「戦後71年の今だから」この世界の片隅に いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
戦後71年の今だから
暗い影も明るい光も音も立てずにそれは忍び寄る・・・ 何気ない日常に、阿鼻叫喚の地獄絵図の最中でも。
漫画が原作ということで、アニメのタッチや風景、キャラの画風がホンワカしていることと真逆にストーリーの過酷さのギャップの激しさにこの作品の深いメッセージが強くスクリーンに映し出される。
今年は邦画アニメの当たり年。ご多分に漏れず、話題作は観てきた。観た後はどれも今年最高のレベルを評価してきたが、この作品は自分の今までの考えを打ち砕くほどの最高の内容だ。『火垂るの墓』は実はしっかりとは観たことがない。だが、今後、毎年、お盆の時期は、この作品は絶対にテレビで放映すべき作品である。音もなく重層的に畳み掛ける不遇。その総てを回収して余りあるラストへの序章。その総てが回収されるカタルシス。不幸も幸福も総ては音も立てずに忍び寄るのだ。
この映画のクラウドファウンディングは、去年にイヤと言うほど、テアトル新宿の予告時間で観た。その時の自分の考えに今、ケリをいれたい。何故にこんな傑作に寄付しなかったのか・・・参加すべき映画をみすみす逃す浅はかさに、今、完膚無きまでに打ちのめされている。
震災も勿論大事。だが、日本はその前、71年前にはもっとボロボロな出来事があったのだ。
今一度問う。自分は『この世界の片隅で』生きてて良いのか?・・・
~追記~
一日経ってもまだ、ラストシーンが頭にこびりついて離れない。
自分の目の前で吹っ飛ばされた大事な右手と、かけがえの無い姪。総てが自分のせいだと被虐に泣くすずが広島で縋ってきた小さな女の子。彼女も又、かけがえのない母親を原爆によって失い、路頭に迷った末の出会いであった。母親の右腕は無数のガラスが刺さったままであり、すずは爆風で右手が無い。その無くした者通しが惹かれあい、運命のままに受容れる。かすかだが、目映い光に満ちた希望なのだろう。。。この出会いの為にもしかしたら死なないで良かったのかもしれないのだ。