天使が消えた街のレビュー・感想・評価
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何も良いところが無い糞映画 金返せ
予告では事件の真相を描くサスペンスかと思いきや全然違うという、まず非常に残念なストーリー性に加えて
芸術家気取りの謎の意味をなさない、ただ混乱させるだけのインサート
ケイト・ベッキンセールとの恋はどうなったの?あれは遊びなの?何の意味があるの?
最後カーラー・デルヴィーニュに癒されるみたいな展開だけど、全然そうは感じなかった
全く共感できなかったし、スランプに陥っている監督の話なんて興味ないし
本当にお金返して欲しい。
和訳の人も初心者
つかみ所がない
サスペンスではなく事件を取材した映画監督の話。
大してディープな波風が立つ訳でもないし山場がない。
記者達に対する気持ちとかはわかるけど、ところどころ差し込まれる夢の表現とか、妄想に飲み込まれてコカインに溺れる主人公とか、エピローグ部分とか、自分には噛み砕けなかった。
冴えない映画監督が再起をかけて映画を作ろうとしたが、世間の欲しがるものとは感覚がずれていて、自分の案は否定され、ちんたらやってて結局失敗。それでももっと自分は人間らしく生きて行くんだ。って感じ?
実際の事件で感じたウインターボトム監督自身の気持ち
この作品は、イタリアで実際に起きた英国人女子留学生殺害事件(被疑者の名から、アマンダ・ノックスと称される)をモチーフにしていますが、通常のミステリー映画とはまったく異なります。
そこいらあたりは踏まえておかないと、なんじゃぁこりゃぁ的な映画になってしまいます(かくいう、りゃんひさはかなりこの状態でした)。
英国人の映画監督トーマス(ダニエル・ブリュール)は、5年ほど前にシエナで起こった英国人女子留学生殺害事件について映画化するように製作者から依頼された。
彼は、先ごろ離婚したばかりで、英国の人気女優である元妻との間で、幼い娘の親権を争っている最中であり、それが故か、最近は監督業は振るわず、まったく映画が撮れていないような情況である。
イタリアに赴いた彼は、事件を取材する女性ジャーナリスト・シモーン(ケイト・ベッキンセイル)の助けを借りて、実際に事件が起きた現場や関係者たちに取材をするが、脚本は一向にはかどらない。
その上、ドラッグに溺れるようになったトーマスは、しばしば幻覚をみるようになっていた。
たとえば、事件があった日の様子や、彼がみてしまった妻の浮気現場などなど・・・
といったハナシ。
事件の再現や謎解きはまるでありません。
この映画で描かれるのは、映画監督トーマスの苦悩。
なにか、救いや慰めはないのか・・・
ただただ、ドラッグに溺れる彼の姿は痛々しく、観ていて陰鬱になってきます。
そんな彼が、劇中、2度ほどつぶやくセリフが印象的です。
「暴力や死が溢れる映画を撮るのは、もういやだ。愛のある映画を撮るんだ」と。
このセリフは、マイケル・ウィンターボトム自身の心のうちなんでしょう。
『ウェルカム・トゥ・サラエボ』『イン・ディス・ワールド』『マイティ・ハート/愛と絆』と国際紛争を舞台にした映画や、『アイ ウォント ユー』『キラー・インサイド・ミー』などの暴力と死がモチーフの映画を撮ってきた彼にとっての。
なので、最近作は、ほとんど大きな出来事が起こらない日常を足かけ5年かけて描いた『いとしきエブリデイ』を撮ったのでしょう。
この映画には具体的な暴力や死のシーンはほとんど出てこないのですが、いくつか印象に残るシーンがあります。
ひとつはトーマスがみる幻影・幻覚(これは判り易い)。
もうひとつは、英国の元妻のもとで暮らす娘とのインターネット会話のシーン。
ここでは、一方的に通信が切断されることで、娘の画像が静止画のまま動かなくなってしまうシーンがあり、死を感じさせます。
このように、図らずも暴力や死に囚われたトーマスは、だれが犯人とか、なぜ殺したとかいう事件の内容よりも、事件の被害者がどのような女性であったのかに惹かれていきます。
被害者の劇中の役名はエリザベス、実際の事件ではメレディス・カーチャー。
この被害者の姿が、のちに女性ジャーナリスト・シモーンに替わってトーマスを案内する英国人大学生メラニー(カーラ・デルヴィーニュ)とダブっていきます。
そして、そのメラニーはトーマスの幼い娘の姿とも重なり合っていきます。
この事件で確かなことは、ひとりのエリザベスという被害者がいたということ。
幻影ではなく、それだけは確か。
そう、トーマスは感じるのでありました・・・
といった感じの映画なのだけれど、やはり、サスペンスやミステリー映画だという思い込みがあったせいか、どうにも曖昧模糊としていて、すんなりと入ってきませんでした。
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