タレンタイム 優しい歌のレビュー・感想・評価
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なんとも言えない優しさを感じる
マレーシアの作品なんで、最初はわかりにくかったが、恋愛映画、家族の話だな。手話があるんだね。また違うかな?日本手話とは、見るTVで、紹介してたから見たかった作品です。監督さんは、亡くなってるんですね。
多様性のアラベスク、慈悲の結晶
素朴でシンプルな青春映画のイメージを見事に裏切られました
いやいや確かにそんな映画なんだけど
繊細で奥深く、緻密なんです
これはまさに音楽のような構造
誰が主人公か、あっちこっちに舞台が変わるからはじめは戸惑いましたが、
曲が、それぞれその人物の生きている世界を代弁していると気づくと、あらあら、インド映画のようにスルスルと目に耳に入ってくる
目と耳、まさに。車の中、窓越しに、車の外で行われる光景。
ひとつとっても素晴らしい。
音。さまざまな民族、文化、生きている世界の違い。
聴こえてくる、言葉の種類の違い。
ドビュッシー、おなら。反復。
神様が作ったよう。広さ豊かさを感じました。
ベタなとこはベタなんだけど、逆にそこがすごくリアリティを感じさせているから、文句なしでございます。
見てよかったです。
本筋には全く関係がないが、弟の死をいつまでも悲しんで食事さえ喉を通らないお姉さんの姿に、何か心を動かされた。
忙しすぎる今の日本ではなかなか見られない姿かな、と感じた。
多民族国家マレーシアならではの複雑な人間関係
タレンタイム(才能の時間=タレントタイム)に出演する女の子ムルーと
耳が聴こえないムルーの送迎係の男の子マヘシュ、
そして成績優秀でギター&歌もうまいハフィズ、この3人とその家族を中心とした
心温まるストーリーでした。
マレーシアが多民族であるがゆえに、
ムルーの家族構成が非常に複雑で、マレーシアがどんな国なのかがわかっていないと
非常にわかりづらいと思います。
私もよくは知りませんが、鑑賞前にざっと調べておいてよかったです。
家庭環境もさることながら、生活・文化なども映画を通して垣間見ることができて
非常に勉強にもなりました。
ムルーとマヘシュの一筋縄ではいかない恋模様も心から応援したくなりますし、
ハフィズとその母親の関係性及びハフィズの思いなんかも、心に突き刺さるものがあり、
ラストのタレンタイムでの演奏シーンは、一方的にハフィズを嫌いなカーホウが
途中から二胡で加わるという、なんともこの映画を通して伝え手の思いが
あらわれていて、猛烈に感動しました。
気持ちとしては⭐️3.5くらいをイメージしていたのですが、
家族内のがなり合い&批判しまくる姿が、どうにも今の私個人のメンタリティにはキツくて
-1.0としました。
もう2度と劇場で観れないかもしれないという思いから、
また、宮崎キネマ館の支配人さんからおススメいただいて観た本作、
マレーシアの映画はなかなか観れないと思いますし、ラストはフィジカルにエンターテインしたので
本当に観てよかったです。
馴染めませんでした・・
純真な子供たちに比べて圧しつけの多い大人たちの身勝手な言動に戸惑うばかり、特に女性の感情の起伏が激しいのはお国柄なのかもしれませんが見ていて不愉快です。
高校の音楽コンクールといっても皆で練習を重ね協調して高みを目指す合奏ではなく趣味的楽器の個人演奏だし選別も校長の好みや主観が強すぎて素直に良い教育行事とは思いかねました。
生徒たちの家庭も様々ですがお国柄も違うのでリアリティについては分かりかねますが、やたら人が死ぬエピソードもどこか不自然に思えて没入できませんでした。
音楽を主題に据えるよりは家庭のごたごたを描く方に力が注がれていますから、日本のスウィングガールズ(2004)のような演奏を主軸に据えた感動作に比べると魅力に欠けていました。
小さな主語で、ひとりひとりの生きて死ぬ道
マレーシア、いわゆる多民族国家、他言語国家。
異なる言葉、文化で暮らす人々、家族のありようも障がいなどの有無、などなどをすっぽりと包み込むような社会であり国のようだ。
さまざまな形の家族という単位、
しかしその家族という単位の中で、個人として、一人の人間としていかに生きるか。
それができてない家族というか親も中にはいて、中国人の男の子は成績トップでないと父親に殴られているし、異なる宗教を普段は仲良く社会の中で暮らしているが身内の結婚となると認められなくて、いざ偏見に囚われ子は付属物のように扱われていたり、それが連鎖して次の不幸をよんだり、本当に愛情と尊敬を持って血縁でないものも巻き込んで暮らすヒロイン(ピアノ弾き語りで歌う女の子)家族とのコントラスト。
トラブルやうまくいかないこともあるけど、それそれの信仰や、血縁であるかないかなどに関わらず、思い込み、偏見のその先には、謎の車椅子の男が、いつも飛んでいる、と言っていたがまさにちょっとした助走で飛び越え飛び出して、腕を広げ眼差しを交わし合うことで豊かな世界が広がる。 父親に殴られそれを成績の良い子のせいにして捻くれていた子が、母親を病気で亡くした子に寄り添い音楽コンテストで美しい音を奏でる、バイクの子に恋して唄にさらに磨きがかかった女の子は当日歌えない。乗り越えたり乗り越えられなかったり、寄り添ったり寄り添えなかったりの、陳腐な言葉だが豊かな多様性と思える、日本にはなかなか今はないものがここにあるって感じ。
【”大切な貴方、愛しい人よ・・。””幸せと不幸は隣りあわせ。”民族、宗教や身体的障害など多くの壁を、音楽の力で乗り越えて行く多民族国家・マレーシアの若者達の姿が胸を打つ、慈愛と寛容さに溢れた作品。】
■ある高校で音楽コンクール“タレンタイム” が開催される。ピアノが上手な女学生・ムルーは、耳の聞こえないマヘシュと恋に落ちる。
一方、二胡を演奏する優等生・カーホウは、歌もギターも上手なハフィズに成績トップの座を奪われ、わだかまりを感じていた・・。
◆感想<Caution!内容に触れています。&沁みたシーン。>
ー 今作は、若くして亡くなってしまった、ヤスミン・アフマド監督の、多民族国家・マレーシアの抱える現実を描きながらも、人間性肯定感に溢れた慈愛ある作品である。ー
・女学生・ムルーが、マヘシュが耳が聞こえない事を知らずに苛立つシーン。だが、彼女はマヘシュが聾唖者であることを知っても、彼を遠ざけず、逆に親密になって行く姿。
・マヘシュの母が、ムスリムのムルーとの恋を認めない姿に対し、雨の中膝を付きながら、手話で必死に語り掛けるマヘシュの姿。
・二胡の得意なカーホウが、それまで常に学年一位の成績だったのに、病の母の看病をするハフィズに抜かれ、愚かしき父親に叱責される姿。
故に、彼はハフィズとは微妙な関係であったが、タレンタイムの際、ハフィズがギターで演奏している横に椅子を持って来て、伴奏をするシーン。そして、演奏後、抱き合う二人の姿。
<等々、今作は多民族国家・マレーシアの音楽コンクールに臨む若者たちの青春を描いた作品であり、彼らが民族、宗教の違いなどの壁に葛藤しつつ、交流していく様が素晴しき作品である。
全ての民族が、他民族に対し、寛容な姿勢で接すれば、世界の紛争は激減するであろうに‥、と思ってしまった作品でもある。>
言葉にできないことの可能性へのまなざし
我々が人と何かを伝え交わす時に、言葉で伝えきれないと感じることがあると思う。
それは適切な言葉が見当たらないという限界かもしれないし、言葉などで全てを掬い上げられないという抑えきれない何かがそこにあるからかもしれない。
どんな理由であっても、この物語の彼ら彼女らは若くしてそのことを皆知っているし、嫌でも知ることとなるプロセスを、家族や友人や先生のような親しい立場の視点からそっと見させてもらっているような映画だと思う。
よくよく考えたら、この物語の彼ら彼女らはなかなかにハードな状況ではないだろうか。
身内を殺されたり、病気で余命残り僅かな母親の最後の願いを汲んで敢えて会いに行かなかったり、突如訪れた最期は看取ったり、恋人と宗教の違いや悲しい過去によって引き裂かれたり、引き裂かれようとしていたり…
特にマレーシアという国がこんなにも多民族国家なのだということを初めて知ったし、日本だと考えられないような民族・宗教の違いによる諍いが身近に普通に存在することにまず驚いてしまった。
それ故に引き起こされるいくつかの悲劇や過去を、当事者たちが新しい時代へとどう乗り越えていくかというのも1つのテーマだったんだろうなと。
話を戻すと、マヘシュとムルーの恋がそのまなざしや控えめに触れようとする手の軌跡や、そういった細やかなもので充分にスクリーンから伝わるだけで胸がいっぱいになるし、ムルーの歌で恋に落ちた瞬間も彼女の想いも溢れているのが解るし、それを遠くからマヘシュとハフィドが聴いてるのが良い。
マヘシュはその気持ちを言葉にはできないけれど、彼女に接する姿から大切に想っていることがよくわかる。
ハフィドは母の看病もしながら、勉強もできて、ギターも歌も上手くて、完璧すぎるから…人の気持ちまで分かりすぎてしまうから、身を引いてしまうところがあるんだろう。彼はこの先1人でもやっていけるとは思うけど、どうかもう少しだけ自分のためだけに生きて欲しいようにも思う。
そして、母を喪った日にタレンタイムに臨んだハフィドの傍らで、カーホウが静かに二胡を弾くシーンで涙腺が崩壊してしまった。
予告にあったあの音楽が、まさかこんな意味を持っていたなんて。
彼は彼でつらい境遇があって、ハフィドを疎ましく思わざるを得ないのもわかる。だからこそ、ハフィドの状況を知って、そっと無言のうちに二胡の調べで寄り添う。まさに言葉ではなし得ないこと。本当の想いがそこに溢れていた。
映画の始まりで、タレンタイムを行う教室の電気が付き、それが消されることで映画の幕が引かれるのも素晴らしい。静かなさじ加減が絶妙な名作。
もはや古典。大傑作
評判通りの大傑作でした!
青春群像劇というフォーマットで、わかりやすい感動が味わえるポップさがめちゃめちゃある作品ですが、ヤスミン師匠の代表作らしく、安っぽい感動ではなく、かなり深いところが動かされました。
ヤスミン師匠のガーエーを観ると、優しく包まれるような、受容されるような安らぎを感じます。
それは、登場人物たちが家族に受容されてきたからではないか、と仮説を立てております。家族の愛情描写が多く、主人公たちはそれをベースに試練に立ち向かい、障壁を乗り越えていきます。たとえ別離があっても、愛情を受けてきたから真正面から受け止められる。
つまり、主人公たちは愛情を受けることで、自分の気持ちに正直になる勇気を得て成長します。やがて彼らは愛を与える側になっていくのでしょう。そして愛を受け取った者たちがまた障壁を乗り越えて行く…
ヤスミン師匠が生涯をかけて挑んだことは、この『正の循環』を創り出すことだったのでは、と感じます。
さらに本作はアートという媒体を用いて、オーキッド3部作以上の強度で正の循環を歌い上げていると感じました。
本作は音楽映画でして、音楽や歌詞、さらにダンスが持つ特別な力が伝わってきました。楽曲も良かったし、印象的に用いられるドビュッシーのピアノ曲も心に沁みます。個人的にクライマックス以外で最も好きなのはインド系の女の子のダンスでした。
本作における音楽は、観客に訴えるだけではないです。家族の愛情をベースにして障壁を乗り越えるという、ヤスミンワールドの(そしておそらく現実世界の)方程式を、アートによって超えるシーンが描かれてました。
中華系の二胡弾きカーホウは、親父から虐待チックに育てられており、作品内の描写からは家族の愛情を感じません。なので、カーホウは暗くて嫌な雰囲気をまとっています。
しかし、このカーホウが障壁を超えるのです。そのきっかけは音楽です。カーホウはあるアートを感じ、それに応えて一気に乗り越えて行くのです!その鮮やかさ、軽やかさといったら!
ヤスミン師匠は優しいが強い人です。妥協や誤魔化しを許さない厳しさがあります。つまり純度が高い。
一方、アートもリアルであればあるほど誤魔化しが効かず、純度が高くなる特性があると推察しています。
カーホウは純度の高いアートを感じ、その衝撃で一気に自分に正直になる力を得たのでしょう。それは意志の力というよりも、大いなる力=アートの力が彼を一気に解放させたのでしょう。もちろん、その背景にはカーホウが感じていた他者へのポジティブな芽があったことは間違いないです。
しかし、それを一瞬で現実化する力がアートには備わっていることがまざまざと伝わってくるシーンでした。本当にこころがふるえまくりましたね!本当に凄い!凄いシーンでした!
それからもう一点印象的だったのは、主人公のひとりが弱さを抱えたまま作品が終わっていったことです。
それは、その人物が弱いというよりも、弱さに正直になれた、とも言えるのではないかと感じます。ヤスミンの描く『Strength』の道半ば、という感じも受けます。これもまたリアルで誠実だと感じました。
本作はすでに古典の領域にあると感じます。間違いなく今後本作の評価はさらに高まり、もっと身近な作品となっていくことが予想されます。文芸系映画好きにとってはマストとなっていく映画だと感じました。
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