この世界の片隅にのレビュー・感想・評価
全159件中、121~140件目を表示
戦争映画が苦手な方こそ見て欲しい
テレビやラジオで
CMしてるわけでもない。
もしかしたら存在自体知り得なかったかも。
このアプリで知ることができました。
レビューのものすごい高評価と
予告で見たキャラの可愛らしさと
のん、の声の演技に惹かれて鑑賞。
でも、ハードルを上げすぎないように
落ち着かせながら鑑賞(^^;
見てよかった。
ホントに見てよかった。
加えて全ての世代に
見て欲しい。
そう思った作品でした。
とにかく、のんが素晴らしかった。
あまちゃんの大ファンだったので
もちろん期待してたんですが
その期待をはるかに、
のほほーん、と超えました(^^;
また、実写映画でのんちゃんを
見てみたいです。
前半は
戦時中が舞台の映画なのに
のほほーん、とストーリーが進む。
作画が可愛い^_^
描写も細かくリアル。
序盤でまだ幼いすずが
兄の代わりに
おつかいに行くシーン。
船から降りて、
大きな荷物を背負い直すシーンで、
壁に荷物をくっつけて
その隙にに括り直す。
こういう動作のディテールのこだわり。
グッと引き込まれました。
今まであまり
戦争映画は好きではありませんでした。
戦争の悲惨さを
真正面から捉えた
押し付けがましい
映画が苦手でした。
でもこの映画には引き込まれました。
辛い時代を、楽しく逞しく生きる
人間の強さと明るさを、
実写ではなく可愛らしいアニメで
コミカルに表現できているから、
だったからかもしれません。
でも、戦争の残酷さは
ちゃんと見せる。
ここも、アニメだから
悲惨になりすぎない。
残酷になりすぎない。
あっという間の126分でした。
戦争映画はちょっと、、、。
そう思っている方がいたら、
ぜひ見に行ってください‼︎
あと、この作品は
ぜひ学校で上映して欲しい。
戦争そのものだけでなく、
その時代の「生活」を
見事に切り取ったこの作品は
どんなドキュメンタリーよりも
心に響くと思う。
若い世代にぜひ見て欲しい。
私ごとですが(^^;
刻々と刻まれる年月日に
随分前に他界した、
ばあちゃんを思い出しました。
私の父親が昭和19年生まれ。
母親は20年生まれ。
なのですずさんは
うちのばあちゃんと同じ世代。
終戦の時、ばあちゃんは
長崎にいました。
小さい頃、原爆が落ちた日のことを
よく話してもらってました。
映画のあのシーンと同じで
ピカッと光ったのを覚えてるそうです。
当たり前に生活ができて
当たり前に映画が観れる。
その「当たり前」が
どれだけ幸せなことか
やさしい、のんちゃんの声で
教えてもらえました。
スタッフロールの最後の最後。
右手のアップで「バイバイ」
最後まで席を立たないでよかった^_^
素晴らしいの一言
原作を読んで感動したので映画化されたら見にいこうと思っていました。原作に忠実で、なおかつ動画の良さが出ていました(不発弾の爆発で負傷するところなど諸々)。
原作では、遊郭の遊女とすずの夫が知り合いだとわかり、すずが悩む場面があるのですが、映画では削除されていましたね。エンドロール に出てきていましたが。
あと、人さらいの怪物は、南方で行方不明(戦死)になったすずの鬼いさんでしょうか?
忘れてはいけないこと
忘れてはいけないこと、大切にしなくちゃいけない事がたくさん詰まっている映画でした。
のんちゃんハマリ役、声も最高でした。方言ってこんなにもあたたかく響くものなんだと改めて感じました。
反戦映画としては秀作だが、うーん…
戦時下で暮らす人々の日常を丁寧に描いているのは素晴らしかったが、どうにもこうにも女性としてすずさんに全く共感できず。好きになった人ではなく見初められた顔も見たことのない人のところへ嫁に行き、ハゲができるまで義姉にいじめられても実家に帰らず我慢。夫との初夜のシーンなどは辛くて見ていられませんでした。女性は主体的に生きるな、というメッセージでもあるのか?と疑心暗鬼になるほど。
観てどんよりしました。
ごく普通
周りが過大評価し過ぎ。星5なんて付けれない。
主人公が嫁に行き、時限付き爆弾で右手と姪を無くし、故郷にも原爆落ちて、身寄りのない子供引き取る話。
戦争映画としては、ごくごく平凡。
生活力の強さが印象的だった
最初主人公のマイペース過ぎるところが、声のトーンもあってどうなんだろうと思った。
しかし話が進んでくるとこの人しかないな!と芯を感じます。
そんな中配給品が少なくなっても野草を活用して少しでも豊かな食事を作り上げた姿に、カット野菜で日々済ませる自分としてはぐっと来ました。
それでも襲いかかる困難に、8月6日が近づく中での広島への誘惑というハラハラ感も。
ところでラストの少女について、黒い雨や放射能は大丈夫だったんだろうか?
スタッフロールを見るにすくすく育ったみたいですが。
希望
すずさんが、これから先、周作さんと家族と共に、強く、幸せに、日常を生きていける気配を感じた時、胸がいっぱいになり涙がとまらなくなった。
能年玲奈ちゃんの声、広島弁、美しい呉の風景描写、水彩画、コトリンゴの音楽、すべて、素晴らしかったです。
これは今ではない
「8年12月」とか何だろう。
1908年かと思ったけど
どうやら、
「昭和」8年だとわかったのが後半。
「昭和」19年や20年の空襲とかで知識と一致してわかりました。
海老名のTOHOシネマズ朝九時から見ました。雪でした。
同じ建物で「ファンタスティックビースト」のMX4D上映の振動が伝わってくるせいなのか、椅子がたまに振動で揺れました。
「ホタルの墓」とか「はだしのゲン」とかに近い部分がありますが、絵が優しいとか、人柄が優しいとか、最後の出来事の感じが「この世界の片隅にいさせて【くれてありがとう】」、「いさせてあげるね」みたいな話で好きでした。
主人公の女性は呉で生き残りますけど
親戚がかなり亡くなります。
親戚が亡くなった経験があり、大人になり感情が動じなくなる大人はいいですけど。
子供には受け入れられるのか。
ホタルの墓よりは救いがありますけど…。
悲劇ストーリーの落としどころ、事実と希望のすりあわせで収まっています。
笑える火垂るの墓
はだしのゲン は戦後が長過ぎたり、今となっては忠実な映像化は難しいし、火垂るの墓は鬱すぎるし、今後定番になりそうな映画なのにクラウドファンド頼みでどのTV局も絡んでないって見る目ないんだなぁ
どこにでも宿る愛
イデオロギーなど関係ない、市井の人々の戦争を愛を持って描いた作品。
ラストで戦争孤児を、当たり前のように受け入れるすずと周作とその家族。柔らかい広島弁に、涙が止まらなかった。
誰だって戦争は嫌だ。だけどこの作品はくだらない政治屋や自称インテリに、わかった風に「反戦映画」などと言われたくない。あさはかなイデオロギー、いや空疎な言葉で汚して欲しくない程の、珠玉の愛の物語。
母のおにぎりが、無性に食べたくなった。
タイトルなし(ネタバレ)
映画一般的に「泣ける」という評価は、どこか品が無いなーと常々思いながらも、「この世界〜」の評判がそーゆー「泣ける映画」として出回っており、また心のどっかで「泣きに」観に行ってしまってたのも事実であります。
で、結局泣いてしまったのですが、泣かすための「化学調味料」的なのは全く無く、むしろ味付けは薄め、なんやったら素材の味もするか?ぐらいの演出でした。なのになぜ泣いてしまったか!?
それは、ひとえに「今」の世界と地続きのお話だったからのように思います。
その「今」とは、まさに3.11以降の日本であり、あの大震災を経て、どうやって生きていくべきなのか、を見た思いがするからです。
さきの大戦を経験した人がまだこの世に存在する以上、右か左かで戦争を語るしかないのは仕方ないことだと思います。しかし、戦後、70年以上経った今だからこそ、そうじゃない立場の人たちの戦争の物語もあったはず。戦争を真正面からむきあった人たち、まさに、それは「普通の日常を暮らす人々」だったんじゃないかなと。
「空襲警報飽きた〜」とか「これは、戦争に負けたってことかねぇ?」とか、ある意味、危機感のなさげがすごく印象的で、でもそれが普通で、今だって、震度4くらいやったら、「結構揺れたねぇ?」ぐらいの感覚で語ってしまってるのと、相通じるような気がして。
だからこそ、そんな「普通の感覚」を簡単に脅かしてしまうからこそ、戦争の怖さってあるし、それを浮き彫りにしているこの映画が、火垂るの墓とは違った映画になっている所以だと思います。
だからといって、「日常最高!」とか「普通が素晴らしい!」といった礼賛タイプのでも無かったのが、まぁー清々しい!
ただ生きる、生きていくしかない日常を受け入れるのって、そんなに悪くないな、と思えました。
暗いと不満を言うより
進んで明かりを点けましょう
すずを始め、そんな言葉がしっくり似合う登場人物たち。
辛い時代を明るく生きる姿に勇気づけられ、涙がこぼれました。
原作を読んでいたせいもあり、最初から涙ぐんでましたが、何気ない普通のシーンで涙が頬を伝っていくのは初めての経験でした。
そして他の映画のように感情に任せて泣かせようとすれば幾らでも出来た(例えば被爆したすみとの再会場面とか)のに、それをせずにいることで、物語が単純な悲劇作品とは違うものになっているように思います。
他の方はあまり触れませんが、私は径子さんが良いと思います。
重症のすずを看病してた(恐らく夜通し)のは間違いなく彼女でしょう。(だから目覚めた時に彼女が目の前に…)
径子さんはより強く家を守ろうと思っているでしょう、だから弟嫁のすずにも生きてほしいと強く願ったはず…でも、母として『娘が死んでよかった』と、捉えられるような言動は決してしない…玉音放送の後、1人陰で泣き崩れる彼女がとても印象的でした。
そして、この作品の主軸に感じたのは故アグネス某(最近は批判が多い方ですが)の言葉にある『人の最大の不幸は戦争や貧困ではない、それらによって自分が誰からも必要とされていないと思う事(孤独)』ではないかと思いました。
『私を見つけてくれてありがとう』は自分の居場所(自分を必要としてくれる場所)が見つかり「人の最大の不幸」から救われたことからでたのでしょう
本当に色々と考えさせられる作品です。
そして多くの人がこの作品を見て、色々と考えてくれたらいいなと思います。
悪意の匂いがない映像
つらい話です。
✋が無くなり、姪が目の前で消える。
でも、すずさんのひととなりや、最終的には善意な人達に囲まれて暮らす当時の風俗が描かれているので、平穏にスクリーンに意識を没頭できました。
終始映像から溢れていたのは、日常にある幸せの欠片を大切にした人が人生を大切に生きることができるんだなと。
とても真似できるものではないけれど
この作品を観たことで何か自分をかえて生きていきたいと感じました。
のんちゃん お帰り。
悲しさと愛しさ
サラッとしたアニメで、原爆投下前の広島の街、蘇ったように思いました。
スイカを食べにきた女の子は、遊廓の女性?
それとも被災してお母さんを亡くした女の子?
シンプルだけれど、深い想いを感じました。
後から後から、感動しました。
起こった事が不幸かどうかは、結局その人にしか決められない。そんな事、考えるよりもその中に生きている事をしっかり味わうしかない。否定も逃げもできないのだから。
空襲の最中に絵の具をイメージするすず
遊廓の女性に優しく寄り添うエンドロール
敗戦後の朝鮮の?旗
ユーモア、にもかかわらず笑う事
本当にいい映画でした。
観て良かったです。感謝です。
素晴らしかった
戦時下の広島、なんでもない普通の若い女性の目線で戦争を描く。ないならないなりで料理を工夫してたくましく生きているのが素晴らしい。姪が死んでしまいのが悲しすぎて、浮浪児を引き取るところに涙があふれて困るほどであった。まさかの里親展開で、あの子を助けることでみんな救われると思う。
のんが素晴らしい。かわいらしくて、それでいて地に足のついた感じがすごい。医者に行く場面があったのでてっきり妊娠かと思ったら、そうでもなかった。不妊治療なんて当時はなかっただろうし、そういった何かを匂わせていたのだろうか。旦那さんは幼馴染の男と何かあってもそれでいいと思っていたのだろうか。
戦争が尊いものを破壊していく様子が改めて恐ろしかった。うちに今、焼夷弾が落ちてきたらと思うと耐えられない。しかし耐えるしかないのだが、本当にやめてほしい。
(追記)
今週は見たい映画が時間が合わなくて、替わりにちょうどいい時間で再映されていたので1年ぶり2回目見た。心をかき乱されすぎるので、あんまり何度も見るものではないと思うくらい感動した。最初から展開が分かっているので、その予兆があるだけで涙が出る。旦那さんが男っぽくない人柄で、だけどそれでも男らしさを発揮するところに感動したり、姪が亡くなるところは耐えられない気持ちになり、若くして腕を失うのも辛い。戦災孤児が光となり家族みんなを癒すところに泣ける。クラウドファンディングのクレジットのところで女郎の女の子とのエピソードが描かれていた。
片渕監督に足を向けては寝られまじ
原作の大ファンとして、本当に素晴らしい映画化作品というほかはありません。
片渕監督の原作の掘り下げ方は凄まじく、リサーチもすさまじいものがあります。
美術の美しさは特筆もので、ここまでやるのか、という監督の執念をも感じます。
また、戦争シーンの恐ろしさといったらありません。原作の漫画ではそこまで恐怖を感じはしなかったのですが、音響と相まって本当に怖さを感じます。可愛い絵柄なのですが、武器はとても重く恐ろしく描かれています。空襲を描いた作品は多くありますが、焼夷弾、照明弾をこんなにも恐ろしく感じたことはありません。日常とのギャップの凄まじさがより際立つように感じました。
とはいっても確かに戦争映画や反戦映画という側面はあるもののそれが主題であるとも言いがたい作品だと思います。
主人公の再生の物語にもなっていて、幸せな気持ちで映画館を出ることが出来ます。呪詛や怨嗟に満ち満ちた作品では決してないのです。それらを否定する気はないのですが。
こうの史代さんが書いたとしか思えないほどのの作画のクオリティに本当にびっくり。
日本のアニメーターってものすごいものですね。
クラウドファンディングに参加することが出来た人が本当に羨ましい。エンドロールに自分の名前が載っていたら本当に誇らしかったでしょうね。返す返すも残念至極。今なら参加できたのになー。
戦争の「当事者」としての庶民
戦時下の庶民の暮らしを描いたアニメーション『この世界の片隅に』。
観る前は、期待と不安がない交ぜ。
というのも、こんな時代に戦争の話をアニメーションで描こうという志は買うものの、真面目一辺倒の今井正的作品だったらイヤだし・・・といったところ。
結果は・・・
昭和19年、広島で暮らす19歳の浦野すず。
突然、見初められれ、呉の北條家に嫁ぐことになった。
大らかで、鷹揚で、かなり世間知らずのすず。
嫁いだ先でも、性格は変わらない。
しかし、海軍鎮守府のある呉は、敵機の襲来を繰り返し繰り返し受けることになる・・・
といったハナシを、映画は丁寧に描いていく。
まず、目を見張るのは、その画力。
当時の町の様子をリアルな、それでいて、柔らかいタッチで描いている。
冒頭、広島の街が描かれ、ザ・フォーク・クルセダーズの名曲『悲しくてやりきれない』のカバーが流れただけで、涙腺が危うくなる。
この街が、後の8月6日の原爆により喪われてしまうのか、と思っただけで、やりきれない。
画の筆致が、まさに「記憶」というに相応しい筆致だからだ。
だが、この冒頭で不安がたまる。
よもや、原爆によって命が失わるハナシ、そこへ至るまでの「犠牲者」としての庶民の暮らしを描いたものではありますまいか、と。
その後につづく物語は、のほほんとしたすずの性格によって、やわらげられていく。
困窮も糧とし、工夫によって生活を続ける。
この前半で、じっくり生活を描くことで、終盤が活きてきた。
映画のタッチが変化するは、終盤、昭和20年に入ってから。
呉に初めての敵機が襲来するシーン。
青い空に踊る爆雲を、すずが描く絵筆から落ちる絵の具を用いて、表現する。
このシーンの表現手法が素晴らしい。
そして、もうひとつ表現手法で素晴らしいのは、すずが幼い義姪を連れて、不発弾の爆発に遭うシーン。
一コマ一コマ、黒背景に白い手書きの線描アニメ。
ギザギザのエッジが心を搔きむしる。
このふたつのシーンのあとに、物語として瞠目するシーンが続く。
戦争も末期。
すずの心が、知らず知らずのうちに変化している。
銃後を守る女たちは「困窮も糧とし、代用できるものは代用で、工夫する。それが私たちの戦い方だ」という。
そして、8月15日の玉音放送。
ここで、すずは号泣する。
「勝ちたかった。なんのために戦ったの。みんな、みんな犬死じゃないの」と。
そう、庶民もみな悔しかったのだ。
8月15日の庶民は「被害者」ではなく、戦争「当事者」だったのだ。
あんなにも、のほほんとしていた少女だって、知らず知らずのうちに「当事者」になってしまう。
だからこそ、戦争は恐ろしい。
こんな時代に戦争の話をアニメーションで描こうとした意義はあった。
大いにあった。
原作に忠実な作品だった
キャラクターは原作に忠実に描かれていて背景もいくらか薄い色彩だが綺麗だ。
昭和10年から20年の広島と呉を舞台に大戦が次第に激しさを増すなか、すずという少女が少年と逢い少年の家に嫁に行き一緒に暮らしながら終戦を迎え大事なものを失いながらも夫となった少年と生活して行く。
こうの史代さんの原作を時間の中でとても大事に演出して物語の中で重要な設定を敢えて否定しないようにスルーしたのは残念だが、分かりやすい内容になった。
ジブリやカラーのような大胆な演出や色彩を使用せず原作を補完するようなこの作品は、クラウドファインディングをして資金を募り完成させた監督とスタッフの意気込みを感じる。何となく磯野家を思い出させるのは戦時中でも笑いを忘れないからだろうか。
戦時中の生活者を描いた作品
これまでの戦争映画とは違い、戦時中の生活者を丁寧に描いた作品。
1945年8月15日が近づくに連れて、どんどん生活が苦しくなり空襲の回数もどんどん多くなる。
時系列に物語が進んでいき、たった数年の間に身の回りが急激に変化し、普通の生活もできなくなっていく。
主人公のすずという女性は、戦時中どんなに苦しい事があっても笑顔で生き抜こうとするが、玉音放送が流れてから「何のために必死で生き抜いてきたのか」目的が無くなり悲痛の気持ちになってしまう。
戦争が終わった時、「国民自体は喜んでいた」という話も聞いた事があるが、やっぱり国民自身も日本が戦争に勝つことを願い、ギリギリの所で戦っていた事がわかる。
これまでの戦争映画は「戦争の最前線で戦ってきた兵士」を描く事が中心だったが、国民目線の戦争を知る事ができて色々考えさせられた。
すず自身は右手を失い、自身の両親も無くし、妹は被爆する。
そんな状況の中でも、生き抜いていかなければいけない現実が、たった70年前に起こっていたかと思うと、言葉がでません。
戦争の悲惨さを伝えるだけではなく、「生きる大切さ」を強く感じさせてくれる作品だった。
全159件中、121~140件目を表示








