「これは「ジョハリの窓」だ。」二重生活 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
これは「ジョハリの窓」だ。
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人の秘密を知ったとき、それが他人には知られたくない類の秘密だったとき、知っているのは自分しかいないと知ったとき。
人は、それをもっと知りたいという欲求を抑えきれない。それにのめりこむことで、手の中にあるかけがえのない日常を手放してしまう事態になるなんて思わずに。
それはまさに、鏡だらけの部屋に迷い込んだような感覚。尾行している相手を後ろから見ているつもりが、いつのまにか正面から見つめられているような、そんな自分がどこかから誰かに見られているような。見ている誰かはじつは自分自身の後ろ姿だったような。
見えているものは真実ではあっても、全部ではなく一部であり、それゆえに本質を忠実に理解しているわけではない。だから間違った情報を真実であると誤解してしまう。まさしく、作中ででてくるソフィ・カルの「本当の話」の世界だ。それは、映画を観ているこちらもそうで、出てくる人物のすべてを知っているつもりでいながら、じつはまだ隠された真実があることに気づいてさえもいない。
それは、教授の存在がその疑惑を膨らませてくる。もしかしたら、初めから教授は珠を尾行してたんじゃないのか?、だから、珠にも勧めたんじゃないのか?、だれか自分のことを知っていてくれる人間を探していたんじゃないのか?、だから「死んだ後」もその亡霊を珠は感じているんじゃないのか?、と。
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