「戦争は終わらせるべき、でも戦後は終わらせてはならない」顔のないヒトラーたち rie530さんの映画レビュー(感想・評価)
戦争は終わらせるべき、でも戦後は終わらせてはならない
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ホロコーストものはほとんど見ているつもりだったけれど、アウシュヴィッツについての事実が明らかになったのが、戦後15年を経過してからだったということを初めて知った。不勉強を恥じている。
この映画のもとになったフランクフルト・アウシュヴィッツ裁判については、国内でも「何を今さら」「敗戦で十分傷ついているのに」といった、検察側を批判する空気の方が半数以上を占めていたという。
しかし、百万単位での人命が失われ、その何倍もの人間を不幸にしたという事実、ドイツ人がドイツ人を裁くこと、罪は民族や国に対するものではなく、己の良心と正義に基づくべきものであること、いろいろな重い、重い事柄が次々と画面から投げつけられてくる。
映画の中でも触れられているアイヒマン裁判においては、スタンレー・ミルグラムが服従の心理学を、ハナ・アーレントが平和に対する罪を論じているが、これはそのままこのフランクフルト・アウシュヴィッツ裁判にも該当する。言われるままに従ったことが、結果としてどんな罪悪であろうとも、人はそれに対する良心の感覚を失ってしまうという事実。
ドイツがナチスを受け入れ、否定し、封じ込めるまでには4つの段階があったという。
第二次大戦自体は1939~1945の6年間で終わったけれど、それを精神的に理解し、愚かさを受け止めるにはその何倍もの時間がかかるのだ。
日本においても従軍慰安婦問題、南京大虐殺問題については素直に受け止めようとしない世論が一定レベルで常に存在する。日本が本当に自らの愚かさを受け止めるのはいつのことになるのだろう。
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