アイヒマン・ショー 歴史を映した男たちのレビュー・感想・評価
全42件中、21~40件目を表示
歴史事実元ネタモノの秀作。
数ある歴史事実元ネタモノの中でも、秀作の一本。
この手の作品では宿命のようなものだが、作品としては単調。
しかしながら放映前の準備から終了まで順を追ったつくりに、挟み込まれる実際の映像が非常に説得力を高めている。
人類の歴史に残る罪、そしてそれを犯すのもまた人間。
たとえ程度の差こそあれ、この時代から人は何かしら進歩しているのだろうかと悲しくなった。
善悪・好き嫌いは別として、人間として観ておくべき作品。
知ることと伝えることの大切さ
アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち
知ることと伝えること。
今でこそ その史実を知ることができるけど、大戦後15年間もこのことを世界が認知していなかったことに驚き。
人類の負の遺産を真正面から捉えた映画。
ホロコーストを裁く、伝える
イスラエルでのアイヒマンの裁判
1961年ならば、多くの収容所生存者が存命だった。この映画では裁判をどう伝えるのか、事実をどう見せるのかが、使命感を持って語られ実現されていると感じた。
今、観るべき映画。
プロ根性のプロデューサー
プロ根性のプロデューサーと人間感情丸出しの監督のケンカ映画。
当時は大変だったと思います。
当時の日本人はどういった感じだったのでしょうか?
後味悪い…でも観て良かった!
映画はあくまで記録映像の撮影秘話(?)ではありますがやりきれなさだけが残ります。
どうしてこんな愚かなことが行われたのか、どうして誰にも止められなかったのか、そしてアイヒマンとは何者だったのか。
何一つスッキリしない映画。
とにかく証言内容や資料映像が衝撃的。これまで本や映画で知ってるつもりだったけど改めて何が起きてたのかを見せつけられると"つもり"だったんだなと思います。そして何の感情も見せないアイヒマンが怖い。なんであの話を聞いて、映像を観ても微動だにしないのか。
どうやったらあそこまで無感情になれるのか。大勢に流されるとみんなああなるのか…。
まるで芋を掘るかのようにブルドーザーが進む映像には気分が悪くなりました…
キツイと思ったけど
57本目。
テレビマンの意地、執念が伝わってくる作品。
正直、目を背けたくなる場面があり、キツイですが目を背けちゃダメ出し、観た方がいい作品。
アンソニー・ラパリア、久し振りに見たけど、渋いし好きだな。
感情移入しすぎる人にはオススメしない
個人的には好きな部類の映画だったが、よかったとか面白かったとかひと言では済ませられない。
ナチスドイツの大量虐殺の首謀者であるアイヒマンの裁判をテレビ映像化するメディアマンたちの話。
裁判をテレビ放映すること自体がタブーというか非常識ではあるだろうが、そうすることにより全世界の多くの人々に事の真実を伝えようと努力する主人公たち。
アイヒマンの人を殺しても感情を表に出さない不気味さには人間らしさを一切感じないし、途中途中の証言者たちの話が恐ろしすぎて劇中泣き出す人も。それぐらい衝撃的な内容でした。
裁判でビデオを流す場面は、「衝撃」のひと言だった。言葉を失った。歴史の一部を垣間見たとともに、同じ人間にこんな恐ろしいことができるのだろうかと思った。
劇中に立ち上がる人もいたし、映画の中でも撮影クルーたちが次々に映像を見てられなくて退席していく場面にはリアリティがありすぎて、観ていて辛かった。
決して「良い」映画とは言い難いですが、ひとつの歴史を知る意味であらゆる人に見てほしい映画です。
怖かった
人間には心がある
その心の死角に潜む残虐性は、現代の社会においてもなくなってはいないが、
この映画に描かれている事に限らず、
現実に目を背けず、世界で行われている事実を世に知らしめる努力をしている人達がいる事に感謝をせずにはいられない。
「知る」事で私達は学び、成長するのだから。
ちょっとオマケします
以前は、東京東部の映画見巧者が集まる楽天地を得意としていた筆者だが、今は北関東某所に単身赴任中。
北関東に異動して7カ月、月に1本も映画を見るかどうかと言う感じである。
帰京した際に、この作品をチェック。
ひょっとして、混むかと思って2時間前に劇場に行ったが、がらがら。
慌てて、ビル1階のチケット屋に行って前売り券を購入。
当日1800円を払わず、1400円で済んでよかった。
さて、本編…。
ナチス政権下、ユダヤ人を追い込んだ一人の将校、アドルフ・アイヒマンが、イスラエルで裁かれた史実をドキュメンタリータッチで描いたもの。
上映時間は90分ちょっと、ユダヤ、ドイツ、イスラエルの関係に詳しくなくても、分かりやすく登場人物それぞれが持つバックグラウンドにも思いを致せるような作りになっている。
だいたい合格水準にある作品だが、深い感動や何かを考えさせるというほどのものもない。
結構あっさりとした内容である。
しかし、ユダヤ人の大量虐殺(ターミネイト)の罪を55年前に裁いた現場を、2016年の日本で今見ることの意味…を考える必要がある。
そして、この映画が撮られた段階では、ドナルド・トランプが大統領になることなどほとんど想像もできなかったろうに、トランプのような考えを持つ人間が大衆の気持ちをつかんでしまうことの危険性を指摘しているのは、達見だと感じた。
もっと重く、暗い作品を期待した自分には本当は★3・5くらいが適当とも思うが、なるべく多くの人に見てもらいたいので4つつけておく。
アイヒマンの顔が、ものすごく異様に映った。
アイヒマン裁判の実際映像と現在のテレビ映像とを交互に見せる手法は、アウスビュッツでは、どのような愚行蛮行が行われていたかを見るに耐えない場面が強調され見応えがあった。死体の山積み、あばらが露わになった死体の苦悶の顔、顔、顔、悍ましい写真。
当時の白黒映像の挿入し、犠牲にされた同じ民族であるユダヤ人の目も当てられない映像をこのままスタッフが躊躇したり、途中退出したりして、感情を交えた(テレビ)監督とプロヂューサーのやりとりも鬼気迫るものがあった。
監督自身これ以上の放映は無理ではないかと思い悩んでいる際、彼の泊まっている宿の女主人の言葉が耳に残る。アイヒマン裁判の時は、ガガーリンの宇宙飛行やキューバ危機などが起きている点も、リアリティがあった。
知るべき。知らなきゃいけない話。
ナチス将校ルドルフ・アイヒマンを裁いた“アイヒマン裁判”。この裁判をテレビ中継することにより、ナチスの残虐非道な行為を白日の下に明らかにしようと働いたテレビマンたちの活躍を描く物語。
このアイヒマン裁判が白日の下に晒されるまでは、ナチスの強制収容所でのユダヤ人抹殺作戦は、『大げさ』『ありえない話』と言う扱いだったんですね。それが、SURVIVORと呼ばれる生存者達に寄る“証言”から、明らかになって行く・・・。歴史の一コマを見る感じです。
って言うか、この映画は、アイヒマン裁判自体ではなく、アイヒマン裁判を世界にしらしめるためのTV中継の為に尽力したテレビマンたちの活躍を描いているわけですが、それでも、上記の生存者達の証言への言及は避けられません。ほんの触り程度ですけど、それだけでも、その証言には戦慄しました。アイヒマン裁判は4ヶ月間続き、その間連日テレビ放映(もちろん録画)されたそうですが、この内容が放送されたのだとしたら、衝撃ですよね。
この映画自体には、映画のために撮影したシーンの他、当時の映像そのものが使われています。その当時の映像が「これは現実なんだ」と言う感をより強めています。
戦後70年を超えました。歴史は遠くなりにけり・・・とならないよう、こう言う作品が、未来への警鐘としてこれからの時折作られて行くことを祈念してやみません。
凄い映画
心のどこかで他人事のように思っていた。
何も知らない。聞いても信じられない。
映画の中でテレビを見ていた人々は、まさに自分のことだと思い、とても耳が痛かった。
そして映像として伝えることの偉大さを身を以て実感した。
多数の記録映像、目を背けたくなるような光景に必死に向き合った。知らなければならないのだと言い聞かせて。
主人公のレオが映したかった、アイヒマンの人間性。伝えたかった、誰でもファシズムに傾倒し、残虐な人間になりうるということ。
ない頭で、考えさせられる映画でした。
識ることの意義
倫理の講義で、最重要は、正しく考えることではなく、正しく情報を集めることだと、教わりました。歪んだ情報で、正しい判断が、できるわけないですから。真実という言葉が、好きになれません。編集されている気がします。それでも、複数の情報をみんなが共有することで、デマとガセと偏見の先に、見え隠れする何かが、あるように感じます。さっき、「オマールの壁」観たんですが、パレスチナの人を、ひどい目にあわせるのもユダヤ人なら、非道い歴史を背負っているのもユダヤの人。どちらの作品が正しいとか、間違えているとか云うことではなく、まず識ることから、始めたいものです。その為には、職人魂溢れる方々の、獅子奮迅があったわけですね。それにしても本作、ご見物が多かった。皆さん、何が見たくて、足を運んだんですかね。日本人が加害者の「セディクバレ」の後編なんて、貸し切り状態で観たんですけど。ま、そういう私も「アンブロークン」パスしましたけど。
歴史を繰り返してはいけない…。
アイヒマン、裁判中も一切感情をあらわにせず、ひたすら彼の無表情な様子が印象的でした。
戦争が終わり10年経っても、アウシュビッツの真実を語ることのできなかったユダヤ人の人々。
ようやく日の目が見えて訥々と語りだす、彼ら一人一人の証言が胸に迫ります…。
具合が悪くなり倒れてしまう証言者の姿を見ても、残虐な映像を見ても微動だにしなかった彼の佇まい。
その心の奥底に眠る感情が分からないままというのが居たたまれません。
以下、2017年再鑑賞記録。
アイヒマン。
大勢の人たちが見守る中行われた裁判で、彼は一体何を思っていたのでしょう。
ユダヤ人の大量虐殺の映像を見ても、感情を高ぶらせる事もなく、静かにただ映像を凝視している姿。
犠牲者たちが余りに悲惨な現実を訴え、精神的に追い込まれバタバタと倒れてしまう姿を見ても、平然と裁判の椅子に鎮座し続けていました。
そして、最終的に彼の心の声は全くわからないまま、死刑判決を受けるのです。
誰を責めるでもなくらひたすら自分を庇い続け、黙って静かに事の成り行きに身を任せ死んでいった男。
そんな静寂に身を包んだ男の記録がここにありました。
非常に心が揺さぶられた作品でした。 知ることも大切なことですが、見...
非常に心が揺さぶられた作品でした。
知ることも大切なことですが、見聞きすることの大切さを本作は教えてくれたように思います。
フィクションとはいえ知識だけでは得られない追体験ができること、エンターテイメントとしてでなく後世に残すべきことを伝えることが、映画の一つの役割でもあると思えます。
収容所から生き延びた被害者たちが、他人に自分の経験を話しても信じてもらえない、という事実がもう衝撃的でした。裁判の場面における、証言者一人一人の言葉の重みは、大量虐殺という言葉では窺い知れない苦しみや悔しさがこもっていました。
本作でもう一つ焦点が当てられていたことは、映像メディアが持つ力だと思います。
「フロスト×ニクソン」で描かれていた、映像の強みをレオも知っていたことが興味深かったです。誰もがアイヒマンになり得る、誰もが加害者になり得る、映像というメディアを通して、レオが伝えたかったことです。レオがそのメッセージを効果的に伝えるために葛藤する姿は、作家の熱い執念が感じられました。
ドキュメンタリーの映画が撮られる裏側では、やはりそこにドラマが生まれていて、だからこそドキュメンタリーには人の心を動かす力があるのではないか、と観ていて思いました。
あなたのお陰
実際のアイヒマン裁判やナチスの収容所の記録映像を多数使用しており、アイヒマン裁判を記録したテレビマンの映画というよりも、アイヒマン裁判そのものやホロコーストの記録として見入り、興奮した。
本編としては、ありきたりだけど終盤の宿屋の女主人とレオとの会話は刺さった。
全42件中、21~40件目を表示