「悪魔的社会派サスペンス」リグレッション つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
悪魔的社会派サスペンス
悪魔信仰とは、まず神を信仰するところから始まる。主にキリスト教でのことだけど、神が存在しなければ悪魔の存在は成り立たないので悪魔信仰の根底には普通の信仰心があるのだ。
言い換えれば、神を信じていれば自然と悪魔の存在も信じていることになる。
アメリカの40%くらいの学校では進化論や地球が球形なことや、公転していることを教えない。聖書の内容と異なるからだ。
つまりこれは、かなりの数の人間が悪魔の存在を「本気で」信じているということだ。
神への信仰よりも科学信仰の方が圧倒的に強い日本人には理解し難いかもしれないけれど、冗談でも大袈裟でもなく、科学よりも悪魔を信じている人たちは沢山存在する。
この前提を理解していないと作品の半分も面白くないだろうことがちょっと残念だね。
それで、何がそんなに面白いのかというと、まず、事前情報なしで観ていた場合、物語の終盤に差し掛かるまで、悪魔が登場する場合で、アンジェラ、アンジェラの父、アンジェラの祖母、神父、ドクター、など、怪しい人物が多く、悪魔が登場しない場合でいくつかのパターンがあり、ストーリーのラストを締めくくるパターンの可能性が多いこと。そして悪魔がいるといないの両方をギリギリまで残したこと。
次に、面白いのは、神を信じていないケナー刑事は始め、守りになるからと渡された聖書やロザリオを見向きもしていなかったのに、おかしな夢を見たり、強迫観念にとらわれたりしていくうちに、一時的とはいえ車のバックミラーにロザリオを掛けた。これは神に助けを求める行為だが、彼が神を信じるということは悪魔の存在も信じる事を意味する。
ストーリーと同様に彼もまた悪魔がいるといないの狭間を往き来して翻弄されていたこと。
アンジェラとキスしたことを非難している人がいるが、アンジェラが悪魔である可能性を考慮した場合、とても自然なことなんだよね。悪魔は人を魅了するのだから。
つまり、アンジェラが悪魔かもしれない可能性を示唆する場面だったわけで、「あっ、ヤバいぞ。悪魔の誘惑かもしれない」と思わずに、だだキスしただけだと思ったなら面白く観られるわけがない。
そして最後に、決定的に面白かったのはやはり、少し皮肉の入ったエンディングだろう。
結局、悪魔は登場しないパターンのラストだったけれど、真相が明らかになったあと、信仰心など毛ほども持ち合わせていないであろうアンジェラが、神父の庇護のもと、悪魔的儀式だとか何とか妄言を垂れ流し、それを聞いている人々は「なんてことだ」と悲しみ怖れる。
神を信じる=悪魔を信じる=彼女の妄言を信じる、という構図だね。不可知論者には身の毛もよだつような状況だよ。
一方で、自身の不甲斐なさを正そうと信仰に没頭したアンジェラの父は、その信仰心故に赦しを求めて、してもいない罪をかぶり投獄される。
こんなラスト、面白くないわけない。
タイトルにもなっている退行催眠のことと合わせると、悪魔的サスペンスのフリをしただけの、社会問題を扱った、割と硬派な映画だったことも分かり、それもまた面白い。