この世界の片隅にのレビュー・感想・評価
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じわりと心の片隅に迫ってくる1本
多くを語るより観てほしい1本。ネタバレにならない範囲で言うと広島の江波の少女、すずさんが呉にお嫁に行く日々の話。あとはスクリーンで確認してほしい。笑ったりほっこりしたり、泣いたり、そんな日常の片隅を丁寧に描いた作品。背景が戦時下で戦争を扱ったものと思われるかもしれないが、題名通りの映画です。百聞は一見に如かず、ぜひ見てください。
特別な一本
素晴らしかったです。
どんなふうに、どこが素晴らしかったかは、他の方がたくさんレビューしているので、わざわざ私が書くことはありません。
すでに3回鑑賞したのですが、観れば観るほど、生きる希望が沸いてくるというか、心の底から何か温かいものが満ちていく気持ちになります。
この作品は、失うことの悲しみや苦しみよりも、生きていくことのたくましさや強さを描いていると思います。もちろんショッキングな場面はあります。でも、どんなに泣いたって嘆いたって、明日はやってくる。その明日に絶望するのか、それともその明日に希望を見出だすのかは自分次第だということ、そんなことに気付かされました。
私も、そして、この映画を観た人も観ていない人も、みんな「この世界の片隅に」生きています。どんな感想を抱くのであれ、一度はみんなに観てほしい。届いてほしい。そう思わせる、私にとって生涯で特別な一本です。
時代が主役
時代、ご時世、その当時が主役になってる
現代の価値観、生活習慣と比べたら違和感だらけだろう
それがこれでもかと描けていて圧倒される
すずちゃんの心の揺らぎが伝わってくる
イヤな人物とか悪役らしきものが出てきてもちゃんと相殺される空気をもっている
個人的には痴話喧嘩がほっこりする
過去にあった現実を元にしていて、それをアニメで上映しているという事を思わず忘れて魅入ってしまう
ほんと戦争は、無駄な時間
広島に住むすず達、家族が巻き込まれる話 絵が好きな素朴で笑う事が大好きな家族に戦争という時に巻き込まれていく。絵が可愛く しかし襲撃の場面は、激しく描いていたのが、印象に残る。
個々人的な時間の手触りをもった怪作
こうの史代の突き放した描写と冷静な観察力と史実をあぶり出す愛あるファンタジーが織りなす原作漫画を、2016年の日本で公開されるに相応しいアニメーション映画として新たな命を与え、広く老若男女に開く作品。
「戦争は怖い・良くないこと」なんでしょ?というよくある大前提を丸ごと捨て、人が生きることの健やかさを描くことで、暴力の不自然さを自然に感じさせる。
●演出が素晴らしい●
1
時間の感覚。現実の生活で次に起こることが予測できないように、何かを予感させてたり煽ったりする演出は一切ない。そのため、目の前に起こる一つ一つの事象の判断、解釈を観客に委ねることで、演出や意図を忘れてのめりこめる。
2
しいていえば「昔々あるところに、、」と始まり、「暮らしましたとさ」で終わる童話として見易い空気を醸し出すことで、高度な演出であるにもかかわらず、観客を拒絶しない。
3
映像化で付帯された<動き>の要素が、原作と異なる全く新しい物語体験に昇華している。
もともと原作は平面的描写(空間に忠実にデッサンするのではなく、背景まで人物と同じ重みで描写し、あくまで物語や心理に効果的な構図を取っている)に優れている。そのため読者の想像力に委ねられていた、<動き>や<音>が、与えられた時、より舞台である呉の町はクリアな高低差になり、爆撃機は硬く重く速くなり、登場人物は小さく柔らかく感じられる。
映画化で省いているエピソードがあり、登場人物の複雑な感情も少し舌触りの良いものになったのは、この様な映像から肉体的に感じる情報量が増えたこととのバランスをうまく取っていると思う。
4
音楽がよい。「悲しくてやりきれない」でこの映画の全体を通底する哀しみを提示し、「みぎてのうた」でハッキリとテーマを言葉にし、「たんぽぽ」で背中を押す。監督の演出意図が120%反映されていて全く無駄がない。(これは個人的な映画に求める好みかもしれないですが)
繰り返し読める漫画では、延々と続く日々の先の見えなさが特徴的だったが、(物語の進行と同じ期間で連載されている。)映画では整理され、コトリンゴの童話的音楽が能の囃子のように物語の進行をスムーズにしている。
5
可愛らしい絵柄の意味。
この映画を見て、良い人ばかりが出てくる、現実の焼け野原の残酷さを描いていないと感じる人も多いかもしれない。しかし、これはすずというふんわりとした主人公の見た世界に限られたフィクションである。つまり、これは決して戦争の惨禍を全て引き受け代表している映画ではない。
歴史的悲劇のモニュメンタルな地点から少し外れた呉を舞台とし、軍に勤め戦地に行かない夫の妻を主人公とし、戦火より日々の生活を時間をかけて描写することで、便利で分かりやすい被害者視点・加害者視点を捨て去らせてくれることが、何よりこの映画の功績なのである。
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個人的に演出が素晴らしいと思ったので、演出に関することのみの投稿です。
その他、声の怪演、アニメーション描写技術、取材量などなど、大方の称賛するとおりです。
感動
とっても面白い構成になってると思う。画と心理のうまい具合の表現方法や、基本すずの心の声までもが音になってるところ。戦争の話なのに、つらいとこばかりでもなく、こうやって頑張ったり、悲観したり、すごい心の中の葛藤があって、生きてきたんだなと思うと、大人の見る後世に残すべき作品だと思う。
実写でやったらこの好さは出ないんじゃない・・・
このテーマは非常に重い事だが、私として(自分が無知なだけだったらすみません)客引きする為に,今をときめく人?を声優に起用してくるんじゃないかなぁ?〈全く以って知らない人ばかりで〉 此れだけの印象に残す&アニメだからこそ出来る作品?の良さ?善さ?を〔言葉にするのは異常に難しい所〕一寸言い過ぎ?を感じた。
きっと来週も見に行ってしまうだろう
先週最初の鑑賞で感動して、いろんなレビューを読んだ上で原作を買い求め、今日2回目の鑑賞をしました。リンさんのこととか、水原のこととか、いろいろあるのだけど…すずの涙について、わたしの解釈を聞いてください。完全にネタバレレビューなのでご注意くださいね(> <)
8月15日、すずは、いったい何に対して慟哭したのだろう…(原作を見ていない)レビュアーによっては評価が分かれてしまうのは、この涙の解釈によると思う。
「そんとな暴力に屈するもんかね」
晴海を亡くし、右手を失くして…すずは一度絶望する…その後、家を焼かれそうになっても、8月6日に広島の家族の安否がわからなくなってしまっても「生きていこう」と決意したすずの言葉だ。
直後、この決意をへし折るかのように終戦を告げられ(この時の、のんさんの演技は必見!!)、努めて普段通りの営みを行おうと、水を汲み、畑に向かうすず。径子の涙にも敢えて背を向け畑に着くと、日本のものではない国旗が目に入る…
戦争とは、暴力とは、空襲や爆弾だけではなかったのだ。気づくまでには失うものが多過ぎた、遅過ぎたのだ。今のいままでぼーぅと生きてきた自分に、何も出来ない自分に、憤りと後悔が押し寄せたのだ。そんな涙だったように思う。
戦闘の悲惨を語る描写はほとんど無い。軍部の批判もない。むしろ憲兵の横柄をさえ、笑いにしてしまうなんて、これは戦争映画としてはリアリティが無いなどとする見方も確かにあるでしょう。しかし、この映画を観た人が皆、すずのように決意を持って生きていければ…そんな勇気を貰える映画だと思います。まだ見てないひとは劇場で観てほしいと思います。
とくに3月19日の水彩画の様な描写と8月6日の閃光!
息を呑むとはこういうことか、と思います。
圧巻です。
3月19日のオチも
ほほえまカワイイです( ´͈ ॢꇴ `͈)੭ु⁾⁾·°˖
つまりそういう映画です
「生きねば」
公開館数が絞られたせいで、見れたのは一ヶ月後の12月10日。にも関わらず週間動員数は上位を維持している現象は、見終わった今、至極納得がいく。それほど“普通”の映画だったからだ。
“普通”とは何か?と聞かれた時の回答には必ず何かと対比した場合の“普通”を答える。
今の人々からしたら、物語の舞台となった1944年頃の人々の暮らしを“普通”とは思えない。食糧難や軍が間近にある環境を異常な状況であると、今現在と対比して思うからだ。
では当時の人はどう思っているか。高齢者は口癖のように現代をこう言う。
「便利な世の中だね」
高齢者の中では、今は“普通”ではないのだ。
“普通”とは、生まれて自覚したその瞬間から定義付けられる流動的なものであり、戦後70年以上経った現在の自分達から見た戦中は異常であり、しかし成長期をあの時代に迎えた人にとってはあれが“普通“なのだ。
勿論、悲しい思い苦しい思いがたくさんあった。けれどもそれはいつの時代にも潜み、付きまとう苦難であり、それを加味して人は“普通”を定義付ける。
問題なのはその“普通”とどう向き合い生きていくかだ。
人から見れば主人公のスズは、のろまで頼りない。しかし本人は頑張り屋さんで、やることはキチンとやる。嫁入り先で環境が変化した後でも頑張る(円形脱毛症が出るくらい)。
見た目は呆けた感じだが、根はしっかり。スズは嫁入り先の“普通”に順応しようと奮闘したわけだ。
そんなスズに対して同級生のテツは「普通の人でいてくれ」と打ち明ける。今後始まる異常な時代を予見してテツはスズに言ったのだ。
事実を知ってる我々は激化する空襲を知っている。その暗澹とした大戦末期でも、スズは変わらず、そしてスズのその周りも切迫した様子を見せない。どこかしらに笑いが含まれる。
それは知らず知らずのうちにスズの“普通”(のろま)に嫁入り先の家族も順応したからだ。
スズ自身が笑いの器としているように、スズの存在そのものが起点として周りを笑わせ、楽しませた。時代が異常な方向になる中でスズたちはスズのおかげで“普通”を保てたのだ。
しかし1945年になると、そのスズの“普通”は限界を迎える。
スズにふりかかった悲劇、責任はスズを普通の人でなくしてしまった。
ただ見ようによっては、その普通の人でなくなったスズは、現代の人にとっては“普通”に見えてしまう。あののろまなスズの感情が爆発したシーンを見て、逆に我々はそれを“普通”と見てしまうのだ。
しかしスズの感情爆発シーンを見た現代の人が感じたその“普通”が、戦後回復していく日常に対して何かの糧になるのか?と考えたら、なにもならない。
辛かった。だがそれは終わった。これからだ。
スズは再び“普通”に戻るのだ。
戦争が人を変えるのは事実であるが、そんな状況下でも希望を忘れない、生きる気持ちを忘れないのはとても大事なことであると思い知らされる映画だ。
監督がこれを先の311と掛けて震災映画とも語った時、自分の中で311当時報道された瓦礫から救出されたおじいさんの言葉を思い出した。
「また再建しましょう」
この言葉がピッタリの映画だった。
奇しくもこの物語は宮崎駿監督作品の「風立ちぬ」と通じるところがあると思う。
あれが飛行機設計に身を費やし、為した先に悲劇しかなく落胆した結末で終わったのに対して、これはその先を描く、「生きねば」を具体的に表した作品であると思う。
正直風立ちぬより「生きねば」というキャッチコピーが似合っている。それぐらい活力があった。
泣きたくなる作品だが、泣いちゃあスズさんに悪いなぁ・・・
忘れちゃいけないもの
耐え偲び続けた生活、
無差別に受ける戦争の傷。
した方もされた方も
深い心の闇だけを背負う。
地域の有力者の御子息は、
悲惨な前線には行かずに、
手帳に残る点棒の跡。
戦争の悲惨さなんか、
分かるものか。
僕らが忘れちゃいけないものが、
そこにはあった。
こんな話ですけぇ
ピカドンに向かって進むストーリー構成
『あまちゃん』もあの日に向かって
話は進んでたなぁ~、などと
思いつつ。
木訥とした喋り方のヒロイン像もそうか
エンディングの描き方も、人間の
リアルが出てる気がして、
『君の名は』より良かったなぁ~
週末の最終回やったから最前列の最後の
一席をゲットして観れた作品。
この世界の片隅で、心に響いてる
おっさんがいます。
ちょい残酷な童話
絵本みたいな画風/スタイルでありながら、現実にいる人々の共感を起こし、色々私たちに考えさせるのがこのアニメ映画の最も優れたところじゃないかなーと。
ストーリー上には二つの部分で分けられると思う。すずが自分らしく暮らすのと、戦争で失ったものもあったあと心が動揺してる部分。
もともと女の子一人、そしてお嫁になったあとの一人の生活を中心に、その女の視角から戦争を表現するのはもう全てを生活化したものである。(特に女の子の目線と気付くのは、はるみと海軍軍艦に興味を示すなどのところ、戦争に対する予備知識不足も晴美の死・すずは手を失うことに繋がるのだろう)
その中、結構絵本っぽい画風であっても夏に家で寝転んだり、天井を見つめたりするシーンは妙に共鳴を起こす。教室で鉛筆を削るところも。それゆえ、戦争の原因で生活上に起こった些細な変化もそのまま観客に伝わってくる!戦時はそんな感じだなあーと感心できる。
前半のときすずは料理に夢中になったり、服づくりや絵描きもしたりしてマイペースで虚しい戦争環境への反抗とでもあって生きられ、他人事のように戦争の話をしたり憲兵のことでただ笑ったりしたが、後半には失いものもあって特に絵を描けなくなるショックは反映される。昔のこと(前半)に対して一種のノスタルジー(晴美との楽しい時間をおもいだすなど)もあり、戦争そのものの悪影響がどんどん広がっていくのが感じられる。
戦争の中、すずは物作りもして、戦争の破壊に対してまだ根強いところを見せたが、また自分の居場所について考える。どこに行っても戦争から逃れることできず、映画の中にある広島の道並みは絶望の匂いがする。最後には、自分が強くなること、自分らしく生きることが唯一の道だというメッセージもあるのだろう。特に日本が太平洋戦争に負けたことに対して、すずは今まで何なんだろうというふうに問いかける。それは勝負のことより、日本が戦争/侵略への道を選んで何がいいということに問いかけてると捉えたい。
そして人に考えさせるだけでなく、この映画のスタイルも好き。所々で人を笑わせるし、人物も広島の環境もかわいいところがあってそれらにも惹かれる。すずは絵描きが上手という設定はストーリー上にもスタイル上にも貢献する。そのおかげでかわいい要素も増え、暖かい絵になって戦争の残酷さとの対比が鮮明となる。一方、戦争も絵のように表現されるところがあり、飛行機の周りの爆発は、花火のように空で咲き、代わりに絵で表現するシーンだったら水彩が彩る。戦争も、単にすずの絵にあるものなら...
また最初のシーンで水原くんが海を眺める場面をすずは絵にした。その時一瞬全て絵になって水原くんはその絵の中にすずの書いた絵を持って移動する。海と空は綺麗な色で繋がり、海には無数のうさぎ。それは、あの時天真爛漫なすずが目にしたもの。そしてそのシーンは誰においても印象を残すのだろう。それは映画の最後まで、主人公すずそして観客の記憶・思い出となる。
そのほかにもこの映画はメッセージ伝達に色々工夫して、アニメは一体どこまでできるのか、実写映画との違いは何なのかを、教えてくれる。何回もスクリーンが数秒黒くなり、人物の輪郭だけきらめく。樹に引っかかった窓のフレームに小さなフレームごとにすずの広島の家への思いを示す。これらの発想一つ一つ巧妙で製作者が工夫したことを伝えてくる!
人の目を引く以上、アニメーション映画の固有性、アニメしかできないことで色々人に感動を与え、今の生活まで影響を及ばすこともできる考えをさせる必要もある!広島原爆をも題材に、平和を呼び掛け、人に歴史を忘れないようにすることが大事。
心のかさぶたをいじるような
観てから一週間経った今でも、心のどこかがウズウズして思い出す。かさぶたをいじるように、自らの痛みを心地よく感じるように思い出す。
結論がハッキリと分かりやすい映画ではないので、つまらない人にはつまらないと感じると思います。
そんな私も岡田斗司夫氏が大絶賛していたので、期待をして行き、観終わった後は、こんなものかと思っていました。
しかし、涙は自然と流れ、じんわりとよく分からないものが心に残り、ずっと気になり、原作を買い、ほうぼうのレビューを見て納得がいきました。
絵柄はリアルじゃないですが、その日常はリアルに感じられます。
人があっけなく簡単に死に、それが日常になると悲しみも無く。整然と進軍してくる戦闘機を美しいと感じ、恐怖を覚える前に蹂躙される。
そのリアルを前にすると、人間がとても小さく見えます。
片隅に生きるのは、すずさんだけではなく、私たち自身も小さく儚いのです。いつ死ぬかも分からないし、どんなに頑張っても、片隅の物語にしかなりません。
だけど、支えあう周りのみんなの気持ちが、ものごとの大きさの執着を捨て去ってくれます。そんなものはくだらないよ、と。
様々な経験をし、秘密を抱え、他人の秘密を知りながら気遣い、いたわりながら支えあう。とても優しい気持ちになれます。
現代のインターネット社会のように、他人の揚げ足をとり、さげすみあう姿が矮小に感じます。自らの小ささを認められれば、他人を気遣い、優しくなれるのだろうか。
観たほうが良いとは言いません。若い人がこれを観て分かるのだろうか? と思うからです。ただ、年を経てから観てもらえれば、分かってもらえるだろうし、何かの救いにはなると思うのです。
この映画は反戦映画ではないでしょうが、戦争になれば誰かが死に、自分も犠牲になるかもしれません。それでも、誰かの一部になって残るのだと思います。この映画のように。
あと、すずさん萌えがあるのは否定しません。
声優ののんがバッチリとはまり、こんなお嫁さんがいたら良いなと、感情移入してしまいます。でも、そうじゃないです。本当に。
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