劇場公開日 2015年10月3日

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「戦争犯罪を個人が償う意味」顔のないヒトラーたち REXさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5戦争犯罪を個人が償う意味

2018年3月12日
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鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

悲しい

知的

難しい

相次ぐヒトラー映画。ドイツ本国では氾濫するヒトラーものをどのように受け止めているのだろう。

常に自戒の念を呼び起こされるのか、自分とは関係のない遠い過去のものとして捉えるのかー―この映画の若者たちのように。

ドイツ国内で、ナチスの行ったことがこんなにすぐ風化してしまっていたことに驚いた。日本では日本国民を鼓舞するために、軍部の行った非道を寧ろ喧伝していた歴史があるが、ドイツでは違ったということだろうか。

戦争下では残虐の限りを尽くした人間が、平和になった街角でパンを売っている。この矛盾。
主人公の行おうとしていることは、自分等国民のために戦った同胞を、非難し貶める行為でもある。故に反発を招く。

確かに戦争という常軌を逸した条件下で、何が正気で正義であったかを個人に問いただすのは見当違いなのかもしれない。
しかし個人の罪を問うことで、戦争下の人間がいかに非道になりうるかを世間に知らしめ、それにより戦争の抑止力とすることはできるのだと思う。

映画では人体実験を積極的に行った医師を、捕まえるべき最大の悪として描かれるが、逮捕されたのはほぼ一般市民だ。
この題材、同じドイツのベストセラー【朗読者】を思い出した。
主人公が思いを寄せた年上の女性も、同じように裁判にかけられた。
その時、彼女は言った。
「一体どうすればよかったんですか」

私も同じ立場だったら惑うだろう。
軍に逆らい自分の命を危うくしてまで、ちっぽけな正義を貫けるのかと。縁もゆかりもない人間に情けをかけることによって、家族や自分の安全を差し出せるのか、と。

たまたま生きている時代に戦争が起きて、たまたま敵をいたぶってしまった「元々は罪のない」個人を糾弾してどうするのですか、と。言ってしまうかもしれない。

結局、戦争で一番矛盾を抱えて苦しむのは、戦争を始めた国家ではなく、戦争をさせられた一般市民。

自分だったら…と、自問し続けた二時間だった。

REX