この世界の片隅にのレビュー・感想・評価
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どこまでも、丸く、柔らかく、そして優しく
大変な時代、厳しい社会、壮絶な戦時中であるということを、隅々まで丸く、柔らかく、そして優しく包み込んでいく不思議なドラマ。何がどうなるのか、ある程度は想像がつくだけに、判っているだけに切なかった。笑えなかった。ただ、見守るしか無かった。その裏に隠された激しい想いが、判りやすく見え隠れする。それでも、あくまでも柔らかく、丸く、そして切なくて。
玉音放送を聴いて地に伏せてむせび泣く姿。これまで良く観た映像だけど、その本当の意味をやっと知った気がして恥ずかしかった。ああそうか、それまで戦争の煽りを喰らい、大変な生活をしてきたことが、全て無駄になったということだ。何も日本が負けたことが悔しいとか、陛下への忠誠とかそんなんじゃなく、今までの苦労を返せと。少し考えれば判りそうなことだったのに。貧しくとも家庭を守り、大変な思いをしてきたのに負けやがって、こん畜生、と。ただ、無心に平和を唱えることは、それは正しいのかも知れないけれど、そんな単純な物差しでは測れない想い。
そして、最後の最後に凄い話をぶっ込んできたな、と思った。親を失い、拾われたあの子の話。これまでにない、無残な映像にビックリしただけかも知れないけれど。そして、最後の最後の最後に沢山の絵を書いて視聴者に手を振るのは、失われたすずの右手。失われた・・・。
どこまでも、まるく、柔らかく、優しく、そして、切ない――。
これを見て戦争の大変を知ってほしい
私の学生時代に見た時は難しくて内容を理解することができなかったが、しばらくして改めてみると戦争の大変さをリアルに描いている光景に驚きました。
特に、すずが泣き叫んでいるシーンでは戦争することの無意味さに絶望している姿に共感しました。
ここ最近では、戦争の大変さを知らない人が増えていることに不安を覚えています。少しでもこの映画を見て戦争がどれだけ大変だったかを知ってほしいです。
そして、二度とあの悲惨な戦争が起きないようにしてほしいと願っています。
すぐそばにある幸せを知る
空襲と、戦争中の家庭の暮らしの日常を丁寧に描いた映画。すごく良かった。
当時の暮らしの厳しさと、明るく真摯に生きる人たちが見れた。
この映画は、、、説明が難しいな…。説明じゃなくて、観て、各々感じて欲しいです。
私は、今の便利な時代に自分が生きているのが不思議な感覚になりました。それだけ映画は当時の様子が忠実に描かれていたって事なのかな?帰り道、見る景色や行き交う人や、全てがしあわせで涙が出そうでした。
・なにが「よかった」じゃ…!と怒るところ
・水原さんを責めるところ
・周作さんのまじめな所一途な所、すずさんのおっとりしてる所明るい所
が、特に好き。良かった。
悲しくて切ないけど、すごく幸せを感じさせてくれる素晴らしい作品です。見てください!!おすすめ!
アニメ耐性がついたおっさんが出会った幸せ。被ばく2世のおっさんは本作をこう見た
「傷物語II」「君の名は。」「聲の形」と今年アニメ映画にチャレンジする、という目標を掲げ、最初のとてつもないハードルをなんとかクリア?し、ここまで来たおっさんにとって、本作を鑑賞することに「アニメ映画」というハードルを全く気にせずに鑑賞しようと思ったことは自然な流れ。
ましてや、広島市、呉市が舞台の映画。被ばく2世のオレにとって、「観なければいけない映画」である。
「この世界の片隅に」
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私的なことだが、主人公すずは、オレのおばあちゃんにあたる世代である。
祖母はまさしく「そのような生き方」をしてきたお人である。いきなり終盤の話をするが、広島で原爆を受け、孤児を受け入れ、孤児院を立てた立派なお人である。
だが、それ以上に、「かわいい」人だった。笑顔がくしゃっとなる。祖母と暮らした日々は中学生までだったが、「当時」の話は一切しなかった。今も資料館にその書記を残す祖母がなぜ「当時」の話をしなかったのか。
それはたぶん、「精一杯生きることに、周りがどうだろうと、やるべきことをする。子供たちにこれ以上悲しい思いをさせない」
本当に、ただそれだけだったのだと思う。
ただ日々を、その日を、その次の日を、その次の年を、「生きてきた」だけなのだろう。それは大変な日々だっただろう。だが、人は笑っていきていたい。
いや、「笑っていきなければいけない」。
祖母のように、すずのように、どんなに世界の片隅にいる人間でも、何があろうと、そうなのだ。
大事なものが奪われる。だが、今は生きている。ならば。
その「ならば。」をどう過ごしたか、この映画の登場人物のさまざまな「ならば。」を「さりげなく」描いていることに、オレはうれしく、悲しく、その「上手さ」に激しく感動しているのである。
この映画には、その日々がある。そしてそこからの、未来がある。
この映画は、戦時中、戦後と、主人公すずが日々を生きる姿を描くと同時に、彼女の中にある「相反する思い」が日々常に交錯し、それが「笑い」「怒り」「悲しみ」「諦観」を重ね、織り交ぜ、小さなエピソードをいくつも見せてくれる。
広島を故郷に、呉を田舎に持つオレにとっては、特に瀬戸内海の景色、小丘の松の木、その土の質感に涙する。
周作の、すずへの気配りと照れの所作に微笑み、性の生々しさを感じる。
哲くんの、すずの「普通の姿」をみて、カットごとに、「はははは」と笑う姿に爆笑し、そして涙する。
ラッキーストライクの空き箱の入った残飯に、怒りと笑いがこみ上げる。
一番ボロ泣きしたのは、ラストの橋の上で、バケモノのかごから出てきたアレ。最高に優しい新たなる出発である。
そして、孤児を連れて帰るすずに涙する。その子供は、うちの母とほぼほぼ同い年にあたる。オレはおばあちゃんのおかげで、ここにいるのだ。
追記
エンドロールも泣かせる。「受け継ぐ」、とはこういうことなのだ。
「描く」ことへのこだわりが革新的な映像表現を生んだ
昭和の戦時の暮らしを描くアニメで、これほど新しい映像体験になるとは!郷愁、お涙頂戴のありがちな作品かと思いきや、当時を題材にした従来のアニメとは一線を画する傑作だ。
主人公すずは、描くことが大好きな女性。親に縁談を決められる時代、女性の自由意志がろくに認められない世界に、自分の存在を刻むかのように、目にしたものを絵に描く。すずが描く風景画は、時にアニメの中の実景を書き換える。その表現手法が新鮮だ。
小気味よい編集テンポも新味に貢献。市井の人々の生活を語るならゆるいペース配分もありだろう。だが、日常を淡々と、ごく短いカットで次々に描写を連ねる手法は、じっくりと共感することを拒むかのよう。しかし、物足りなさがあるからこそ、二度三度と観賞したくなる。
能年玲奈=のんの声の存在感も大きい。すずが「あまちゃん」のヒロインに通じる天然系キャラであることも、感情移入のしやすさに寄与している。
思い出すたびに涙が溢れてくる
戦争の悲惨さを訴える従来の映画とはまるで違う。えも言われぬ幸福感、温かさを抱きしめながら、ふとこれはラブレターなのではないかと思った。あの時代を生き、必死に日常を耐え忍んだ人たち。それは観客一人一人にとって決して他人などではなく、誰もが世代をさかのぼればすぐに当人たちへと辿り着く。物心ついた頃には既にシワクチャだったおじいちゃん、おばあちゃんたち。彼らが初々しい少年や少女だった頃のことをこれまで考えたこともなかった。どんな風に成長し、新婚を迎え、戦火の中でどれほど大切なものを失い、そして新たに生まれた生命にどれほど希望を得たのか。すずさんの心の機微はきっと多くの日本人に共通していただろう。私の祖父祖母もとうに亡くなってしまったが、もっと当人から話を聞いておけばよかったと心が苦しくなる。だからこそ、こうしてこの映画へ足が向いてしまう。すずさんに会いたくてたまらなくなる。何度でも、何度でも。
観た人に語らせる力の凄まじさよ。
泣いた映画がいい映画とは思わないが、この映画は泣かせの演出はほぼないのに文字通り洟をすすりながら観た。自分は映画から入って原作を読んでまた映画を観た。原作ファンが映画の改変について物申したくなるのもわかる気がしたし、監督が原作カットしたプロットをあの手この手で行間やエンドクレジットに仕込んできたこだわりもわかった。
自分は映画単体で傑作だと信じているし、原作ファンもてんでダメなシロモノだったらこんなに反論や検証で盛り上がったりしなかっただろう。自分が思うことは、とにかく素晴らしい原作があり、映像でしかできない表現で映画化し、自分を含めた受け取った観客が平静ではいられないものができたということ。
言葉を尽くしても二時間強に込められたディテールを解析し切ることはできないし、エモーショナルな衝撃を説明することは不可能。ただこれほど繰り返し観て考える価値がある映画もないと断言しておきたい。
高評価のビッグタイトルなので観てみたが
ん〜、ちょっと苦手だった
戦争で当時の人々が味わった恐怖と苦渋は現代人の想像を遥かに超えたものがあると思うし、私の様な者が軽々しく語るものではないと心得ていますが、だからこそ本作にはとても違和感を感じました
出てくる人が全員良い人、想像を絶する辛いことが起きても前向きに微笑んで支え合うといった描写に「こんなに美化してもいいのかな」と非常に大きな違和感を感じました
もう少し突っ込んだことを書きたいところですが、文面だけだと誤解されて読む人によっては不愉快にさでてしまうかもしれないのでこの辺にしておきます
決して本作を否定しているわけではありません、ただ自分には合わなかったというだけです
「くれえ〜!」「くれえ〜っ!」
柔いのうーお、船が柔お〜出来とるぅ
絵が柔いけん〜🪼𓈒 𓏸 𓐍( *´꒫`)
悔しいの〜悔しいわァ~…
無念じゃのおぉ無念じゃわい
一生懸命生きてるからこそ、喜怒哀楽が感動するやわ(T ^ T)
心に残る映画
絵のタッチが個人的に好き。
すずさんの日常にほっこりする。
だけど時代は第二次世界大戦真っ只中。
時代には逆らえない儚い物語。
あの時代の人はこんな生活をしてたんだなぁっていう想像が膨らむ映画。
この作品を世に送り出してくれた全ての人に「ありがとう」
忘れられない物語がある。その物語を観たときの生の感情は再び味わうことはできない。でも、その物語が映画として残っていることで、観る度にその感情に近づくことができる。何度でも。だから、ありがとうと言いたい。この作品を世に送り出してくれた全ての人に。
2017年1月のある日、私は映画館へ足を運んだ。郊外のショッピングセンターに併設された小さなシネコンだった。この映画を観て何度もクスッと笑った。そして終わる頃には涙が止まらなくなっていた。映画館で泣いたのは生れて初めてだった。パンフレットを買い、原作漫画を買って読んだ。それから2回観に行った。同じ映画を3回も観たのも初めてだった。そして、2回目も3回目もどうしようもないくらい泣いた。どうしてこんなに涙が出るのか自分でもわからなかった。でもそれはとても暖かい涙だった。
この作品は、戦時下に生きたおっとりとした女性「すずさん」を描く。彼女が少女から大人になる過程を、彼女の目を通して見た世界を、ときに彼女の空想を織り交ぜながら描く。そして戦争という特殊な環境下でも、好きな絵を描き、着るもの、食べるものに関心を寄せ、婚家での人間関係に悩み、夫との関係に悩む、どこにでもある「日常」を生きる姿を描く。
野草を使ってまな板をバイオリンのように肩にかけて料理をする場面にほっこりさせられる。砂糖をアリから守るために水に落とすというドジにクスッと笑う。どこまでいっても憎めない、ちょっとぼーっとした天然なお嫁さん。すずさんの愛らしさに惹かれる。
場面は、月日の経過を文字で伝えつつ、刻一刻と進んでいく。じわじわとその影が迫ってきても、どこか実感がなく、遠くの世界の話のように感じていた戦争。それが突然やってきて彼女の幸せな日常を、暴力的に一瞬で破壊する。その破壊の場面は、暗転したスクリーンの中で、間接的に、しかし強烈な表現で描かれる。こんな表現は観たことがない。
日常を破壊されてもなお、痛みを抱えて別の日常を生きなければならない彼女は、兄の死さえ実感できず笑い話にしてしまう自分を「歪んでいる」と言う。そして、原爆投下。終戦。玉音放送を聞いた後に地面に伏して泣いた彼女。彼女は何故こんなに感情を爆発させたのか。なぜ怒り、悔し泣きをしたのか・・・
戦後のすずさんは、戦後の「日常」を生きる。そして新しい家族を創る。少女だった彼女は、たった数年で大人の女性になり、母になる。
呉の街を見下ろすラストカットは、新たな日常を生きていくすずさんたちの未来を感じさせる・・・
悲しくて泣くんじゃない。どんなことがあっても力強く日常を生きるすずさんと周りの人たちに心打たれて涙するのだ。
どうしてこんなに惹かれてしまうのか。
それは、この作品が、この時代にたくさんいたであろう、名もなき市井の人々の生き様に焦点を当て、世界の片隅の一人一人に、かけがえのない日常と物語があったということをまざまざと見せたからだと思う。
そして、「すずさん」という唯一無二の愛すべきキャラクターの存在。彼女を生み出した、原作者こうの史代氏、映像化した片渕監督、声で命を吹き込んだ「のん」。
リアリティに拘りながらも淡く、やさしいタッチの絵。ささやくようにやさしく歌うコトリンゴの声。この作品の世界観を表現するために、なくてはならない要素に携わった人々の、この映画を届けたいという、並々ならぬ想いが、じんわりと伝わってくるのだ。
最後に。
この作品は、反戦映画ではないと私は考えている。
しかし、戦争が、長い時間をかけて徐々に日常に入り込み、突然牙を剥く性質を持っていることを忘れてはならない。そして、日常が、どれだけかけがえのないものであるかを、忘れてはならない。そう思う。
これからも、何度も観て、何度も涙するであろう、宝物のような作品である。
のんさんの素晴らしい演技は、他の声優さん達の「先撮り」あってこその...
のんさんの素晴らしい演技は、他の声優さん達の「先撮り」あってこその「後日撮り」。役者さんみんなが素晴らしい!アクションとリアクションの引き上げ合いということが、もっと知られて欲しい。
【これがユーモア、地獄でも笑えるんだぜ】
やたら評判良いのは聞いていたから、あえて原作読まずに鑑賞しました。
見終えた時には「普通に良い映画だな~」くらいの感想で、すすり泣いてる人たちを後にさっさと帰りました。
帰り道、ちょっと待ってあれだけ大変な時代が舞台の映画で「普通に良い」ってなに?と考え込み、家に着いたときその尊さがようやくわかって、めまいがしました(遅)。
すずさんがごはん作るの失敗しても、あの一家は誰も怒らない。
仲間だから。
みんなで困って、みんなで考えて、みんなで直してみんなで笑う。
何がおきても。何が降りかかってきても。
そのしなやかさ、折れない強さ、尊さ。
嘆かない、責めない、引きずらない賢さ。
やさしさ。思いやり。やりすごす知恵。
ふっとココロの頭が下がります。
嫁いでから、すずさんは一枚も絵を完成させられない。
スケッチ帳も途中まで。周作さんの似顔絵も途中まで。
何かしらの理由で中断してしまう。
結果に届かずとも、成果を上げられずとも、日々の営みを淡々と続けていく彼女の生き方。
工場で図面を燃やす義父さん円太郎も、同じ覚悟を胸に抱いている。
以来、尊崇の念と即ピンとこなかった申し訳なさで、原作熟読し、Bru-rayも買って何度も見直し、原画展も行き、広島の友達にグッズを買ってきてもらい、などなど・・・。
こうのさんのファンになり、「平凡倶楽部」「さんさん緑」「長い道」をよく読み返しますw。
何か良い映画
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戦時中に広島育ちのド天然主人公は、結婚をして呉へ。
軍事拠点のため空襲は日常茶飯事の中、強く生きていた。
気の強い義姉が出戻りで同居していたが、それなりにうまくやってた。
しかし空襲の時に義姉の一人娘を連れた状態で爆撃を受ける。
これにより娘は死亡、主人公も右手首から先を失う。
そして義姉に辛く当たられ、広島に帰ることを決断、旦那に告げる。
しかし義姉は主人公に辛く当たった事を悪く思っていて、詫びる。
そして変な気を遣ったりせず身の振り方を決めるよう告げる。
こうして呉に残る主人公、そしてまもなく広島に原爆が落ちる。
やがて終戦し、主人公夫婦は広島を訪れ、孤児を連れ帰る。
こうして新しい生活が始まるのだった。
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劇場で見た。何を訴えたいのかが難しくてよく分からなかった。
でも戦争の悲惨さや恐ろしさ、人々の強い生きざまはよく分かった。
戦争をしてはいけないこと、現代人は恵まれていることが伝わる良い映画。
主人公は鈍くさくて、義姉の妹の死因にもそれは絡んでいる。
だから主人公も辛かっただろうし義姉の腹立ちもよく分かる。
でもそこが訴えたいことではなかったっぽい。
旦那も嫁を束縛せずに理解してくれるいい人で、主人公は救われている。
タイトルは「この世界の片隅に自分を見出してくれてありがとう」の意味で、
やはり旦那との愛情部分がメインテーマとなるのかな。
しかし能年の声が主人公のキャラとピッタリで顔が浮かんだ。
やっぱり表現力あるのかな、適役だったと思う。
テアトル新宿が大変なことになっていると聞き
劇場公開時鑑賞。「片渕須直監督?はて?」と最初は思ったが、『アリーテ姫』の監督と知り一気に前のめりになった。
当時は配給の東京テアトルさんの株価まで上がったりしてて。公開1ヶ月以上経って少しは落ち着いたかなと梅田に観に行ったら、考えが甘かったり。通常の興行状況ではあり得ない推移してましたよねえ。東宝の邦画と家族向けアニメしか上映しない地方の小規模劇場にすらかかったり、何もかも異例づくめの作品だった。
冒頭の船から陸に上がった場面でもう、非常に丁寧に作られているのが、私にですら見て取れる。銃撃場面の異様な迫力の音響に驚かされたり、夢の場面の特異な演出とか、原作の良さを引き出した上で、さらに上乗せしてくるのはいったいなんなんだろう。原作読んだり、デッキ持ってないのにBlue-rayソフト買って制作過程を見たり、知れば知るほどすごいという言葉しか出てこなくなる。
演者さんはみんな良いですが、サン役新谷真弓さんが好き。
く〜れ〜く〜れ〜。
「(さらにいくつもの)」が有れば、コチラはいらないかどうか…いらな...
「(さらにいくつもの)」が有れば、コチラはいらないかどうか…いらなくないです。
周作が愛した白木リンが登場するべきか否か…登場しなくても大丈夫です。
周作とすず二人への愛や切なさが白木リンの魅力でもあり、美しくも儚いその素敵なキャラクターを割愛した本作は、つまり完璧じゃないのか…完璧じゃなくても大丈夫です。
大人の恋愛をカットしたことでマイナスになったのか…むしろプラスです。
結局「(さらにいくつもの)」と、どちらが好きなんだ…両方好きです。
なぜ…スッキリしていて、ドロドロした恋愛モノ感が薄くて良いと思います。白木リン無しでも充分深くて味があって切なくて面白くて・・・戦艦大和のタッチも素敵ですし、径子や晴美もいて、ちゃんと感動するから大丈夫です。
やっとスクリーンで観れた!
8月6日に地元の公民館での上映会で鑑賞。数年前にテアトル梅田で観てから(もう一度映画館で観たいなぁ)と思っていたので、今回の上映会はとても嬉しかった。
初めて観た時、すずさんの右手が爆弾で吹っ飛んだ場面で大きな衝撃を受けたが、今回は落ち着いて観ることが出来た。
最後、お義姉さんがすず夫妻が連れてきた孤児に、亡くなった自分の娘の洋服を選んであげているシーンを観て、何だか救われた気がした。
できれば前情報なしで
戦争当時を描いたものではあるけれど
陰鬱としてはいない。
主人公すずのノンビリした性格によるモノで
それでずいぶん救われてもいるし、
彼女が知らない土地へ嫁いでも
可愛がられるのもよく分かる。
この作品では悲しい場面もあるけれど
泣き叫ぶ描写は少ない。
あの当時の人たちは、きっと、
悲しいことも、自分だけではないのだと
表に出すのも控えるようにし、
飲み込んで明るく目の前のことを必死に
こなしていたのだろう。
市井の人からみた戦争というものが
肌感覚で伝わってくる作品だった。
あのおもてなしには驚いたが・・・。
観に行く前にさんざん周りから
とにかく泣ける、涙が止まらない、と
言われてたせいなのか、
ホロリ程度はしたがそこまででは無かったなあと
期待はずれに思ってしまう面もあった。
作品はいいものなのに。
前情報あまり入れなかった方が良かったようにおもう。
もがれた白い手が 僕たちに向かって振られている
僕の娘は、この映画を見ながら泣き、
この映画を見ながら美大に通った。
田舎町に生まれて、すずさんと同じに絵が好きで、誰にも知られずに普通に生きて、うちの娘も大人になっていった。
恋をしたり、大人の男を知ったり、裁縫をしたり、料理したりしながら、彼女は、好きな絵筆と彫刻刀をその手で携えてこの先も生きていくのだろう。
誰の手ももがれることなく、世の娘たちよ、その手で恋をし、男を抱き、裁ちばさみを走らせ、小鍋を揺すっていてほしい。
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娘へ、
あなたのひいおばあちゃんは
空襲警報の中で台所で、子供たちに食べさせるためのぼた餅を作っていました。
ピューーっという爆弾の音に
「あれよ!あれよ!」と言いながらぼた餅を抱えて庭の防空壕に転がりこんできた人です。
片田舎で「ミル」という名の犬を可愛がっていた普通の女でした。
覚えていて下さい。
しんどいに決まっている
戦時中が舞台なのに、のんきだ。明るすぎる。という意見がある。ごもっともである。
私は戦争を経験したわけではないし、話や資料で見聞きしたことしかないが、それらは辛く暗く残酷で目も背けたくなるような史実であると教育されている。我々が知り得る第二次世界大戦はそういうものであり、画風も相まってか、ある意味マイルドな印象を受け、我々の知ってる戦争とはギャップを感じる。
というのも
すずさんと言ったら、能天気、ドジ、のろまでお人よし、ぼーっとしてて、絵が好きがゆえ必死さが感じられない。
しかし戦争はとても理不尽で平等に、懐いてた姪を殺し、好きと言ってくれた幼馴染を殺し、絵を描くための腕まで飛ばした。
絶望の淵、まさに悲しくてやりきれない。
能天気だがこれが窮地であることは分かる。
ドジだが、家に落ちた焼夷弾を身を挺して消さねばならぬ
のろまだが、鷺をこの修羅から少しでも遠くに逃がされねばならない、こんな人間のエゴに巻き込んでならない、と走る。
と行動させざる得ない状況にある
なんてしんどいんだろう、生きる希望が目の前で吹き消される感触、息も絶え絶えままならない。
でも、ただ生きねばならない。足がもつれても、前に歩き出さねばならない、しんどいに決まっているが生かされた、代わりに死んでいったたくさんの命があった。歴史にはされど重要視されない、しがない市民の、この映画がなければ知る由もない、この世界の片隅での物語だとおもう。
なんとたくましいのだろうと思う、途方もなく長い長い道の先で我々の生活があるだとしたら、すずさん、日本は平和になったよと。
どんなに呑気に暮らしていても完膚なきまでに潰す、好きな人を簡単に瞬殺する、どんな正義があっても戦争はよくない、絶対に。
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