湯を沸かすほどの熱い愛のレビュー・感想・評価
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ガツン!とくるファミリードラマ
原作モノや続編があふれる今、オリジナルでもこれほど胸にガツンとくる映画を作れるのだと証明する力作。奇をてらわず、どっしりとした王道のファミリー・ドラマを描き上げている点、スタッフもキャストも実に肝が据わっている。
“大衆浴場”という絶滅危惧の文化は本作の象徴ともいえよう。多くが「しょうがない」と簡単に諦めてしまうところを、本作のお母ちゃんは絶対に諦めない。自らの死期を悟るや否や、自分の望むことすべてを、がむしゃらなまでに成し遂げようとする。その意地と根性が伝播し、人の心を裸にさせる。そうやって裸になった心と心をしっかりと繋いでいく。ある意味この人は“歩く大衆浴場”だ。
見方によっては死にゆく者のエゴかもしれないが、周囲が「彼女に賭けてみたい」と思うのは、この歌舞伎の人情物から飛び出してきたようなヒロインのなせるわざ。宮沢の熱演、お見事。肌にジンジンくるほどの湯加減が、観る者の心をいつまでも心をポカポカと冷まさせない。
凄く賛否ある有名な邦画
3回目の鑑賞だが3回共に心が震える大好きな作品。
ストーリー構成がとても良くて、宮沢りえの やつれて行く演技に感動させられる。子役二人も良い。
他人の感想を読むと賛否ある。「母親の身勝手な押し付け」や「ラストの共同作業で台無しだ」等。
ラストシーンのドン引きは分かるが、双葉が余命を知り その後に周りを巻き込んで 強引に押し付けていく行動は結果的に丸っと収まっているのでいいだろうと私は思った。双葉の母親以外は。
母親の主張に説得力を感じない
嫌なことにも逃げずに立ち向かい、強く生きるというのが今作のテーマなのだろう。しかし自分には全く刺さらなかった。
まず、学校で虐められていて激しく登校拒否をする娘に、宮沢りえ演じる母親が、逃げてはいけないと言うのに全く説得力を感じなかった。逃げるとこの先の人生でどうして困るのか、逃げなかった場合はどんな良いことがあるのか。そういった具体的な内容が説教の中になく、ただ逃げてはいけない程度の主張しかない。そのため全く説得力が無い。
確かに、理不尽で嫌なことは大人になって社会に出てからも起こるし、我慢しなければいけない状況も出てくる。しかし社会は広い。そして大人には無数の選択肢があって、自分に適切な環境を自分の意思で選ぶことができる。虐めに耐える根性が無いと生きていけない訳じゃない。それでも学校での虐めに耐えて通うことにどんな意味があるのか、母親の主張には説得力が感じられない。
また、娘に何年も会っていない実の母親に会わせる必要性も感じられない。ここでもまた「逃げるな」というが、そもそも何で「逃げ」になるのか意味がよく分からない。この母親になぜか魅力を感じて様々な人が周囲に集まってくるが、その理由がよく分からない。そのため、強く生きるという今作のメッセージが全く伝わって来なかった。
終盤の、病床に付す母親に人間ピラミッドでエールを送るシーンも、いかにもお涙頂戴的で正直馬鹿馬鹿しかった。
生きたい、生きたい〜
双葉さん、人間出来過ぎ。
安澄の制服の件、下着になるのはおかしい。
裸になっているのに担任なぜ慌てない❓
上から何かかけに行くとか。
養護教諭ももうちょっと心配してあげて。
教室で無くなったのなら、見つかるまで探したれ‼️授業潰してでも皆で探したれ‼️
時間足らなければ、都合つけてとことん探したれ‼️
そしたら、安澄下着にまでなる必要も無かった。
また、なぜクラスの者が嘲り笑う⁉️
体育と違う、と言う⁉️
この中に誰か犯人いるのに。
だけど、安澄のこのエピソード、何の為❓
双葉がいなくなっても強く生きるようしむけた
と表したい為❓
鮎子にしたら知らない人ばかりだから、
しんどいなぁ。特にこの子聡い子だから、
だいぶストレス溜まっていたと思う。
朝からしゃぶしゃぶ、豪勢。
三人で。大丈夫かな?
松坂桃李若い。
突然安澄に実母じゃない、
生みの母に挨拶しに行きなさいってムチャ❣️
自分がいなくなり父親しか居なくなるから
何かの時に女親として支えて欲しいから❓
やはり無理だった。
双葉が自分の母が迎えに来てくれると言った時、
安澄たちの反応。
双葉の実母の居場所がわかったのに。
リリぃさんは変な役多いな。
まぁ、あれぐらいしても許す。
夜中病院の庭でピラミッドしてもなぁ〜。
オダギリジョー、情け無い役上手いなぁ、
見舞いに来ないのは、湯を沸かさなあかんから?
安澄が最後に双葉にかけた言葉、
安心して、一人にしないから、って⁉️
どういう意味なんだろう❓
銭湯でのお葬式?
やはり家から送り出してあげようという気持ちかな。
双葉という人の熱さに衝撃を受けた
安澄(杉咲花)がいじめられる場面、学校に無理やり行かせる双葉(宮沢りえ)はリアルで怖かったです。杉咲花さんと宮沢りえさんの、迫真の演技対決みたいな凄い映画です。
おしっこで濡れたパンツを使って「鮎子ここにあり」は好きなシーンです。
後半、ロードムービーのような旅行先でのエピソードも普通じゃなくて、ドキドキハラハラしたり怖い氣持ちになったり、もらい泣きもしました。
ピラミッドとスフィンクスのアイデアも良かったし、夫(オダギリジョー)の愛の深さにも感動しました。
葬儀を全て自分たちで執り行い、「ダメでしょ」「でも全く問題ありません」という会話が何のことかと思えば...よく見れば人を燃やしてお湯を沸かしているではありませんか...
衝撃的なラストで締めくくった『紙の月』(2014年 公開)以来の宮沢りえさん主演映画の、再びみる衝撃的なラストでした。
家族とは何か?残された人生で何を残すのか。
最後はずっと涙でしたーーー。
母と血の繋がりのない娘2人、みんな実母と別れているって状況が同じやったことに衝撃。
余命2ヶ月、残された家族がたくましく生きていけるように、厳しさの中にも愛情ある母の関わりが印象的でした。
自分たちの命もいつか尽きるから。
1日1日を無駄にせず、後悔ない生き方したいなと感じる映画でした〜。
いっぱい感動して、いっぱい泣いたことはしか覚えていなかった。
7年前に観たこの作品、覚えていたシーンとストーリーは4つだけである。
①主役の宮沢りえが、癌で亡くなること。
②家業がお風呂屋さんだった事。
③長女の杉咲花は学校で、イジメを受けていて、なぜか
白い下着姿になるシーンがあった事。
④ラストの葬式の後、お風呂屋の高〜い煙突から赤い煙が出ることと、
その理由。
一番忘れていたのは、松坂桃李が出演してた事。
(ヒッチハイカーの青年でした)
オダギリジョーが夫なのと、駿河太郎はなぜか印象にあった。
杉咲花の生みの母親は、聾唖の女性(篠原ゆきこ)で、赤ん坊の声が
聞こえない事を苦にして出て行き、その後の子育てを宮沢りえがして、
生母だと言い聞かせていた。
お母ちゃん(りえ)は余命宣告を受けてから、出来る限りの、
申し送りを完璧にして死んでいく。
レンタカーで杉咲花ともう一人のオダギリジョーの連れ子伊東蒼を乗せて、
杉咲花の実母の食堂に向かい杉咲花に母親と対面する様にする。
そして最後に幼い日に捨てた自分の実母に会いに行く。
ここでも探偵の駿河太郎は瞬時に場所を見つけ出す。
「そんな娘なんか産んだ覚えがない・・・」と言い放ったリリィさん。
「一眼だけ・・・」
母親が家族と仲良く談笑する姿に切れて、
思わず門の上のシーザーを投げつけるりえ。
窓ガラスがガチャーン割れる。
そしてラストシーン。
葬式を済ませて、桃李が釜を炊き、夫と子供たちは
「幸の湯」の湯船に浸っている。
銭湯の煙突からは赤い煙が、
お母ちゃんの大好きな赤の煙がモクモクと流れる。
宮沢りえの死に目の病人のリアル、
杉咲花が既に立派な演技巧者であった事。
伊東蒼もまた天才の片鱗を見せ付けている。
良い映画だった。
『まだ、死なないの? 』って思った人はいないのか?
商業作品を撮るようになってから、演出家が実際に通った学校での作風に先祖返りが始まったようだ。
家にひきこもれ!
出ていく勇気があるなら、イジメる連中を撃破すべき。
兎に角、日本のロード・ムービーは主人公が周りを俯瞰して、説教がましく偉そうに布教する。まるで、新興宗教の宣伝映画の様だ。まぁ、日本のク◯映画のDNAは健在と言う事だ。
まだ、40分もある。
兎に角、この演出家の作品で感動した自分が嫌になった。つまり、
PLA◯75以来のトラウマ映画になりそうだ。
この映画で何を感動したら良いのだ。
親の大切さ…
自分も母親に置き去りにされた過去があり、母親への想い、重要性は双葉が一番強く感じているところ。だからこそ、いじめにあう娘に強さを示し、鮎子も強く包み込む。幸野家の場合、父親のだらし無さが全てを引き起こしているわけだが。演出に所々、自分の感覚と合わない部分はあったが、全編通して、宮沢りえの演技に引き込まれた。
自分を捨てた親に会いたいですか?
主人公の双葉(宮沢りえ)は一人で娘の安澄を育てている
夫は蒸発し、家業の銭湯も休業している
ある日、パート先で倒れ
ステージ4の癌であることが分かる
残された時間は2~3か月
それまでにやらなければならないことは・・・・
という物語
ここまでの設定は良いのだが
この後の話が全く共感できない
私は10歳の時に母と別れて育った
映画の双葉とほぼ同じ状況だが
自分を捨てた母親に会いたいと思ったことは無い
でも、映画やドラマの登場人物は
自分を捨てた親に「会いたい」と願う
何を根拠に脚本を書いてるのか質問したいくらいだ
普通に両親に育てられた人たちは
離れ離れになった親子の再開は100%ハッピーだと思ってるのだろうか?
そんなのは戦争の混乱期の話だろ
この作品の母親は、自分の価値観を娘に押し付けすぎ
安澄を生んだ母親が別にいるとしても
会うか会わないかは本院が決める事
自分は母に会いたいのに、
なぜ子供たちを母親から引き離したのか
家族を捨てて女のところへ行った父親を連れ戻すことが
娘のためになると思えない
日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞と最優秀助演女優賞は理解できるが
世間の評価が高かった分、期待外れだった
湯を沸かすほどかは微妙
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宮沢がガン宣告され、別居中の夫とよりを戻し銭湯経営する。
娘はいじめられてたが、無理やり学校に行かせ、強く生きることを教える。
高校生の娘は夫の連れ子で、本人に初めてそれを明かし、本当の親に会わせる。
そんな中、死亡。葬式で人々に偲ばれる。
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ただ時系列的に淡々と話が進んでいく感じ。
実の娘ではないにしては強い愛情があるとは思ったけど、
でも普通の親ならそう動くんじゃないの?って思った。
死んだ後に実は何かを残してて、それを知った遺族が感動・・・・
的な何かもなく、ホンマに淡々と時間が進む感じやったかな。
嫌がる娘を無理やり学校に行かせたり、無理やり実の母に会わせたり、
実の母には問答無用の不意打ちビンタ食らわせたり、宮沢が怖い。
正直、こんな母親は嫌だ。でも教育としてはそれが正しいのかも知れない。
泣けるけれど、やり過ぎ感
実話に基づいていないオリジナル作品。「万引き家族」と似ているなあって思った。妻の双葉と夫の一浩は、本当の夫婦関係だけれど、夫が失踪していた設定。娘の安澄は夫の元妻の連れ子、夫が失踪中に面倒見ていた鮎子は、夫と血がつながっているかもわからない。つまり、母と娘二人は血が繋がっていない。双葉自体が、実の母に捨てられた育ちだったが故に、家族と子どもたちには愛情を注いでいるということか。双葉の愛の原動力は、愛に飢えていたからなのだろう。ヒッチハイクの松坂桃李含め、訳アリを克服することで、血が繋がっていない者同士でも、家族のような濃い関係になれるっていうのがテーマか。逆に家族という関係に甘えてはいけないよってメッセージ性を感じる。
家族を新たに迎えるシーンでは、しゃぶしゃぶを皆で囲むのは、幸野家の儀式に見えた。新婚旅行でエジプト旅行をする約束は、みんなで組体操のピラミッドを作ること、銭湯を改修するという約束は銭湯の風呂場を葬儀場にして花で飾ることで回収されている。
宮沢りえと杉咲花は熱演。子役鮎子の伊東蒼が子どもらしく表情豊かになっていく様、オダギリジョーのタメ夫ぶりも良かった。
安澄の実の母に会いに行くところでの手話を習わせていた理由がわかるシーンが、一番の泣かせどころであった。
娘の安澄のいじめの解決する際の下着になるシーン、鮎子の誕生日に母が迎えに来るかと思い、待ちぼうけを食って、双葉らと抱き合って失禁するシーンなど、自分の裸を晒すっていうのは、かなり攻めた脚本だった。(クラスメイトの前で下着になるって、さすがにない)ヒッチハイクの松坂が、ラブホテルに連れていかれたシーンも然り。裸の付き合いをするための儀式という狙いなのだろうが、他の方法はないのか。また、最後の葬儀は、家族だけという設定にし、霊柩車で遺体を運んだふりをし、実際は銭湯の風呂焚き場で火葬して、皆で一緒に風呂に入るっていうのは、さすがにどうかと。双葉自体の愛の熱さと題名を回収するためとは思うが、やりすぎの感があって、本当に?と思ってしまった。
骨子となるストーリーと俳優陣の熱演で、感動できる作品に仕上がっているが、攻めた脚本の部分部分が過激すぎて、(狙いはわかるが)しっくりしない感じが残った。
胸にくる。
ずっと気になっていたので鑑賞
感想書くのが日が空いてるので残っているものだけ。
自分がガンで身内を亡くしてるせいか、ラストの弱り方がめちゃくちゃ胸にくる。
どうにもならない現実の不条理さもあって、母とは会えず。
でも、自分が残せるものを精一杯残したんだなーって。
ラストの火葬はびっくりした。
とりあえず、母が偉大すぎた。
あと、やっぱり松坂桃李が上手いねぇ。
86/100
ラストはどうなの??
全体的に面白いんだけど、
ラストが突然ぶっ飛んでるので「???」ってなる。
もちろんフィクションだし、演出だし、こんなこと言うのは野暮なのだけど。。。
ラストまでは割とまぁありえるよね、というリアルさがあっただけに、
違和感がすごくて、ネットで解説とか感想とかつい調べてしまった笑
現実的な事と非現実的な事を都合よく使っている印象。
例えば、「母親の居所は分かった。けれど、彼女に拒否されて会うことは出来なかった」という現実的な展開がある。
一方で、「娘がいじめを克服する為に教室で自ら下着姿になる」「(主人公の)遺体を銭湯のかまどで焼却して供養する」みたいな非現実的な展開もある。
現実的な展開で解決できなかった部分を非現実的な展開で逃げている(または、その逆かもしれない)ように感じる。
宮沢りえに説教し続けられる2時間。この銭湯、そのうち都市伝説として語り継がれそう。
余命宣告を受けたことをきっかけに、家族の再生に挑もうとする銭湯の女主人の姿を描いたヒューマン・ドラマ。
監督/脚本は『チチを撮りに』の中野量太。
主人公である幸野双葉を演じるのは『紙の月』『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』の、名優宮沢りえ。
双葉の娘である幸野安澄を演じるのは『トイレのピエタ』『MOZU』シリーズの杉咲花。
ヒッチハイク旅行中の青年、向井拓海を演じるのは『エイプリルフールズ』『ピースオブケイク』の松坂桃李。
双葉の夫、幸野一浩を演じるのは『舟を編む』『渇き。』のオダギリジョー。
いわゆる「安心して泣ける」系の映画(クライマックスまで観れば、単純にそうとは言えないことはわかるのだが…)。
①不死の病の主人公。
②登場人物は全員家庭環境に問題がある。
③登場人物がとにかく心境を吐露して泣きまくる。
④ここぞというところでポロロンとピアノで感動系BGMが流れる。
⑤「血は繋がっていないけど、俺たちKAZOKU👩👩👦👦」
これぞTHE・邦画の満漢全席や〜♪
世間の評価の高さは分かっています。そして自分がマイノリティであることも分かっている。これに感動する人がいるのも十分わかる…。
しかし!申し訳ないがまっっったく感動できなかった。
というか、所々結構大笑いしてしまった🤣
まず凄く笑ってしまったのは、双葉が安澄に対して、実の娘ではないことを告白。動揺する安澄に向かって、実の母親である酒巻君江へ挨拶をしにいきなさい、と諭す場面。
嫌や嫌や、早よ行け早よ行け、というやりとりがまるでコントのようだった。
いや、そんな大事なこと直前で言うなよ💦
旅行の前にちゃんと説明して、安澄に心の準備をさせてあげるのだって大切なことだと思うんだけど。
次に大笑いしたのは、病状の双葉の為に一浩たちがKAZOKUピラミッドをしてあげたところ。
そこで、何故か参加している探偵のおっさんが、「私は人数合わせの助っ人です!」と言ったとき、「確かにそうだよな。このおっさんただのクライアントの為に体張るなぁ。」と思ってしまい、笑いをこられられなかった🤣
これらのシーン、監督がコメディとして描いているのであれば、凄く成功していると思う。緊張と緩和のツボを押さえた、ついついツッコミを入れたくなる名ギャグシーンだと思う。
しかし、多分監督はここで感動させようとしていますよね。
この監督、本作のクライマックスもそうなんだけど、恐ろしくぶっ飛んだ行動を良い話風に、バカ正直に描きすぎていて、感動すればいいんだか笑えばいいんだか分からんようになる。感情が迷子。
これって中野作品の特徴なんだろうか?ちょっと他の作品も観てみたくなった。
「心の強さと家族の絆」。
これこそ、監督の描きたかったものだったのだと思う。
とはいえ、正直言って主人公の幸野双葉に全く共感出来ず、終始「タラタラ生きてんじゃねえ!」と説教をされ続けている気分になってしまった。
タラタラ生きてすみませんでした〜😭
「昭和の肝っ玉母ちゃん」みたいなものを描きたかった、というのは凄くよくわかる。
しかし、子供のイジメに対して「逃げるな!」っていうメッセージ、それって本当に正しいの?
明らかにイジメを隠蔽している学校の態度はクソだし、実態もわからないのにただただ「逃げんじゃねぇよ!」という態度を取り続ける双葉もクソだと思う。
親として取るべき態度は、イジメの加害者やそれを隠蔽する学校に対して頑として立ち向うことなんじゃないの?
イジメを苦にして子供が自殺した、というニュースが毎日のように報道される現代で、よくこんな無神経なイジメ描写を描いたな、と逆に感心した。
大体、「下着姿になってゲロ吐いたらイジメられなくなりました」という帰着、全く意味わからん。
もっと学校に居場所なくなるでこんなん。
出会ってせいぜい2〜3時間のヒッチハイク青年があんなに懐くのもよくわからんし、仕事の上での繋がりに過ぎない探偵のおっさんが「この人にはなんでもしてあげたくなる。」とか言い出すのもさっぱりわからんかった。
本当に、この映画一から十まで自分とは感性が違う。
基本的に全く裏切りのない、「安心して泣ける」映画なんだけど、君江さんに突然ビンタをかましたあたりからちょっと面白くなる。
特に、双葉の生き別れになった母親の居場所がわかり、彼女に会いに行こうとする場面。
ここはめっちゃドキドキした!
というのも、その前に双葉が「お母ちゃんはもうこの世にはいない気がする」と発言しており、さらに安澄に向かって「お母ちゃん、ちゃんとした人に見える?」といって身嗜みを整えるという場面があったから。
自分を捨てた母親と再会。
身嗜みを整え、綺麗な姿になった双葉が、母親と数十年ぶりに顔を合わせる。
感動の再会…、かと思いきや、いきなり双葉が包丁を取り出して母親をぶっ刺す!🔪🩸
…みたいな、とんでもない展開になるんじゃないかと勝手に想像してしまった。
だって「お母ちゃんはもうこの世にいない」とか思わせぶりなことを言うんだもん。「まだやり残したことがある」とか言ってたし。
恨んでいた親をぶっ殺す伏線かと思うじゃん。
噴き出る鮮血をバックに「湯を沸かすほどの熱い愛」というタイトルが画面にバーンっ!と大写しになって、そこできのこ帝国のED曲が流れる…!というクライマックスなら、★★★★以上は確実でしたね。
自分が妄想していたEDとは全く異なっていたが、本作のラストも自分の妄想と負けず劣らずな、めちゃくちゃ気持ち悪いものだった💀
こういうインモラルな展開、個人的にはめっちゃ好きなんだけど、感動は全然しないですよね?他の人はするのかな?
そのうち、「死体を燃やした熱で風呂を沸かす銭湯」という、街の都市伝説の一つになりそう。
ここは感動シーンとして描いたのか、それとも観客を怖がらせようとして描いたのか、本気で監督に聞いてみたい。
良かった点としては、宮沢りえのガリガリさ。
彼女の痩躯は確かに末期癌の患者にみえ、双葉のキャラクターにリアリティを生み出していた。
双葉の「真っ赤な花が好き」という設定は、ブルーハーツのファンである宮沢りえが彼女を演じたからこそだろう。同じブルハ信者としては嬉しいところ😆
エンディングのキレの良さも光る。
「湯を沸かすほどの熱い愛」が画面にバーンっ!からの「きのこ帝国」のエンディング曲♪
このスッパリしたエンディングはかなり気持ち良い。
双葉のことを全く好きになれなかったので、かなりシンドい観賞体験となった。
今の邦画界で、最注目人物の1人である中野量太。
一作くらいは観ておかなくてはいけないだろうと思い本作を観賞したが、とんでもなく珍奇な作家性を持った監督であることは理解できました。
いやぁ、やっぱり邦画って苦手かも…😅
作られた感、演じている感
正直に言うと、作られた感や演じている感が至る所に見えてしまって少し興醒めしたところはある。
具体的には、いじめの場面や、松坂桃李とのやり取りの場面はどうも演技している感じ、非現実な感じがあってのめり込めない。最後の火葬の場面も、常識的にそれはないだろうと思ったが、フィクションだからと割り切った。
とは言っても、特に下の子が、ここにいさせてください、と泣きながら話す場面は、なかなかの演技で胸を打つものがあった。
しかし、全般的に見る人を感動させようと上手くない小細工が散りばめられている印象で、アカデミー賞ですか、、、というのが正直な感想。
誰しも母性を求めている。
ラストシーンでお母ちゃんを燃やした熱で沸かしたお湯に包み込まれる登場人物達。誰しも母性を求めてる。
観終わった後にタイトルを見ると、そのとおりの表現。
良い人ほど早く死んでしまう。
脚本そのものは、フィクション。よその子を勝手に育て始めて役所手続きはどうなるの?と気になるし、出棺すると見せかけるために、遺体を銭湯に放置してみんなで喪服に霊柩車でピクニックに出かけ、戻ってから自宅で火葬?!びっくり仰天プラン。お骨はどうしたのだろう、お墓はどうするのだろう?疑問は尽きない。
でも描かれているのはそこではなく、強くて愛情深いひとりの女性幸野双葉と彼女の母性を求め救われる人達。
途中までは、オダギリジョー扮する夫が蒸発しても気丈に振る舞い、子供がいじめられていても逃げずに立ち向かうよう明るく諭す優しく元気なおかあちゃんなのだが、徐々に相関図の複雑さが見えて来る。
余命を知り探偵を使って連れ返した夫が、自分はもちろん夫の血する流れているか怪しい浮気相手の子供、鮎子を連れて来た時も、すんなり受け入れ我が子のように接する。
良くできた人だなぁとは思うが、我が子の安曇すらも、夫の前妻の子供だったとは。
実はおかあちゃん自身が、安曇や鮎子のように、母が帰って来なかった過去を持つ。夫の前妻が聾唖者で子供の声が聞こえず出て行った時も、子供側の気持ちが痛いほどよくわかるから、安曇を我が子のように育てられたのだろう。
虐められている我が子を無理矢理にでも学校に行かせるのは今の世の中だと最適ではないのかもしれないが、親が育ての親だった事実、親が末期癌で死ぬ悲しみに今後安曇は立ち向かわなければならないのだから、強く育てなければならないと思ったのだろう。
「おかあちゃんとは違う最下層の人間だから」
「安曇とおかあちゃんは何も変わらないよ」
この返答の意味が、後々よくわかる。
刻々と命の最期が迫る中でも、自分の事ではなく、安曇を実の母に合わせに行くために鮎子も連れて旅行に出るおかあちゃん。
旅行中に出会うヒッチハイクの青年拓海くん。彼もまた、父親がころころ母親を変え、転々としながら生きていた。
彼に運転手を頼めば良いのにとも思うが、自力で頑張るおかあちゃん。末期癌のことを子供達に隠して、宿のお手洗いで吐血に苦しむところは見ていられない。
それでも、安曇を実の母に合わせるまでは頑張るおかあちゃん。翌日タカアシガニのお店でも食欲はなくぐったりしているのに、食後子供と揉みあいになってでも実母に合わせる使命を果たす。
ひとりになって、「疲れた」と言葉を吐き出すお母ちゃん。19歳で安曇を産んだ母親が会ってみたら若くて綺麗で、後からオダギリジョーに出会ったけれどそのオダギリジョーには蒸発された事もあり、病身で疲労した「疲れた」に追い討ちをかける心のダメージの「疲れた」、更には、生い立ちも合わせての「疲れた」。
いつも人の気持ちがわかるから人のために生きて。
疲れたよね。
どうしてそんなに頑張れるのか。きっと心のどこかでは、迎えに来ると言って消えた母をずっと待っていたからなのかも。その期待すらも打ち砕く、実母が都内で大きな家を構え別の家庭で孫までいて幸せいっぱいだった残酷な事実。鮎子の母の書き置き同様、新しい幸せな暮らしを、母親だけが掴んでいたなんて。天国ではやっと親が迎えにきてくれると夢にまで見ていたのに。
それだけ、人間が母親からの愛を求める気持ちは大きいのだなと気付かされる。
途中出てくる探偵父女も妻を亡くして男手1人で子を育てているが、双葉の優しさを求めている。
父親が連れてきた子供、鮎子も。誕生日までに必ず迎えに来ると話した母の言葉を信じ誕生日には元の家に戻るが、母は来てはくれなかった。待ち続け期待を裏切られたどん底の絶望感から一転、知り合ってわずかのお母ちゃんが気付いて迎えに来てくれた。冷えと安堵のおしっこは、1人で抱えてきた寂しさをも放出しているよう。
心細かったね、いい子でいたら帰ってくるかなと頑張っていたんだよね、寂しかったね。と無言でも気持ちを全てわかってくれるおかあちゃんにやっと出会えたのに、鮎子は再び母を亡くす。でも鮎子には父親がわりと母親がわりの姉ができたのが救い。鮎子もいつか双葉みたいになるのかな?
印象に残ったのが制服を返してと訴えるシーン。
制服を隠した子達は成敗されないし、かなり奇特な方法のだが、虐めた子が教室で下着を晒してまで訴えたのなら、普通は2度とやろうとは思えなくなるはず。水色が好きと言ったらおかあちゃんが用意してくれた水色の下着で、彼氏なんかより全然大事な時に勇気を出せたんだね。男性監督がやらせているシーンと思うとちょっと気色悪さを感じるのだが、みんなの前で脱ぐという辱められた気持ちを観ている側も味わわせる演出であり、杉咲花ちゃんは月齢以上のポルノ感は感じさせていない。
作中に、小学生の鮎子がお漏らしをしてしまうシーンもある。でも女の子が足を出してトイレにも行かず長時間外にいたら、冷えるし、幼少期には安堵の瞬間おしっこなんてよくある。あのシーンで、小学生の鮎子がそういう子供らしい反応すら我慢してきた気持ちを、母親のように来てくれたおかあちゃんに対して一気に放出させる描写にもなっている。
牛乳を吐くのも、安曇が言い返せず心に溜まっていたものを、ワーっと言い返すのではなく、吐き出せたあらわれにもなっていて。
おかあちゃんの吐血も、いつも平気な顔でも、血が出るくらい、心が傷ついてきたのを視覚的に見せられていると感じた。
監督が変態だのというレビューも見かけるが、女性を性の対象としてしか見られない視点に、女性こそ男性や子供を産み出す存在であり、誰しもが求める母性を持つ存在なんだという視点を加えたいように感じる。男性同様パンツも干す。漏らして不要になったパンツをびしょびしょで持ち歩くのを避けて、捨てて帰っただけ。そこにポルノ要素は何もない。
花ちゃんが成長に合わせブラジャーを変えたのは、子供から、母性を持つ女性に成長した描写でもあり、実際鮎子の姉がわりとして変わっていくと予見される。
観客の見方を想定してかのように、ヒッチハイク青年拓海が、出会ってすぐは「50代女性の車に乗ったらホテルに連れて行かれて綺麗でないこともなかったけど逃げ出した」などと女性を性対象として見ている24歳男性の視点を話すが、おかあちゃんに抱きしめられた後、もう一度自分から抱きしめられにいく頭は、ずっと母親にそうされるのを求めていた男の子そのものである。
その拓海が「あんなお母ちゃんの血が流れてる君達羨ましい」と言った時の、鮎子の顔。嬉しそうな安曇もまた、お母ちゃんの血ではないのを翌日に知るのだが。その事実を知らされた時の、車内から安曇を泣いて見つめる鮎子の表情も印象的だった。たとえ小学生でも感受性は強くあって、気持ちそのものを理解しているからこそ演技でも表現できるのだと思うと人間の深みを感じずにはいられない。
どんな人間も女性から。自分の子でもまともに育てない女性もいる一方で、自分が産んだ存在にでなくても、母性を注げる人もいる。その母性は、男性も女性も子供も、誰しもが求めているもの。
これが監督の真意ではないかなと感じた。
問題点の方が苦しく感じた。
辛い映画だった。 もちろん涙は出たし皆さんのいうように 良い映画って思ったりもしたけれど、あれ??なんか変じゃない?が多かった。
辛い気持ちを煮詰めて、それでジャムにしてパンに塗って食べたような気持ち。
どうして採点が低いかというと、いじめられて絵の具まみれになっても告げ口せず耐える様子。
制服を盗られて 男子生徒がいる前で下着姿になった様子。
あれが勇敢にいじめと立ち向かう姿なら、誰もいじめに立ち向かえられない。非現実すぎる。
夫が蒸発、新しい子供を連れてきて、それもサクッと耐えている姿を美徳としている感じ?「どれだけ女が耐えること設定ですすむねん!」とツッコミをいれずにはいられない。それが愛??。
そして連れてきたその子は実のお母さんを待ちおもらしをする。もう小学校2年生くらいと思う。その映像 宮沢りえパンツ脱がす。姉がそれをドアノブにかける。 妹の存在をここにあり??? えっとそれは、「いつか漏らして乾いた後のパンツを母親が見つけて心を痛めたらいいさ」くらいの 小さな仕返し?
あの子役は役を演じていたけれど、辛かったのではないだろうか。
あんな辱めは、映画という芸術の中でも子供にさせるべきことではないと思う。
例え実際には違う液体を使ったとしてもあれって必要???
ヒッチハイクにきて乗ってきた松坂桃李のおばさんにホテルに連れて行かれて逃げた話は 思春期の娘たちに聞かせたらはっきりいいって気持ち悪くて笑えないし 例え乗せた子が心が壊れていると悟っても、娘を守るために危険なことって母親はしない。非現実すぎて、ハテナ。
どこか無責任で なんでも受け入れる大きな愛 と勘違いさせられて見ていたらなんとなくクスッと笑ってしまう下りが怖い。自分とは違いすぎて、「こんな境遇なのに愛を与えてすごい」みたいな感動をうっかり与えてくれるけれど、あれれ? おかしくないかな?って。 疑問の方が勝ちました。
大人の無責任で、子どもが痛々しい。その子どもが大人になった姿で湯を沸かすほどの熱い愛を注いでいる話ということでまとまっていて 泣いて感動して、いい映画ーー!とはなりませんでしたが、子役たち、素晴らしい演技でした。
もちろん 母と再開して手話で会話するところとかは、なんとも感傷的になったけれど、何かがおかしいなっていう映画でした。
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