「長い長い昭和64年が遂に明ける」64 ロクヨン 後編 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
長い長い昭和64年が遂に明ける
序盤からハラハラした。ちょっと違う意味で。
NHK版を鑑賞していた立場からすると、初っ端から
雨宮が電話をしてる所を見せたら、第2の64事件を
仕組んだのが彼だと気付く人が続出するのでは?と。
その後の展開を見ても、サスペンス的な衝撃を
強く与える作りにはなっていなかったと思う。
恐らく作り手は、サスペンスとしての醍醐味を
犠牲にしてでも、雨宮や幸田の感情を子細に
描く事の方を選んだのかもしれない。
だが残念ながら、僕にはこれが効果的な選択だとは
思えなかった。“なぜ”“どうやって”という衝撃を先に与え、
その後にあの人物の行動を紐解いて理解させた方が、
家族を失った父親の深い深い執念がより伝わると思うから。
また、ラスト20分はNHK版には無かった展開だ。
おやと思って鑑賞後に本屋へ立ち寄り確認したが、
やはりこちらは映画版オリジナルの展開だった。
これは恐らく、主人公である三上をより主人公らしく描く為か。
くわえて64事件の犯人と、事件を保身に利用した者たちに対し、
より観客の溜飲が下る結末を用意したかったのかもしれない。
(実際、枯れ野原を延々と歩き続ける映像にはカタルシスを感じた)
しかし僕にはどうしても、
三上のあの行動はそれまでの彼らしくないと感じる。
犯人への怒りは分かる。彼の娘への愛情を利用したのも
卑劣な犯人に雨宮と同じ苦痛を与えたいという直情からだろう。
だが、なぜ犯人の娘に逮捕の現場を見られるようなリスクを
犯した? それは三上なら自然に避けるべきではないのか。
それに、雨宮が復讐を果たした後に同じような行動を
取ったことは、むしろそれまでの三上や雨宮の行動を
否定し兼ねない決着という気も。なので、
かえって一抹の後味の悪さを感じてしまった次第。
前編に比べると余裕の感じられない展開も目立ち、
記者会見の過酷さ、瑛太の立ち位置、幸田メモの重要性など、
細部が描き込み不足になってしまった印象も拭えない。
それらが薄味になってしまった煽りを受けて、
『警察やマスコミ等の組織間の対立に翻弄される個人』
という重要な視点もピンぼけになってしまったかなあ。
なので、個人的な結論だが、後編は
前編で期待したほどの仕上がりではなかった。
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それでも前編で丁寧に積み上げてきたものを壊してはいない。
記憶に残る声だけを頼りに分厚い電話帳を塗り潰し続けた
雨宮の執念は、そのまま娘や妻への強い想いの裏返し。
それでも彼は人間的な心を失わずに復讐を遂げた。
三上は、互いの権力や保身の為に人の心を顧みない
警察組織を、もっとずっと人間的な場所に変えた。
そしてその後を秋川や諏訪たちに引き継ぎ、
自身は娘を自ら捜す決意を固めて再び歩き出した。
自分の家族と別れてまでその雨宮に協力した幸田、
ようやく母への謝罪を口にすることができた日吉……
昭和64年1月に取り残された者たちが迎える
それぞれの決着に、胸が熱くなる。
最後、三上と雨宮が再会する場面。
どんど焼きで餅花を突き立てる雨宮。
暗闇で立ち昇る炎を見つめ続ける三上たち。
ああようやく彼等は暗闇から抜け出せたのかと泣いた。
無人の家で鳴り響く公衆電話からの着信も、
かすかな希望が見えるラストで良い。
個人的な評価としては前編4.25、後編3.50~3.75。
前編の勢いを維持できなかったのは残念だが、
それでも観て損ナシの良作でした。
<2016.06.11鑑賞>