人間の値打ちのレビュー・感想・評価
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見栄といういやらしさ
轢き逃げ事件をきっかけに、経済格差のある3家族のそれぞれの視点から犯人を追う、
謎解きミステリー。
(解説では2組の家族となっていますが、実際は3組の家庭が出てきます)
見栄といういやらしさを目の当たりにする作品。
必見!
ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ!
保険は人の価値を奪う
1つの事件を3人の目線に分けて見せる
演出方法自体は特に珍しいものでもない。
タイトルもよくある 死亡 保険金の算定額 のことで、その人の価値は 人間の 出来不出来ではなく 、 収入の多い少ない が人間の値打ちを決める という皮肉。
ミラノの郊外あたりは 高級住宅街で 格差が激しい街ということなのだろうか?
熟女が胸を揉まれたり 高校生が 胸を丸出しにしてセックスするなど 特にいらないのではと思う 濡れ場があるのもイタリア映画ならではなのか。
ん???
コメディです。
人間の価値
ドタバタ喜劇
きれいごとを一切排除したリアルな映画だ。登場人物は基本的に自分の利益や欲望のことしか考えていない。にもかかわらず他人は自分のために動いてくれると思い込んでいる。イタリア人はそういう気質であると言われればそんな気もする。兎に角、他人は他人の都合で動いていると考える奥床しい国民性の日本人とはかなり違う。
思えば日本の経営者たちは、この映画の登場人物みたいな人間ばかりだ。従業員のことを給料さえ支払えば、自分のために馬車馬のように働く奴隷にできると思っている。
しかしそういう人間ばかりで馬車馬のように働く人間がいないと、経済はうまく回らない。実際に行ったイタリアが、みすぼらしく貧しい印象だったのは、経営者も従業員も互いに自分の利益と欲望だけに忠実で、組織の利益をあまり考えていないからかもしれない。
それでもイタリア人たちは、いつもニコニコしていて誰にでも挨拶するし、自由で幸せそうだ。働いてばかりでいつも暗い顔をして、恐怖と不安に慄きながら暮らしている日本人とは大違いだ。
この作品はまさに相反する欲望と相反する利益のぶつかり合いのドラマだ。しかし互いに思いやりなどまったくないかというと、そうでもない。別れた彼氏が酔っぱらってつぶれていたら迎えに行く優しさがある。そして彼氏の母親は送り届けてくれたことについてきちんと礼を言うという礼儀正しさもある。要するに普通の人たちだ。
映画は、普通の人たちが金儲けや性欲や承認欲求に突き動かされて行動している日常に、交通事故という非日常を絡めて、それぞれの立場でどのように状況を把握し、どのような行動をとるかを描く。同じ場面を3人の視点から3回描く手法で何が起きたのかが明らかになっていく。同じ場面だからくどくなってしまう危険性があるが、映像の視点と切り口を変えて飽きさせないように工夫をしている。うまい手法だ。
登場人物があまりにも普通の人たちで、哲学も世界観もなく夢も希望もないような映画だが、人間とはそういうもので、くだらなくて愚かだが愛すべき存在として描かれているように思える。隣に座っていた白人女性がときどき吹き出して笑っていた。彼女の笑いのツボは理解できなかったが、おそらくこれは人間のドタバタ喜劇なのだ。
金の切れ目と繋ぐ力
腑に落ちない点多々あり
人の描き方が類型的で平板
「値打ち」ってその人のことの値打ちだったのか!
視点が凄い
経済に踊らされて破滅した人と国
あるクリスマスイブの夜、イタリア・ミラノの郊外。
地元高校での優秀な生徒を表彰する会がホテルで開かれている。
祝賀会が終わり、そのホテルのボーイが、雪道を自転車で帰宅途中に自動車事故に遭い、死亡してしまう・・・
といったところから始まる物語は、事件の前後を3人の登場人物の視点から描いていく。
ひとり目は、町で不動産業を営むディーノ(ファブリツィオ・ベンティボリオ)。
娘・セレーナ(マティルデ・ジョリ)を、ボーイフレンドである富豪の息子マッシのもとへ送り届けた際、投資会社を経営する父親ジョヴァンニと知り合い、それを契機にジョヴァンニが運営する投資ファンドに、銀行から借金をしてまで、投資をする。
しかし、そのファンドは上手くいかない・・・
ふたり目はジョヴァンニの妻カルラ(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)。
元々は彼女の家系が上流階級であり、カルラは夫のビジネスには疎い。
彼女の興味は文化活動にあり、いまは町に唯一残された古い劇場を維持・修復することである。
夫との関係が冷え切っているカルラは、いつしか、劇場の再建委員である文学教授と不倫関係に陥る・・・
三人目は、セレーナ。
周囲からはマッシと交際しているとみらているが、ふたりの関係は半年前に終わっていた。
彼女は、心療内科医である継母継母ロベルタ(ヴァレリア・ゴリノ)が勤務する病院で、ルカ(ジョヴァンニ・アンサルド)という少年と出逢い、恋愛関係になっていく。
ルカは、かつて大麻所持の罪で少年院に入っていたことがあった・・・
と、この手の複数視点の映画だと、おおよその興味は「犯人は誰か」とか「ある出来事で一同が会する」といったジグソーパズル的興味が中心になるのだけれど、この映画ではそのどちらも狙っていない。
物語を進めて、観客の興味を引っ張っていく意味では狙っているのだろうが、根幹の部分では狙っていない、という意味である。
じゃあ、どのあたりを狙っているのかというと、上流=カルラ、中流=ディーノ、下流=ルカという社会的地位が異なる者たちの物語を描きつつも、その物語を動かしている中心を描こうとしている。
そして、その中心が社会を腐らせている・・・
そんなニュアンスが感じるのだ。
そして、その中心人物はジョヴァンニ。
不誠実な投資家。
投資経済の中で、人々は踊らされ、イタリアという国が腐って、落ちぶれてしまった、そんな色合いが濃い。
それを端的に表しているのがタイトル『人間の値打ち』。
これは、死亡時に支払われる保険金の算定基準をわかりやすく言い表したものであることが、エンドタイトルで説明される。
冒頭の自動車事故で死亡した男の保険金は21万ユーロ。
ディーノがファンドに投資した全財産が70万ユーロ(保険金の約3倍)。
そして、ディーノが投資したファンドの約款で決められているのは全財産の20%以内であることから、ジョヴァンニたちの資産はディーノの5倍以上(死んだ男の15倍以上)という計算だ。
ああ、こんな計算をしなくてもいいのだが・・・
それでも、してみたくなる。
もう、それこそが、経済に踊らされている証左なのだが。
それにしても、映画の終わりはなんとも下司だ。
町が破産する方に投資をし、利益を上げたパーティをあげているジョヴァンニたち。
なんだか、日本の近い将来をみているようで、憂鬱になってくる。
邦題が?
金の話
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