劇場公開日 2016年4月29日

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「なぜか日本屈指の霊場を汚された気分になる」追憶の森 とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)

1.0なぜか日本屈指の霊場を汚された気分になる

2022年1月30日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

単純

寝られる

正確には、樹海は霊場じゃなくて、富士山という霊場のお膝元ですが。

『千の風になって』が好きな方なら、はまるかもしれない。

魂の帰る場所。宿る場所。…囚われてしまう場所。
精霊が支配する場所。
そんなイメージがわく、樹海。
神秘であり、神聖な場所。
そんな場所を舞台にした物語。
 本当は、好きなテーマなんだけれどなぁ。好きだからこそ、この映画を許せないのか。

死と生に関する話。
 でも、『BIUTIFUL』を鑑賞した後だと、表面的になぞっただけの映画のように見えてしまう。他でも聞いたような言葉ばかり。

制作者の死生観が突き詰められていない。
 脚本家と、監督と、制作者の意見がまとまらなかったのか?
 否、それぞれが、死生観に向き合わずに、雰囲気だけで撮ってしまったように見える。

キリスト教信者も日本にいないわけではないが、富士山とそれにつながるものは、元々、日本古来の土着ー山岳信仰の色濃い場所。
 そこに、”煉獄”という、キリスト教的概念をねじ込んでくるなんて。なぜ日本?と思う。もっと、キリスト教に親和性がある欧米にだって、南米にだって”森”はあるだろうに。
 たんに「樹海で撮ってみた」のか。撮影はボストンの森だけど。なぜそこではいけなかったのか。
 ネットで検索して出てくる「死に適した場所」のイメージだけで撮ったのか?
 でも、
 この場に、”樹海”にこだわるのなら、もっと日本の信仰・死生観について理解してほしかった。

ところどころ、日本の死生観に似ている雰囲気もあるが、死者の衣服をはぐ場面に抵抗を感じる。死者への礼というものを持ち合わせていない。合理主義を旨とする欧米の映画。
 乱世を舞台にした黒澤明監督映画にも死者の衣服をはぐ場面はある。黒澤映画の中では、”魂”の存在を否定した、”生”のエネルギーの象徴としての行為だったような。だから、アーサーが魂の存在を認めていないという描写としては共感するけれど、「死ぬために来た」設定には見えなくなる。死を決意しても尚の自分本位な性格を表す描写なのか。”死”を意識しつつも、無意識では、ということを表現したかったのか。でも…、映画のあの段階では、納得がいかない…。

アーサーは”煉獄”に囚われていたのか?
 回想場面は圧巻。夫婦だからこその痛みがビシビシ伝わってくる。
 だが、回想場面と、樹海での動きがバランス悪く、考えまいとしても、考え、思い出してしまうようにはつながらないから、”煉獄”に囚われているようにみえない。このようなフラッシュバックの挟み方描写は『ハドソン川の奇跡』がうまかった。
 とはいえ、監督の中ではアーサーは”煉獄”に囚われていたから、あんなに傷ついていても動けるのか???

その辺をぼかして、あえてどうともとれるように撮ったのか。
にしては、種明かし場面が強引すぎる。
 妻の名もキイロって。ミドリとか他にらしい名前もあったろうに。森の緑=妻に包まれた時間というのもいいと思うが。
 そして、あの花を飛行機に乗せられるの?検疫は?USAの入管で取り上げられないのか。

脚本が荒すぎるのだ。

そして渡辺氏。
 山崎努氏主演の舞台『ピサロ』で初めて、渡辺氏を拝見した時は、その輝くばかりの才能に驚喜した。あの山崎氏にちょっと押されながらも、しっかりと相手役を務めていた。
 けれど…。正直、最近の演技は見ていられない。
 今回の演技も、シーンごとには秀逸なのだが、通してみると人物像が一貫していない。インタビューで「うさんくさく演じた」っておっしゃっていたけれど、うさんくさいどころか、別人だよ。その時々現れる、樹海を彷徨っている霊、そして別の時は〇〇の霊だったのか?
 そして、ハリウッド版『ゴジラ』の時も思ったが、こだわるところは発音じゃなく、原爆でしょ!と言いたいし、今回の映画でも、日本人なら誰でも違和感もつ日本について監督に教えなかったのか…。真田氏は細かくツッコミ入れるというけれど、渡辺氏は与えられた役だけなんだろうな。
 『ラストサムライ』の勝元とは違って、その場その場のことだけで何にも考えていないんだろう。

と、大切にしているものを踏みにじられた気がする映画だが、
それでも、森の景色には圧倒された。
緑と光・闇、水に抱かれる時間 を堪能した。

とみいじょん