「どの人にも哀れみをあげられる人」昔々、アナトリアで ku-chanさんの映画レビュー(感想・評価)

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5.0どの人にも哀れみをあげられる人

ku-chanさん
2019年12月16日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

この映画を見ている時、ジェイラン監督の作品は会話が大切だから、誰と誰の会話に焦点をおいて、鑑賞するべきかなと思い、そして、検事(Prosecutor Nusret)と医者(Doctor Cemal)に焦点をあてようとこと決めてみたが、映画を観終わって、『う。。?』離婚の経験がある医者の人格とニヒルさか?それに、かれの人情か?と思い、ポイントがつかめず、ちょっと閉口してしまった。
もう一度、医者と検事の会話だけを観るべきかと思い、ビデオを戻してみたが、いやいや、2011年カンヌ国際映画祭審査員グランプリを受賞した映画だから、ヌーリ・ビルゲ・ジェイラン監督のインタビューがあるはずだから聞こうと思って探し始めた。そして彼の、一言に救われた。『僕の作品は難しいから、全部わからなくていい』と。
個人的には好きなタイプの映画で、スリル、サスペンス風だが、いやいや、それぞれの人の歩んでいる(抱えている)人生は違うようにみえても、我々にもありえる(経験しているかもしれない)人生であり複雑にからみ合う人間模様と膨大なトピック(ヨーグルトから離婚自殺まで)を描いた映画になっていて、最後のシーンは(解剖のシーン)の医者の迷い、心の葛藤がくるしいほとよくわかる。
解剖の結果、生きたまま広大なアナトリアの場所に埋められた被害者(Yaşar)とわかった。失望の渦のなかにいる被害者の伴侶と息子(加害者?Kenanの息子??)にどう伝えるかを窓越しに二人が歩いている(息子はサッカーボールで遊んでいる)のを見ながら思案している医者。

Kenan (加害者?殺人罪?で囚われている人)にもタバコを与えることのできる医者(警察はタバコが欲しいなら告白せよという態度でタバコをとりあげた)
罪びと(?)にも被害者の家族にも 温かみをあげられる心理を持っている医者の心に感動した。彼の目の動きを映画を観ながらずっと追っていた。彼の心理を掴みたくて。

現代と伝統的なの文化との間を生きている人々。地方に見られるモスリム の文化(死体を家族が別れにくるまで保存しておく)と殺人などもっとも罪となるモスリム文化のなかで、現在の人々が一般的に話題にしている物事だが、これらの複雑な世の中に生きている人々。これらの中でカルチャーショックに戸惑っていながら生きている年配の人々。

トルコ語と日本語はアルタイから来ていて兄弟のようなものである。文法などの共通性だけでなく文化の共通性にも驚いた。この映画で初めて気づいたが、『こっちに来い』と医者が示す手振りが(指を下に向ける)日本と同じだ。

アナトリア半島の広大な自然と文化をゆっくり眺めるためにも、この映画は映画館で観るべきだと思った。

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ku-chan
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