オーバー・フェンスのレビュー・感想・評価
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意外に笑えるシーン多し
題名通り最後はフェンスオーバーのホームラン打つんだろうなと薄々思っていたが、本当に打って終わった。
ストーリーは色々あったし、よく分からなかった事とか全て吹っ飛ばしてヒロインの笑顔でスカッと終わった。
ある意味映画って終わりよければ全てヨシなんだとつくづく思った。
細かい事を言うと北海道訛りのせいか、声が小さいせいかセリフが聞こえ辛いところが多々あった。
観るなら最後まで。
色々屈折した人達ばかりが登場する映画。正直途中で観るのを止めようかとも思ったが、やめずによかった。主人公は屈折しているのではなく、不器用な人だったということか。タイトルの意味は最後に分かる。こういう清々しいエンディングは全く予想出来なかった。
蒼井優という女優は出来る役の幅は狭いかもしれないし美人とはお世辞にも言えないが偶に凄く可愛らしく見える瞬間がある面白い女優だと思う。彼女はフラガールでも福島弁が自然だったが、函館弁も実に自然に聴こえた。函館は何度も行っているが数年ぶりに又訪れたくなった。
生きづらさ
職業訓練校の先生は、人の話を聞けないADHD傾向で、殻に閉じこもり、不器用な森くんは自閉症傾向で、協調性運動障害。
サトシは躁鬱症で、嫁は産後うつだったのだろうか、なんて事を思いながら見ていた。
オダギリジョーは、何やってもうまい。蒼井優の求愛ダンスも、きっと誰よりもハマっていると思う。
原作者を知らなかったのだけど、『そこのみ』も観た。気になる系統の作品。
ドヨーンと暗い日常だけど、最後は少しでも光がさしたのでよかった。
ここのレビューで、『ジム・ジャームッシュ』を引き合いに出していたけれど、うん雰囲気は似ています。確かに。
喜びと絶望。
佐藤泰志の三部作最終章は、前二作と比べてほんわかしている。
冠文句に「絶望」の文字が必ず刻まれている暗い重い切ないを
体現させる内容には違いなくても今回の恋愛は主演二人の得意
な演技が映えてとても観やすい。漫然と暮らす男に情緒不安定
な女が絡んで日々の生活を喜びと絶望の境地へ導く。誰しもが
抱える過去を大仰に見せびらかす訳でもなく、なぜそうなった
のか詳しい説明もなく、だって人間は表面から見せて近づいて、
奥底まで見せないうち相手と通じ合い、ぶつかり合ってやっと
本性を見せ始めるものなんだからと言っているよう。面倒だか
ら関わらない人生を選ぶか、面倒でも喜怒哀楽に満ちた人生を
選ぶか。ラストの清々しさが心地よく単純な場面で彼らを結ぶ。
ジム・ジャームッシュを待っている
原作、佐藤泰志(作家ありきの企画だとおもうので、かなり作家寄りの感想です)。
他に映画化されたものに『海炭市叙景』『そこのみにて光輝く』。「社会の底辺で必死に生きていく若者たち」「地方都市の閉塞感」に光をあてる…みたいな映画とされている。それにずーっと違和感あった。
佐藤泰志の小説全て読んでるが、底辺感ってまるで感じない(あくまで個人的な感想です)。
お金は無いが、ジャズ喫茶とプールと映画館に通う若者たち。登場人物達は、トリフォーを語り、ビクトル・エリセに感動し、パゾリーニをバカにし、ジムジャームッシュの新作を心待ちにしている、けっこうなシネフィル…そんな設定であることが多い。
そういう人を底辺だねと安易に同情したら、逆にバカにされそうでもある。あえて規範外に身を置いているんだという心意気(それこそジャームッシュ的な)すら感じる。
「底辺」とか「地方都市の閉塞」とか、たとえ自身で感じていたとしても、他人からは間違ってもそう思われたくない。可哀想と同情されたくない。共感を寄せても「お前に何がわかるんだ」という頑なさがある。
私が、佐藤泰志に心動かされるのは、その、頑なさ。
人に寄り添っているようで、いつも距離がある。
頑なさと共鳴の間で、チリチリと爆発を待っているような何か(怒りなのか、希望なのか、何なのかはわからないが)。
だからこその青春小説ではないかと思う。
あくまで個人的な感想だが、『オーバーフェンス』は、佐藤泰志らしさが、色濃く感じられた映画だった。
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ほぼ逆光で撮られたオダギリジョー(ちゃんと光を当てて撮られた女優達との対比が面白い)。
充分な光量で撮られた彼のカットは、怒って頑なになって反発している時だけ(2シーンだけ)。
その他は曇天にまぎれている。
反発しながらも、何かを待っている。何かを求めている。ホームランなのか、蒼井優なのかは知らないが、何かを待っている。チリチリとしながら何かを待っている。とても佐藤泰志らしい映画だと思った。
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追記1:オダギリジョー、松田翔平、松澤匠らの、良い意味でのウソっぽさ、フィクションぽさ、安っぽさ、カッコ良さがとても良い。
かつて、文芸評論家の江藤淳は佐藤泰志を「日活映画のアクションもののような安っぽさ」と評した。私はその安っぽさフィクションぽさが長所であり短所だと思う。
ちなみに丸谷才一は、「若者たちに寄り添ひながら、しかしいつも距離を取つてゐる」のがとても良いと佐藤を評している。
「チリチリした怒り」と評したのは確か遠藤周作(これに関しては読んだのが昔すぎて記憶違いかも)。
追記2:佐藤泰志と親交のあった福間健二氏の書籍「佐藤泰志 そこに彼はいた」、すごく面白くてナルホドと思った。
追記3:佐藤泰志に関するドキュメンタリー映画『書くことの重さ』。知ってる人が出てたので、公開時に観たが。低予算とはいえもう少し何とかならなかったのかと、ちょっと残念だった。
追記4:日本のジムジャームッシュといえば山下敦弘監督(ほんとか?)だが。彼の『リアリズムの宿』『松ヶ根乱射事件』なんかもチリチリしながら何かを待ってる映画だなあと思います。
道具の手入れをさぼると、あとで自分が大変になるからな
映画「オーバー・フェンス」(山下敦弘監督)から。
主人公の田村聡(女性)を演ずる、蒼井優さんの求愛ダンスは、
ダチョウ、ハクチョウ、そしてハクトウワシになりきっていて、
もう一人の主人公、オダギリジョーさんが惹かれるのも頷ける。
鳥を真似して踊る姿は、とても素直で美しいのに、
1人の孤独な女性に戻ると、愛情表現が上手く出来ない。
そんな不器用な生き方しかできない人たちが綴るリアルな生活は、
こんなにも切ない物語になるのか・・と、メモをした。
周りの人間と、うまくコミュニケーションがとれない人たちは、
舞台となった「函館職業技術訓練校」の中でも、同じである。
観終わってからメモを振り返ると、冒頭に大工の教師が
(いろいろな理由があり通っている)老若の生徒たちに向かって、
「道具の手入れをさぼると、あとで自分が大変になるからな」と
ノミの刃の手入れを欠かしてはならないことを伝えるが、
実は、手入れを怠ってはいけないのは、大工道具だけでなく、
将来に渡って良好な人間関係を築くのに必要とされる、
「コミュニケーション能力という道具」や「愛情表現」なども
含めてのことかもな・・と、勝手に解釈してみた。
生きるために必要な「道具」の手入れをさぼると、
あとで自分が大変なことになるんだよなぁ、やっぱり。
あー良かった。
無残な終わり方なのかな‥と思ってハラハラ見てたけど、ハッピーエンドで良かった。さとしの素性がもう少し描かれれば、見ている方としてもっと彼女を好きになれた気がする。二人が惹かれあって行くのは伝わったけど、あの鳥の羽のシーンは陳腐に見えた。主人公の涙、なんでだろーと思ったけど、それが分かったシーンはぐっときてしまった。
どうしようもなさの中にある救い
うまく立ち行かない人生の中で男と女が出会う物語。
まずオダギリジョーと蒼井優の実力に感服。特に蒼井優の困ったような笑顔と垣間見える危うさ、そして伸びやかに踊る姿はなんとも魅力的だった。あとは勝間田さん役の鈴木常吉がいい味を出していた。
人間味のある人々を描きながら心地よいスピードで物語が進んでいく。
最後のホームランと軽快な音と、ボールを追う目線だけを映すカメラワーク、そして振り返った聡のぱっと明るくなる表情。最高にきれいな終わり方だった。山下敦弘監督、憎い演出をするなぁと感心。
心が晴れたような救われたような、爽快感に近い感覚で映画館を出た。
なんかやるせない気持ちになります
自由になりたい、思い描く自分になりたい、でもなれない。でもそこからもがこうとはせずになんだかんだ言いながらもフェンスの中に閉じこもってしまうというタイトルの意味はリンクしてて伝わりました。特にさとしが動物を逃がそうとしたのに逃げないシーンが象徴的な役目でした。
みんなそれぞれ人生のギャップに苦しみながら生きていて、見ていてやるせなく、でもなんだかんだソフトボールに夢中になる姿はそこで生きる意思なのか、最後のホームランは前向きなのかよく分からない気もしました。
キャストは豪華ですが、一番良かったのは優香さんでした。あんな大人びた女性の雰囲気が出せるんですね、僕はかなり年下ですが、、、そう思いました。オダギリジョーはこういう雰囲気の映画よく合いますね。
諦めた人生のリアリティ
特にTBSラジオでのCMが凄まじく、これだけの宣伝露出ならば期待値以上の作品なのかと勝手に『オーバー』してしまうが、実際の所は、非常に感想の難しい内容であった。キャッチコピーの一つにこの監督の『函館三部作』が飾られているが、どうしても函館でなくては駄目だという説得力はなく、ロケ自体はどこであっても良いのではないかと思うストーリー。
ただ、主人公の気持ちや置かれている状況は、共感が否が応でも感じ取れる。荒んだ生活を職業安定所というそれこそ唯一の『安定装置』にぶら下がり、その間の生活援助を得る。この制度自体、自分も経験があり、またこれからもお世話になる可能性が高いので、身につまされる辛い思いが胸を締め付ける。多分、優秀な学歴とそして一流企業への就職、一生懸命家族を養うための会社への滅私奉公が、逆に家族を犠牲にする日々の生活の中で、徐々に妻が壊れていき、そして子供に手を掛ける妻を底まで追いやった自分の責任で、別居を余儀なくされる。責任とはいえ腑に落ちないけじめ、未だ捨てきれない愛情、本当に自分が悪いのか、誰が悪いのか、自分の中で決着が付いていない中で日々の生活をしていかなければならない苦しさ。傍目には失業保険を食いつぶすだけの社会の迷惑な人種だと自ら自己卑下しながらの暮らしはビールと弁当屋の食べ物だけの寂しさに包まれる。
そんな職業安定所での、他の入所者との触れ合い、ソフトボール大会、そして、ひょんな事から知り合う、精神的に病む女との出会いの中で、主人公の今までの人生へのけじめ、そして未来への希望の端を垣間見ることを淡々とそして切々と語りかけてくるストーリーである。
狂言役であり、ヒロイン役であるところの蒼井優の演技は確かに堅固である。ハスッパでしかし子供のような仕草、病的な程の潔癖な発作と、ズカズカと主人公に対する痛い傷を掻き回す無神経さ、しかしだからこそ見えてくる相手への切ない拙い愛情表現。
ヒリヒリとする程、本音をぶつけそして勝手に傷つく、心の自傷行為。その余りにも天真爛漫さ、手に負えない突発的な行動の数々に、主人公は別れた妻の本当の気持ちを理解することができる。
小説が原作で、自分は未読だが、多分、丁寧に映画化が施されていると感じる。入所者の中の1人、満島真之介のイジメに対する爆発のシーンがMAXの抑揚位で、それ以外は盛り上がりはあまりない。邦画としてはこのテンションのレベルは一つのカテゴリとしては必要だと思うのだが、商業的にどうなのかと心配もしてみたりする。かなり文学的な作品で、ある意味挑戦的な映画なのかもしれない。最後のホームランのシーンはラストシーンとして陳腐かもしれないが、落ち着くところに嵌って、カタルシスは得られるかと感じる。
すごくよかった
主人公が合コンで「楽しいのは今だけだ、そのうち何も感じずただ生きているだけになる」と呪詛の念を若者に向かって吐き出すのが面白かった。
会えない子供がいるつらさは本当に身にしみる。そしてやっかいな彼女と付き合うのはやめておいた方がいいと思う。本当の地獄はここから先だ。
元妻とあのように穏やかに面会できるのは驚異的だ。
キャバクラみたいな場所で遊ぶ文化がないので、楽しそうだった。でも元々そういった場所に気軽に足を運ぶ人は楽しい人であったり、楽しさに貪欲であるので、適正がないのにうらやましがるのもお門違いだ。
職業訓練校がまた、楽しそうで、大工の実習を受けてみたい。そこで習って自宅を自作するというおじさんがいたのだが、それがすごくいい。自動車整備も習ってみたい。
かっこ悪くてもフルスイング。
オダギリジョーがちゃんと40代っぽくなっていて、
それでいて相変わらずかっこよくて、
あたしも二人乗りしたーい、ジョーの背中のにおいかぎたーいと、思いました。
かつては鍛えられていた肉体が、少しゆるんで、薄く脂肪をまといつつも、
筋肉はまだまだ健在、という感じがね、たまらなく色っぽくて、
さわりたーい、だかれたーいと思いました。
太もも、二の腕、、、いいなあ、ジョーはいいなあ。
香椎由宇になりたいと何度思ったことか・・・・
あとは、声ですね。出演してるか知らなくても、
わたし多分ジョーの声は聞き分けられる。
彼の声が、とても好き、とあらためて思いました。
全部のオダギリジョーを追っているわけではないですが、
私的には舟を編むの西岡くんに通ずる、胸キュンジョーだったわけです。
あ、重版出来!の五百旗頭さんを忘れてはならないわ。
かっこよかったのよー、五百旗頭さん素敵だったのよー。
もっとジョーへの萌えを語れますが、いい加減気持ち悪いんでやめます。
・・・・・・・・・・・・
基本は白岩の別れた妻(優香よかった)の側で物事を見ている私ですが、この映画ではがっつり白岩に寄り添いました。
自分を普通と思って、疑うことなく普通を体現していたのでしょうね。だから妻や妻との生活、そのほか人生の全てを、個々のものではなく、一般名詞でくくれる金太郎飴みたいなものとして、向き合ってたのでしょうね。
でも、何事も一般名詞からはみ出るものがあるんですよ。
それが一番大事なんです。
白岩は、そこに気づいていなくて、これまでの人生が全部崩れてしまった。
しかも、まだそのショックから一歩も進めていない。
それが物語の始まりの白岩かなあと思います。
白岩は、地元に戻り、職業訓練校で無為に過ごしつつ、聡に出会った。
若い女という一般名詞からほとんどがはみ出していて、自分をコントロールできない聡になぜか惹かれるのですね。わからないでもないです。
聡は壊れているけど、強い輝きもありますから。
夜の遊園地だか動物園だかわからない公園で、白い羽根が雪のように降るシーンがありますが、ふわーっと幸せな気分になりました。
代島の言い分がまあ世間の声ってやつでしょう。でもそれを振り切って、聡と一緒に踊る白岩の幸せそうなことったら。田舎のキャバクラのしょうもない戯れのダンスがとても稀なる希望のダンスに見えました。それでええんですよ、と思いました。
聡の危うさからして、2人はそう長く続かないかもしれませんが、明日や来週が楽しみになる程度に、未来を夢見られたならばそれでいいじゃないよと思いました。
何かに取り憑かれたように傘で素振りをする白岩が、明日を楽しみにして眠れるようにと祈りました。
職業訓練校の同期達の一筋縄でいかない感じと、その過去を覗き込まない程度の距離で仲良くなる感じ、よかったです。
森くんをいじめる中卒くんと教官。なんかふにゃふにゃしていい味出してる勝間田さん。もとヤ◯ザの北村有起哉(奥さん安藤玉恵)。そして田舎の水商売経営を夢見る代島くん。みんな切なくてよかったです。
勝間田さんのあのメッシュのベスト、あれくらいのおじさまがよく着てますが、一体どこに売ってるんでしょうね。
蒼井優の熱演も光っていました。しびれました。
この映画のキモは?
最後のホームランででそれぞれの顔を一瞬クローズアップするシーンがとても良かった
あっこれで終りなんだ?!というあっけなさも少し感じた
今までの函館二部作がずしりと重たいものを胸に残す映画だったからだろうか
職業訓練校だけど本気では何者にもなろうとしてない人々の屈曲を抱えながら淡々とおくる学校生活なるものーそれがこの映画のきもかな?
オダギリジョーは上手い
物言いに惚れ惚れするのは声の質感からくるだけのものではないだろう
40歳過ぎてもオッケイと喚び出された時の若い女への静かなキレ方も絶妙
埠頭での号泣のあと聡と会った時の表情も胸に染みる
蒼井 優も痛々しさがぐっとくる
3部作の最後がこのオーバーフェンスで良かった
聡がヤバすぎる
とにかく、聡のインパクトが強かった!痛々しくて悲しくて気持ち悪い。
執拗な鳥のモノマネや幸福の絶頂から一気に絶望と憤怒の色に豹変する眼差しとか、聡の強烈な行動を見ていると、
「なんという孤独で寄る辺のない、愛を求めても決して得られない世界に聡は生きているのだろうか」
という彼女の生き辛さに思いを馳せます。
しかし、同時に、
「マジでこんなボーダー女に関わったら一巻の終わりだわ、クワバラクワバラ」
って気持ちが沸きました。
人として付き合うには、聡は百害あって一利なしの最悪なタイプです。
動物園の柵を開けまくる聡が逃げないハクトウワシを見て、「なんで逃げないの!」と叫ぶシーンは特に悲しかった。聡には柵の外の世界なんて実はないし、その無情な現実を象徴しているようにも思えて苦しかった。
その夜に白岩が見た家にやってきたハクトウワシは彼の幻だろう。ハクトウワシははばたくことはない。この作品で聡は永遠に無間地獄を彷徨い続け、成長できないのだから。
ラストも意外としんどかった。爽やかに終わったけど、あの後はどうせ白岩と聡はなんかのきっかけですぐ修羅場を迎えてグチャグチャになるのは明らか。一見ハッピーエンド風だがなんも変わらず堂々巡りだよなぁ、なんて感じました。
もうちょい聡の背景を描いてくれたら、とか思いましたが、離れに住んでるとはいえガラスが割れて男と怒鳴りあっても、家族が誰ひとり介入してこない家に育ったんだな、ってことは解りました。離れのキッチンで行水するところを見ると母屋には一切近づいていないんだろうな。家族の断絶を感じます。
聡もつらいけど、森くんもキツかった!数少ないセリフで精神的に母親の支配下にあることがわかる森くん。訓練校を辞めさせられたあと、一瞬母親と買い物をしているシーンが映ったが、胸が抉られました。正直、この1秒くらいの場面が本作品中で一番印象に残っています。彼も自分の人生を生きられないんだよね。
白岩はしょうもないヤツだな、という感想です。元妻を追い詰めたとか言って自己憐憫に酔っているだけ。あの調子では仕事も自分と向かい合うのが怖くて多忙に逃げてたクチだな、って想像できます。
まぁ元妻の前で泣けたのは良かったね。この時、元妻との関係に区切りをつけ、成長して前に進めるかと思いきや!相手が聡じゃ消耗するだけ。なにせ直後に聡が車でストーキングしているホラーシーンが入ってくる訳だから。
登場人物がぜんぜん成長しない作品であります。
その意味では好みの物語ではなかったのですが、登場人物を長々と考察できる、とっても観応えのある映画でした!
演者はみな最高。蒼井優は天才ですな。
★追記 (10/9)
どうやら原作では、聡はあんな境界例ではないようだ。
白岩の成長を描くことに焦点を当てたのであれば、キャラ改変は失敗だったと言わざるを得ないが、映画を刺激的にしたかったのであれば改変は成功だったと思う。
普通という無意識の加害者。
自分はそうじゃないと言い切るのは難しい。ぶっ壊れている他人を見て、見下したり、憐れんだり、無関係だと思ったり、わかった風に優しくしてみたりする。けれども、そういう自分はただ普通なわけではなく、他人にストレスを転嫁してぶっ壊す側の人間なのかもしれない。それも徹底して無自覚に。そういう怖さに気付かされる。
白岩がまだ本当には当事者意識を持てていないと感じた聡が、動物園の檻を解放して回る。聡の願いも虚しく檻から出ようとしなかった白頭鷲は「死んだように生きる」ことしかできない自分自身、あるいは、自分の檻から出ようとしない白岩でもある。であれば、窓辺に現れた白頭鷲の幻は聡の未来を暗示しているとも、白岩の心の変化の表れであるとも取れる。
タイトルはラストそのままだけれど、このフェンスは動物園の檻や、白岩が普通という言葉で無意識に引いてきた境界線や、聡が周囲との間に感じてきた壁のことでもあるだろう。あのとき聡を見つけた白岩が放ったホームランは、そのままふたりの未来の暗示だろう。函館3部作の中ではいちばんストレートに希望が描かれていて、個人的にはいちばんグッときた。
爽やか!
函館の街の景色と、カラカラと音をたてながら自転車を漕ぐオダギリジョーの風のような軽やかさが印象的。
しかし一見軽やかで飄々として見えても、じっとりとした絶望や諦めが、軽く肉のついた背中や二の腕からにじみ出るようで、「オダジョもおじさんになったな〜」と思いつつ、そんな中年の哀愁がすごく良い。
ポスタービジュアルにもなっている夜中の自転車二人乗りのシーン、そして蒼井優に引っ張られてお店でふたりで踊りだすシーンが、とにかく美しかった・・・
初夏の函館の空気を吸い込んだような、さびしさと爽やかさが余韻に残る良い映画でした。
再スタート
元嫁が壊れた原因が自分にあると気づいていない、気づきたくない主人公。
ほとんど皆何かしら抱えている職業技術訓練校で出会った仲間に紹介され、自称壊れている女と出会い自身と向き合い再スタートを切る決心をする様子が切なく痛く暖かい。
みんな何かしら普通じゃないし、普通って何だろう…焼肉屋の件が本質への始まりかな。
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