ロスト・イン・マンハッタン 人生をもう一度のレビュー・感想・評価
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ホームレスというもの
リチャードギア主演。
昔、砂漠のようなところで遭難して延々とジリジリと焼ける日差しで水がないという状態を延々と見せて遭難感を味わう映画を見ましたが、どことなく似ています。
ホームレスの生活を淡々と延々と見て、ホームレス気分になりました。
寒さを凌げる寝場所を探し回っていろんな場所で追い出されるが、ホームレスではなく人を待ってるだけと体裁をつくろうジョージ。
シェルターに行きつき、そこで出会ったおしゃべりな友達と出会い、社会保障を受けようとするが、身分を証明するものがないため困り果てる。
ホームレス女性とのワンナイトラブ、小さい時に元嫁の両親に預けたきりだった娘はいるが、娘に最低な父親と言われたり。
ラストで自分を嫌っている娘が働いているバーに行き、ホームレスであることを伝えた。
そしていっしゅんむせび泣き、娘が代金を払うと言っても自分で払って店を出る。
ラスト娘が後を追いかける。
泣くシーンでホームレスの生活を延々と見てきた理由がありました。
退屈な手法だけど、この手法の方がホームレスの心情を表わせて、結果良かったと思う。
しかし。。解せないことが。途中、おしゃべりな友達がしゃべりすぎで迷惑になり追い出されるが(理由はそれだと思う)、ジョージは友達が消えたと思っている。
何?あのシーン?
警備員の横暴さを言いたかったのか?
シェルターは冷たいといいたかったのか?
ジョージは病気?
訳のわからないシーンはいらないよ。。。
狙いがぼけている作品
エピソードに決め手がないのがイタい。羅列するだけなので追って観ていると、あれ?なにもなかったな、となる。施設で最初に会う失礼な若者、おしゃべりな黒人、空き缶集めの女ホームレス、気づけば全部登場しただけで消えている。過去も、頭の傷も、ピアノが弾けるのも、さわりだけで発展させていない。
まあ、失敗してそうなっているのではなく狙いなんだろうけど。これを観た人がどう採るかですかね。
ラストは心底軽蔑しながら父との繋がりを断つことができない娘の姿でしめている。これは、たぶんそうかな。人はさまざまだから一概には言えなくとも個人的に理解できなくはない。ここにこの作品の感慨はあった。
しかしトータルでいうと、狙いがぼけている作品という感じで、いいも悪いもあんまり言いようがない。リチャードギア(ホームレスイメージからほど遠い)の振り幅が成功してるのか失敗してるのか、それさえわからない。。
風景に収まる
どこに出ていても控えめなので主演をさがすひとがいる。
ドニーダーコのとき惹かれて以来コンスタントにクレジットがある。
だが、どの映画も脇でサッといなくなる。
がっつりの主演はないのか。
ジェナマローンはそんな女優だと思う。
顔立ちに気品があり幼さが残っている。
広い額と結んだときの口元にadorableがあらわれる。
だが役はスラッティなのが多い。
ぜんぜん脱ぎ惜しまない。
ほんとは演技派である。
ギアの浮浪者で語り草になった映画だが、老いと都市の砂漠──その茫漠に、ぽつんとジェナマローンがいる。
奔放に生きているが、懸命に生きてきた。
批評家と一般、評価がいちじるしく乖離した映画だった。
ジョージとマギー、どちらが気の毒なのか──。
家庭を放擲した男の末路として、日本では低評価に覆われた。
海外では、総じてギアの熱演が加算されている。
映画を見渡すと、やはりジェナマローンに寄せてしまう。
かれの路上生活にもっと、やむを得ないような事情が欲しかった。
アルコールに逃げない向上心が欲しかった。
加えてジェナマローンは庇護欲求をかきたてる女優だった。
映画のなかで彼女は女色と潤いを、オアシスのようにたたえている──わけである。
全編ロケで路上生活者と間違えられた逸話があった。
窓越し──のように、越しかロングでカメラを据える。
スターがすこしの違和感もなく下層に馴染んでいる。
演技というより監修や外見やロケがかれを下層たらしめていると思う。
邦題は誤謬。人生をもう一度──そんなこと一ミリも述べていない。
(Sreet Retreat)というプログラムに参加している。ホー...
(Sreet Retreat)というプログラムに参加している。ホームレスの一番望むことは人として扱ってほしいということだ。サンフランシスコのテンダーロインのホームレスは年々増えて行っているように思う。若い高校生風の人々が多くなってきた。この人たちと『普通の会話』をする。例えば、かっこいいシャツ着てるねとか。天気がいいねとかいう話から始まる会話。
このプロジェクトでこの映画の主人公のような人と会った。
ホームレスの主人公ジョージ(リチャード ギア)はアンヘドニアという精神疾患で、人生に無関心、やる気なし。ただ、缶ビールをのむことに快感を覚えているだけ。ニューヨークマンハッタンは人々が忙しく通り過ぎて行って、彼に(一般的にホームレスに)注意を払おうともせず(例外はある)、関心も示さない。人々はあたかも自分のことだけに関心があるようだ。ジョージも他のホームレスに関心がないが、数人のホームレスがジョージにやっと口を聞く。ジョージは、身分証明書も住所も出生証明書もないから、州からの援助はもらうことができない。
ホームレスのなかで一番、社会から人として扱われていな立場にある。
人生失ってしまったものはそう簡単には取り戻せない。だからこそ…
ホームレスとなってしまった男を描く日本未公開のドラマ。
演じるは、リチャード・ギア!
リッチでハンサムな役のイメージが強いリチャードがホームレス役なんてミスキャスト…と思うなかれ。
無精髭、汚れた顔や服、しょぼくれ感、抑えた演技で悲哀を滲み出し、これがなかなか!
撮影中、本物のホームレスと間違われたとか。
リチャードのキャリアの中でもかなりの名演だと思う。
かつては家族も仕事もあったものの、ホームレスに。
大抵この手の作品の場合、何故ホームレスになったか回想形式で語られるものだが、一切描かれない。
街中をさ迷う様を淡々と綴る。
そこから浮かび上がるのは、ホームレスの厳しい現状。
何処へ行っても邪魔者扱い。「出ていってくれ」「お引き取り下さい」…。
今ここに存在してるのに、誰にも存在を認められていない。
ホームレスに衣食住を提供する施設に厄介になるも、施設員に一日中見張られ、狭い部屋に何人も押し入れられ、まるで刑務所。
国からの援助を受けようも、身分証明出来るものや社会保障番号が必要とか、コイツら何言ってんだ? そういう満足な保障や生活が受けられてたらホームレスになってる筈ない。
施設で知り合った男がある日突然居なくなった。ホームレスを援助する連合で彼の事を切り出すも…、結局自分の身の保護を求める。気になり、心配はしても、やはり他人より自分。
社会制度の不条理やその社会から弾かれた者たちの厳しい現実は万国共通。
主人公がホームレスになる前の過去は描かれないが、何があって今こうなかったか口では簡単には語られる。
妻を亡くし、娘も居たが、ここ10年は人生をさ迷ってるように生き、遂にはホームレスに。
娘が居るのだ。
しかし、娘からは嫌われている。軽蔑、嫌悪されてると言ってもいい。
「あんたのクソみたいな人生にこれ以上関わりたくない」…これが娘が実の親に対して言える言葉だろうか。
主人公はホームレスになってもプライドが高い面が見受けられる。
自分でも言っていたが、父親らしい事を全くしてやれなかったクソ親父だったのだろう。
悲哀と共に、自分のせいでこうなってしまった侘しさをも突き付ける。
“人生をもう一度”なんて副題がちゃんちゃらおかしい。
主人公がホームレス仲間と心温まる交流があって、自分自身を見つめ直して、娘との関係を取り戻して、ホームレスから抜け出して人生再出発…なんて、そんなステレオタイプの甘い話じゃない。
最後にもう一度娘に会いに行くが…、拒絶される。
人生、失ってしまったものは、そう簡単には取り戻せない。
シビアに見つめ、だからこそ人生は尊い。
が、最後の最後…
娘に拒絶され、街中に姿を消す主人公の後を、娘が追いかける。
その後どうなったかは分からない。やはり拒絶したままか、手を差し伸べたか。
絵に書いたような“人生もう一度”より、微かに希望を感じさせる終わり方が良かった。
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