「古典映画へのラブレター」ラ・ラ・ランド ao-kさんの映画レビュー(感想・評価)
古典映画へのラブレター
色鮮やかなドレスを身に纏って踊るダンスシーン、どこか安っぽく感じる台詞回し、やけに古臭く感じる恋愛シーン。良くも悪くも今年のアカデミー賞を賑わせたこの作品って、こんなチャチなものなのか?しかし、映画を見終えてみると、それらが全て計算づくで行われていたことに気づかされる。技術の発達により無声映画からトーキー映画への変遷を描いた「アーティスト」に対し、「ラ・ラ・ランド」は現代技術を駆使して古典映画の世界に近づける。なるほど、これはデミアン・チャゼル監督が古典映画へ宛てたラブレターなのだ。
技術の発達によって、何でも表現できるようになった反面、作家性、芸術性の濃い作品は減ってしまった。もっと映画に芸術性を、もっと作家性を、そう思っていても観客のニーズが変わってくれば、過去の名作だって埋もれていってしまう。女優になりたいと言っているミアが「理由なき反抗」を見ていなかったり、気がつけば名画座が閉館しているさりげない演出も時代を感じさせる粋なスパイスとなる。一方の音楽家を目指すセブもジャズは死にかけていると言い、その灯火を消すまいと孤軍奮闘するが、世間のニーズとの間で苦悩する。
映画(や音楽)は今、新たな変遷期を迎えているのだと思う。作り手の伝えたい意思と、技術発達に伴った新しい表現を見せたいという試みが入り混じっている。古典的な映画は批評家にこそウケても、大ヒットには繋がらないケースが多い一方、アメコミ実写化やファンタジー映画はヒット飛ばしているが、次々と新しいものが登場して、飽和状態にある。恐らく、デミアン・チャゼルは死にかけている古典映画の灯火を消さない方法を模索し、本当に描きたいものは何なのかと本人を含めた若手の作り手たちに問いかけているのだろう。
タイトルの「ラ・ラ・ランド」が描かれる甘美なラストだって、CGの多様でもっと派手に、より鮮やかに演出できたはずだ。けれども、手作り感の溢れるその場面にはCGにはない温もりが感じられる。しかし、それは時代にマッチしないものなのか?芸術を追い求めることは難しいが、表現したいものがあるからこそ、夢老い人は各々の方法で生きていく。圧倒的なオープニングに対して、意外なほどしっとりと幕を閉じるこのラスト。どうか単なる懐古主義と思わないでもらいたい。