二重生活 : 映画評論・批評
2016年6月21日更新
2016年6月25日より新宿ピカデリーほかにてロードショー
“理由なき尾行”にのめり込む女性を、門脇麦が緩急自在に演じきる
「なぜ人間は存在するのか、何のために生きるのか」
この観念的な問いかけを前に、大学院で哲学を学ぶ主人公の珠(門脇麦)は立ち尽くしている。そんな彼女に、修士論文の担当教授(リリー・フランキー)が与えたアドバイスは、“哲学的尾行”の実践だった。尾行をすることがなぜ、人間存在を解き明かす方法になるのか、珠も観客もピンとこない。珠は偶然街で見かけた隣家の石坂(長谷川博己)の後を衝動的に付けてみたところ、妻とは違う女性とビルの隙間で激しい愛の行為を交わす光景を目撃する。そこから珠の“理由なき尾行”の日々が始まる。
最初は、セーフティゾーンから高みの見物をしていたはずが、尾行にのめり込めばのめり込むほど、それまで受け身かつ平穏に生きてきた珠の日常に波紋が生じる。その結果、彼女は初めて他者の人生を通して、自分にきちんと向き合わざるをえなくなる。この、特別ではない24歳の1人の女性を、針の穴に糸を通すような制球術で表現したのは、若手実力派の筆頭に挙げられる門脇麦だ。
例えば、同棲相手の卓也(菅田将暉)と話すときの、半音キーが高くなる声色に、珠が無意識で抱える「嫌われたくない」という臆病さと、男性に対する女としての傲慢さや媚びが微かににじむ。また、尾行中に高まる好奇心や興奮を瞳の輝きで表現し、論文のためという大義名分で慌てて取り繕おうとする顔もたまらない。
主人公が哲学について、机上でネチネチ考えるだけの映画は画にならないし退屈だ。その点、珠が石坂を尾行するというアクションにより、画面は突然に活気づき、スリルと興奮の色を帯びていく。それにより、観客の出歯亀的好奇心が刺激されるのは間違いない。また、どこに行くかわからない対象を追いかけて、電車に飛び乗り、カフェに飛び込み、手持ちのお金に不安になるという、まるで「はじめてのおつかい」のようなハプニング性のある日常における冒険譚は、エンタメとしてやはり強い。
監督は、ドキュメンタリー出身で、本作で長編映画デビューを果たす岸善幸。ワンシーン・ワンカットの手法での撮影が、役者たちの色気を引き出し、この作品に生々しさを加味している。
(須永貴子)