「独善と信念と遠慮の暴力」ハッピーアワー だるちゃさんの映画レビュー(感想・評価)
独善と信念と遠慮の暴力
濱口監督の作品を鑑賞するのは、ドライブマイカーに続いて2作目です。
本作は海外受賞歴もあり、レビュー評価も高いので興味はありましたが、上映館もなくそのままなっていました。
今回、大阪のシネヌーヴォでリバイバル上映され、濱口監督の舞台挨拶もあるという事を知ったので、5時間17分という上映時間には躊躇しつつ、意を決して鑑賞する事にしました。
結果、長尺という点は、3部構成になっていて途中休憩もあったので問題はなく、内容的には自分の日常生活を考え直させられるものでした。
この作品のテーマを簡潔に表現すれば、第1部「人と人との相互理解の均衡を維持する難しさ。」、第2部「円滑な関係を維持しようとする際に生じる独善や信念や遠慮の危うさ。」、第3部「些細なきっかけによるバランス崩壊で生じる混乱と、再構築に向けて動き出す強さ。」、だと理解しました。
これらのテーマについて、時間をかけて非常に丁寧な伏線と回収によって描き出されていたと思います。
まず、冒頭のワークショップで提示されるヒント。
複数人で呼吸を合わせて立ち上がる事、腹の内に耳を傾ける事、額で思考を読み取る事がいかに困難かが伏線として張られていたと思います。
この時はまだそれぞれが(表面的には)何でも腹を割って話し合える親友だと信じていた4人が、些細な隠し事で歯車がずれ始めます。
それはそれぞれが抱える家庭事情でも同じで、相手を慮るあまりによそよそしく他人行儀な会話しか出来ない妻や、一方的な価値観を他人に押し付けてしまうバツイチや、意思疎通が図れない夫と離婚訴訟中の妻や、家庭の厄介事を抱え込まざるを得ない状況の妻だという事が徐々に分かり始めます。
そして、それらが限界に達して、それぞれが自我を解放してしまう事で、それぞれが一旦は破綻(?)を迎え、そこからまた再構築へ向けて歩き始めます。
全体を通じて一番印象に残ったのは、タイトルにもある通り、家族を守るために必死に仕事に邁進する夫や、妻を愛する事とロジカル思考が混同してしまう夫や、悪気なく担当女流作家との関係性について妻にも共感を求める夫など、作品の方向性からは加害者的に描写されている男性陣にとって、誰1人として悪意を持ってそれをしている人間はいないという事でした。
しかし、それぞれの妻からしてみれば、人間性を否定されたとか、精神的に殺されたとか、理解されていないとか、形の無い暴力だとしか受け止められていないという事がショックでした。
自分が正しいと信じる信念や、優しさだと勘違いした遠慮や、相手への愛情と勘違いした独善は、道化師のように空回りをし続け、結果的にそれぞれの妻を望むのとは真逆の方向へ暴走させてしまう事になるのは、ワークショップの結果通り、相手の腹の中を真に汲み取って、良好な関係を築く事が如何に困難かを体現していると感じました。
一方で、それぞれの妻はそれまで抑制していた自我を解放し、行きずりの男性に身を任せる事で本来の自分を取り戻す、という帰結になっていますが、この部分については非常に違和感を感じました。
結局、そんな処に結論を見出してしまえば、フロイトのいうリビドーの様に、単に欲求不満だっただけであり、その部分が満たされると生きる原動力が生じたという短絡的な結論になる気がしたからです。
本来は、人間であればそんな外的要因に解決策を求めるのではなく、再度それぞれの夫と向き合い、本音を曝け出した会話によって関係性を再構築すべきだと感じます。
ただ、この後それぞれの家庭でのそれを描くと、上映時間は更に数時間必要になると思われますが…。