「間違いなく"問題作"」ドローン・オブ・ウォー crawlonさんの映画レビュー(感想・評価)
間違いなく"問題作"
"ムカつく奥様"キャラが登場する非常に"B級"なメロドラマ・実にチープな"THEアメリカ的"な雰囲気は、間違いなく本作品の”肝"です。
つまり、戦争映画に必ずある「俺にも家族いるから護らなくては」という"戦争正当化定理"を崩壊させる温度差が、本作のベースなのです。
ドローンは、誰がどこから操作しているのか公にならないため、相手国からの"個別攻撃"を喰らうことは無く、その意味で兵士の「生命」は保障されています。にもかかわらず、相手国民の「生命」は簡単に奪えてしまうという戦略システムは、当事者国双方に実害が及ぶかつての戦争を否定し、片方にのみ命を落とす"ゲーム”への転換を賛美します。
要するに、「人を殺す責任」というものを兵士が体感しないままに、殺害行為が可能となったのです。
そして、薄っぺらい責任感のもと殺された相手国民の「生命」も、アメリカの主義からすればやはり薄っぺらいものに過ぎません。
この"薄っぺらさ"を、この映画では見事に体現しています。
繰り返しになりますが、昼間にやっているような浮気とかヒステリーとか、「ここはアメリカだぜ!イェーイ!ベガスサイコー!」とか、最後は将校と部下の禁断の恋…!(?)という感じのB級ドラマを、飽くまで意図的に展開させることで、いかに現代の戦争が異質なものかを観客に訴えているのではないでしょうか。
少なくとも、本作がアメリカ発の映画であることは大きな意義を持つと思われます。
ただ、悪く言えば「退屈な映画」です(完全クリアを目指して行う作業ゲームのような感覚)。しかし、これが意図的な"コード"だとしたら。策士です。
民間人を殺すことは"犯罪"ではないとされるのに、主人公が上官の命令に違反し、敢えて操作不良を装い攻撃不能とし、民間人を巻き込まなかった"正義"は"犯罪"であるというのは、本当にナンセンスで皮肉。
攻撃側に犠牲の無い戦争を正当化するために「法を守らないような奴らに守る法はない」という定理を、我々は批判さえ出来ません。
本作が投げ掛けた「生命」の問題は、こちらが戦争を止めたところで相手は止めやしないという(一方的な)理由によって、結局は「殺し方の倫理観」の問題に落ち着いてしまうのでしょうか。
また、法律学で良くある、解釈の問題。先制的自衛の「解釈基準」が如何に恣意的なものか考えさせられることは必須です。
ラスト主人公が「神」となるシーンで、如何に本作が”問題作”かを知ることになるでしょう。