかもしれない。大抵は「子供のころピアノを習っていました」というレベルで終わるだろう。
それでも貧乏で楽器に触れることもなく成長するよりはましかというと、そうでないかもしれない。親から受けたスパルタ教育が、恐怖心の強い、コンプレックスの塊のような人格を形成する場合もあるからだ。
そういった現実的な背景に眼を瞑り耳を塞いだ上で作られたのが本作である。登場人物の設定は高校生だが、高校生ともなれば、世の中に対する自分なりの見方や考え方もあるし、執着も憎悪もあれば、普通に喜怒哀楽もある。音楽は文化のひとつであり、接し方、対し方も人それぞれにニュアンスが違うだろう。それらをすべて一緒くたにして、音楽は素晴らしい!という方向性だけに話を進める強引さが鼻につく。人物に深みがないのだ。
広瀬すずちゃんはとても可愛かったが、演じる役は上っ面の類型で、そこに人生はない。