「原作未読」無伴奏 おかずはるさめさんの映画レビュー(感想・評価)
原作未読
二組の恋人たちの精神のつながりが描かれていなかったので、結局セックスだけで付き合っているようにしか見えなかった。池松壮亮の「もう、こんなことはやめよう」というのも、互いの相手に対する裏切りを指しているのならともかく、同性愛の反倫理性を意味しているようにも思われて、不愉快になった。
クラシックとジャズの使い分けにも、何か物語上の必然性を感じなかったし、名曲喫茶で主要人物たちだけが話しているのも、不自然。無伴奏という店名からも、音楽を聞かせる店ではないのだろうか。(しかし、誰がリクエストを確認しているのだろうか。)
学生運動も添え物扱いで現在からみた評価があるわけではなく、社会から逃げている人間の自堕落な生活があるだけで、その上に、何らとがのない人間を殺しているのだから、感情移入しようがない
女子高生三人組とニナの私服がセンスいいのと、成海璃子を大画面で堪能できたのがよかった。仙台の町も綺麗に撮れていた。女子高生二人は演技も良かったし、なによりかわいかった。ぜひ売れてほしい。
監督の演出不足と脚本の質がとにかく良くなかった。撮影と俳優は悪くない。
乱文にご丁寧なコメントをいただきまして恐縮です。
実際のところも、バロック音楽をかけるお店だったのですね。ご説明から、当時の仙台がうかがわれました。
お書きくださいましたような、背伸びした学生の未熟であるが故になした過ちを、当時の風俗とあわせて表現されていることを期待していたのですが、主要人物たちの気持ちに寄りそえなかった結果の感想です。
貴重なお話、ありがとうございます。
1970年頃、仙台にもジャズ喫茶がわりと数多くあったと記憶してます。まだロックやポップスがジャズよりも一段低く見られていた時代です。リベラルを自認する女子高生はジャズ喫茶で小難しそうな文庫本を読む、そんな雰囲気でした。
当時仙台に3つあった名曲喫茶の中でも無伴奏は古典派以前の音楽に特化した店でした。モーツァルト以前が主で、ベートーベンは聴いた記憶がありません。
深刻な顔をしてジャズに没頭するするふりをする背伸びした学生、そんな滑稽な姿がジャズ喫茶にはありました。「俺は他の奴らとは違うんだ!」とでも言いたそうな顔をして。
無伴奏にもそんなジャズ喫茶と同じ雰囲気がありました。ジャズとバロックは同じだったのです。ケルン・コンサートで名を馳せたキース・ジャレットがミカラ・ペトリと共演してバッハのソナタを発表したりしているように、相性は良いようです。
無伴奏では一人乃至二人のバイトが全てをやってました。ネル・ドリップでコーヒーをドバッと入れて湯煎しておき、リクエストの黒板を見てレコードをかける。カップを洗って、時間があれば本でも読んでいる。
リクエストの黒板は常に5~6行は書き込まれてましたね。1行30分として、悠に2時間は時間を潰すことが出来ました。話をする人は殆ど無く、グループで来て話をしていても小声ですから他の客の迷惑にはならず、主要人物たちだけが話している場面はごく自然な描写だったと思います。