劇場公開日 2016年3月19日

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「難解さは妄想でカバーしたい」僕だけがいない街 R41さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5難解さは妄想でカバーしたい

2024年7月13日
PCから投稿

難しい

2016年の作品
漫画の実写化のようだ。
この物語からドラマ「テセウスの船」が作られたのだろう。
トム・クルーズ主演の「オブリビオン」とも似ている。
さて、
この作品の「リバイバル」の仕組みは難しい。
また、
違和感のあるタイトル 作中のカヨの文集「私だけがいない街」 虐待されていた彼女の想い その文集が悟の正義感を大きく刺激したのだろう。
悟の原点
この世界には過去も未来もなく、今だけがある。
箱の中に入ったパチンコ玉のように地球があって、すべては「いま」でしかなく、それぞれの今が一つの空間の中に無数に収まっているのが、この世界の真実なのかもしれない。
彼がリバイバルと呼ぶ歪み 彼がすべきことはこの作品のいまである2016年に始まったのではなく、ずっと昔から発生していた。
それはパラレルワールドとある種の幽体離脱のようなものの組み合わせなのかもしれない。
つまりファンタジー 夢 希望
小学生の悟が八代先生の犯行に気づき、確認するように尋ねる。
八代はそれを予想しており橋の上から悟を突き落とした。
しかし悟はその後の世界にも存在したのは、人生のすべてが同時に存在するからだろう。
この解釈を理解しなければこの作品の評価は難しくなる。
その同時の世界で、小学生の悟が殺され、大人になった悟が殺されることになる。
これが「仁~JUN」でいうところの歴史の修正というのだろうか、悟と矢代の対峙の事実そのものは2016年にあるのだが、小学生の彼が死んだときに証拠などが発見されたのだろう。おそらく1988年に八代は逮捕されたのだと思われる。
だから「2016年」の文字と悟の墓参りに集まった人には母「ありがとね、今年も集まってくれて」と言ったのだろう。
このシステム設定の解釈は難しい。
映画「クラウドアトラス」の設定も使っている。
同じ問題が1988年と2016年に起きた。この解決をしたいと強く願う悟 同じ記憶を持ったまま1988年と2016年でその解決に必死に取り組んだ。
変わらなかった結果は、この事件で悟が死んだということだ。
逆に、その問題に首を突っ込んだことと引き換えに悟が死んだと言えるだろう。
そうまでしてもやり遂げたいことに夢中になれるのは、幸せなことなのかもしれない。
彼が2016年の交通事故で見舞いに来てくれたのがカヨに変わっていた。
「幸せ?」
悟が訪ねるシーンがあるが、同時に悟自身この事件に関わり解決しようとしている自分自身に大きく満足しているのだろう。
異なる時代で同じ問題が発生する。これは悟の人生で最も大きな出来事であり、解決しなければならない使命を、悟は異なる時代で「受け取った」のだろう。
1988年の世界で八代が逮捕され、2016年では彼自身の行動が逮捕につながった。
当然過去が優先した現在になっているのだ。
「僕だけがいない街」
作品の最後にこの意味が解る。
少々難解なので妄想でカバーするしかないが、面白かった。

R41
seiyoさんのコメント
2024年7月13日

こんにちは~。共感ありがとうございます。

この作品は思い入れがあります。

映画から原作を読んだので、結末が違うのは
媒体が違う、違う作品と捉えました。

原作のファンからすると
納得しない人もいると思います

この作品で映画が良いなぁと思い、藤原竜也さんのファンになりました。

原作は確か7巻8巻で読みやすいです。

テセウスもオブビリオン、仁どれも大好きです。

seiyo