「波乱万丈すぎてひいちゃう少女の通過儀礼モノ」無伴奏 だいずさんの映画レビュー(感想・評価)
波乱万丈すぎてひいちゃう少女の通過儀礼モノ
昭和のブンガクを原作にした映画は常に気になるけど大体外すという自分統計がありまして、それを鑑みるに『無伴奏』もそう期待できないとおもいつつも、成海璃子と池松壮亮を味わいたく見てきました。
結果、自分統計の信頼度を強固なものとする感想を持ちました。
ま、それは初めから含んでいることなので、良いのですが。
響子たちの学生運動は完全に思春期特有の反抗期ってやつでした。それはどうやら本人も自覚している様子。ホルモンに操られでるだけの薄っぺらいやつです。
もともとこの時代の学生運動というものが、あたまでっかちのモラトリアムにしか思えず、そこにロマンが見出せないので、私向きではないって事です。
そして、少女の通過儀礼モノなんですね、骨子は。でも、どえらい波乱万丈でして、こんな大それた事せんでも、大人になれるだろうよと。ほどんどひいてみてました。もっと地味なできごとで恋して傷ついて成長する物語をみたかったです。
あとエマがかわいそうすぎ。殺すかよ。
まぁ、あの斎藤工がなりゆきで子供を認めてくれるってゆう見通しは甘すぎるけどさぁ、
成海璃子と池松壮亮は所々楽しげに抱き合っていたのでそこは好感を持ちました。
連れ込み旅館(ですよね?)の布団にダーイブ!とか楽しそうで良かった。
しかして、おっぱいの隠し方がなかなかくるしい感じでした。そんなギュって隠すならなんかカメラ位置でどうにかならんかったのかと、おもったり。
この映画に限らず、てっぺん出すか出さんか問題が日本の女優にはありますな。
演技(あるいは人気)で稼げる(ようになった)人は、尻出しても乳出しても、てっぺんは守りますね。
そうでない(なくなった)人は、てっぺん出すことで補ってる(おぎなわされる?)様な気がします。
演技で引っ張れるのに、だしてくれる日本の女性はほんの少しです。池脇千鶴くらいか?海外ではもっと出してるんやから出せよ、という話ではなく、出すとリクスが高いんだろうなという事です。
日本の世間てやつがそうさせてるんだなぁという事を思うんです、常々。
、、、完全に余計な事ですが、余計なことを見ながら考えてしまえたということで。
斎藤工と池松壮亮のからみは、雨と雷がなければ良かったのにと思いました。
予算のせいでしょうが、商店街とか、あれで60年代ってゆうのは無理があると思いました。